桃太郎326号機のロゴがおかしい
すでにご存じのかたはいらっしゃるだろう
EF210-326の機体側面の桃太郎ロゴがおかしい事は有名なのだろうか?
半年ほど前に知り合いから聞いたこの話を聞いたときは耳を疑った。
何がおかしいかはX(旧Twitter)で検索して知っていたが、疑っていました。
さて2023年10月下旬、いつものように貨物列車(コンテナ中心)撮影をしていると
牽引機の情報にEF210-326を見つけたので、真偽を確かめに撮影しやすい場所に赴いた。

撮影地 新大阪駅 2073レ EF210-326

EF210-326 進行方向左側の側面

この桃太郎ロゴの「桃」の字がおかしいのだ。一目瞭然。
まるで桃の一房が最初から無いように見える。誰かが食べた?(笑)
桃太郎、猿、犬、キジの中に犯人がいる!それは口が膨れたヤツ!
なんておかしな推理もできますが、この文字は一体どんな謎が?メッセージが?
JR貨物のご愛敬か?まさか剥がれるなんてことはないだろうし。
YoutubeでEF210-326の新製時回送シーンをよ~く見ていると、最初から文字がおかしいです。
最初からおかしいなら意味があるじゃん!と言いたいところですが、あれから調べても
謎が解けません。まるで「見つけられるかな?」という遊び心が感じられます。

桃太郎の側面ロゴは、326号機以外と、326号機の右側面は正常です。
◆なぜこのようなおかしな文字にしているのか、どなたかご存じでしょうか?
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DE10-1151を見つけたよ
2023年7月21日 岡山機関区にDE10-1151がいた
JR西日本の岡山電車区所属で1151号機が配置されているのは知っていたが、この日に初確認した。
なんだかんだ言って、私はまだ大牟田貨物のナンバーが忘れられない。
デジタル時刻を見て11:51だったり11:52だったり、12:08だったり、レシートの金額だったり、仕事上の事で製品7ナンバーを控えたりと、まだまだあのナンバーが忘れられない。

電車内から撮影(上の写真をクリックすると少し大きくなります)
写真の岡山機関区の片隅にいる3両のDE10は廃車解体待ちなのか(一番手前は1560号機)。
その3両よりも更に奥には1151号機の国鉄色が見えた。1151のナンバーを見つけると何だかホッとした。
もっとしっかり撮るには機関区の外から撮るしか無いな。
大牟田駅常駐の構内貨物牽引には、以下の3塗装のDE10がいましたね

九州の撮り鉄からは人気のあった国鉄原色
1208、1054、1056、1614号機などがいました

九州以外の人たちに受けたJR貨物塗装の旧タイプ
1558、1583号機などがいました

JR貨物の塗装機~晩年はこのカラーが多かったですね
1560、1181号機など。
懐かしいですね。
そう言えば、DE10のフォトブックは未完成だな~。
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延岡駅構内を見渡して
2023年2月22日 日豊本線 延岡駅構内
南延岡駅から1駅ですが、延岡駅で降りました。
構内は意外と広いですが、車輌はまばらです。

延岡駅で降りるのは何年ぶりか
前回下車したときは、旧駅舎がガランとしていて、新駅舎の建設直前だった。

駅構内はホームと一部の側線以外は貨物用・線路か
北東部を眺める

駅の南東部を眺める
貨物列車用の引き上げ線がある

4075レ・4076レの機関車がいる

ED76-1015サイドビュー

入換え用の小さなスイッチャーがいる
門司機関区所属のDB500-53
西大分駅にも同型機が2両居ます
以前来たときは別のスイッチャーでしたし、もっと前はDE10が入換えしていました。

50両も牽引出来るって力持ちだ。入換え専用だから、最高速度も25km/h以上出す必要はないね。

構内の地上にタンクコンテナが置かれている
合同清酒株式会社の酒類専用
UT5A-138

こちらは4076レで出発すすために準備完了している

アクリル酸 2-エチルヘキシル専用
UT5C-26
次は改札口を出た状況を見よう
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黄タンコ見えにくい
2022年7月30日 北九州貨物ターミナル 液化塩素タンクコンテナを探せ!
門司駅を下車後、北口から徒歩10分ほどの場所から黄タンコ2個(コキ200積載)が見える
さすがに夏場に行くと草木が覆い繁っているため、冬期よりは見えにくい。まあ仕方が無い。

これ以上よく見える場所は残念ながらなかった

ズームアップした。強風だったので草木が凪いている瞬間を狙ってナンバーを読み取る

向かって左側 UT13C-8084

向かって右側 UT13C-8083

2021年12月11日 ほぼ同じ場所 UT13C-8067&8068だった
やっぱり撮影は冬場がいいのかも
撮影後は、このまま大牟田に向かいます。
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20号電車の塗装(2011年6月)
2011年6月3日は金曜日だったが、自宅に戻る前に宮浦操車場に寄り道

車庫横の部品取りと言われていた廃車体の45t電車20号機がきれいに塗装されていたので驚きました

2011年6月5日の日曜日に改めて撮りにいったら、その日は大雨で(汗
それでも雨に打たれる塗り立てホヤホヤの元炭鉱電車はきれいだった。雨に打たれるいいオンナみたいに。
あの頃は、このビックリニュースをすぐさまブログで発信、鉄道仲間に連絡したりして、その後その姿を見に来る人多かったなあ。
結局のところ、塗装した理由は分かりませんが、きっとみすぼらしかったから綺麗に見せたくなったと思います。
今も昔も変わらず、炭鉱電車への愛やリスペクトはあったのですね。
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もうすぐお別れ?日本最後の検重車
国内最後の検重車は三井化学専用鉄道にある2両だそうです。他では聞いたことがありません。
三井化学専用鉄道になった、1997年以降~2020年廃止の間に使用された様子はありません。(確証はありませんが、石炭車が運用されていた時代に必要だった)
先日、この検重車が、大牟田の鉄道ファンら曰く「解体線・譲渡線」に移動したと報告がありました。
解体線と言っても、私の知る限りその線路上での解体実績はありません。
譲渡と言えば、2020年3月下旬に貨車のハト、保線用モーターカーが群馬県の某所に運搬されたことがあります。
今回もそうなったらいいのですが。どうなのでしょうか?動きがあればまた連絡貰えるので、報告します。
そもそも検重車って見たことがない読者様のために、その2両を紹介します。

2009年5月24日 宮浦操車場 検1 自重25トン

2009年5月24日 宮浦操車場 検2 自重15トン

という鉄の塊で、秤量所(写真上の小屋)の前にある車両の体重計みたいな装置の「はかり」が正常か否かを判定・校正する車両だと聞いています。人間の体重計が正常なのかどうか、25kgのおもりを載せたら針・表示が25kgを指すか否かというもの。

では?こんな車両、いままでどこにあったの?と思うかもしれませんが、2009年6月以降は、線路の終端部に追いやられていました。何のために留置していたのかは存じませんが、よくまあ今まで残っていたものだこと。

三坑町3号踏切(車庫横)から線路終端を眺めた写真。一番奥の右側に水色の車両が写っていますよね?
これを知っている人は少ないでしょう。知名度が低いですからね。

2020年5月に三井化学専用鉄道が廃止になった後は、写真の様に使わなくなった保線用レール運搬車と一緒にされ、場所もちょっとだけ移動しました。

2021年1月11日撮影 ずっと動きはありませんでした。

そして先日、写真の手前のモーターカーが留置してある線路上に検重車と保線用レール運搬車を移動しました。
レール運搬車は、数人がかりで押す人力での移動をして、検重車は22t電車を入れて牽引したそうです。
さび付いて動かないと思いましたが大丈夫なんですね。
写真は記事の説明用に掲載(2010年1月30日撮影)

2021年7月30日撮影 写真の中央下の車止めが見える線路上です
◆さてさて、私が2009年3月29日に三井化学専用鉄道の宮浦操車場を発見して13年になろうとしていますが、これまで撮った膨大な写真の中から、検重車にスポットを当てた記事が書けるように写真を探し出しました。過去に記事にしたショットもありますが、これはさすがにボツにしたのでは?と思うような、または記事にせずお蔵入りしている写真も探しました。これから徐々にその模様を記事にしていきます。枚数は大してありませんが、ご期待下さい。
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タキの魅力を分かっていなかったあの頃
2009年12月上旬、三井化学専用鉄道から黄タキが消え引退した。12月半ばには形式消滅とか。
同年12月下旬、コキ200積載の黄タンコがデビューした。

私がブログをスタートした2009年は黄タキ最後の年で、奇しくも、その瞬間を見る貴重な年になった。
あの頃は黄タキがいっぱいいた。銀タキは残念ながら見られませんでしたが、私は黄タキで十分でした。

黄タキの検査表記は大半が2010年2月末だったので安心していましたが、まさかその2ヶ月以上手前で引退するとは意外でした。

この年の秋は、全国津々浦々から黄タキの最後の勇姿を見届けに黄タキファンがちょっとだけ殺到(笑)しました。

ブログでも書いたことがありますが、一際目立った黄タキファンは、「ここの黄タキが引退したら二度と(大牟田には)来ないよ」って語っていたのは、今でもとても印象深く記憶に残っています。彼はそれほど黄タキには魅力を感じていたのですね。私にはその魅力の欠片は理解していましたが、ほんの半年ほどしかかじっていないためか、彼の言っていることは全部理解できなかったです。
黄タキが引退しました。その後、その黄タキファンには会っていません。

そして、コキ200積載の黄タンコがデビューしました。これには衝撃をいっぱい受けたのは言うまでもありません。
黄タンコがいっぱい見られた時期が懐かしいです。

しかし、黄タキは数両連結されて運ばれて来ていましたが、タンクコンテナ後はその両数が減って少し寂しくなったのは間違いありません。

それでも私は黄タキよりも撮影期間が長かった黄タンコの魅力にどっぷりはまって行くことになります。
黄タンコは大牟田でデビューする以前から日豊本線や羽越本線で数個が活躍を始めていましたが、こんなに多くの個数と運用数を誇っていたのは大牟田発着だった(実際には旭化成のある南延岡発着が1番多い)ので、私はつくづく恵まれた環境に居たのだなと思いました。もう誰にも止められないほど黄タンコ黄タンコって叫んでいたような日もありましたね。
◆今思えば、北九州貨物ターミナル発着の入換えや南延岡発着についてもっと研究・追跡撮影したかったですね。

なんだかんだ言って最後まで大牟田に特化して、井の中の蛙になりました。特化することは悪いことではありませんし、自分の思うように観察しつづけられたのは今でも自慢ですし、後悔はありません。
そして大牟田を離れる時が来ました。
新天地では、当たり前のようにタキを見られる地域でした。

新天地では10数両のタキ1000等が連なる専用貨物列車に魅力を感じました。それからもう一般のコンテナカモレより、タキカモレに執着するようになりました。

遠征先の福島臨海鉄道でもタキの魅力に囚われました。いいよね~!!
2009年に大牟田の宮浦操車場で出会った黄タキファンの言っていたタキの魅力が、大牟田を離れて新天地に来てよく分かりました。離れて感じることは多々ありますが、新天地での私はタンクコンテナもタキ(貨車)もかなり大好きになっていました。井の中の蛙ではなくなり、特化することも薄れてゆくことになります。
そして2021年現在でもタンクコンテナやタキにとても興味があります。その様子は当ブログではメインで書けませんが、今回の様なスタイルで記事に出来たら良いかなと考えています。コキ200も忘れていませんからね!(笑)。
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コキ200との出会い(2009-3-29)
本ブログでは、コキ200についてもかなり触れてきましたが、
私が大牟田の三井化学専用鉄道に出会うまでは、貨物コンテナどころか、貨車のコキすらよく分からない有様でした。

2009年3月29日 宮浦石炭公園から見下ろした宮浦操車場には、荷を載せていない状態のコキ200が留置していました。
◆頭の中には鉄道の知識はあっても、コキシリーズまでは知らなかった筈なのに、コキ100~106を知らないまま、マイナーなコキ200を先に知ってしまう辺り、私はこの時「井の中の蛙」に足を踏み入れていたのですね。


市道か私道かよく分からない道からフェンス越しに気になる範囲で撮りました。市道で良かった。
この時は本当に何にも知らない、ずぶの素人で、三井化学の専用貨物線だということすら知らなかったのに、なぜか炭鉱電車以外にはコキ200に惹かれました。この先は滅茶苦茶気になる撮影対象になるとは思いもよらなかったです。

もしコキ200が留置されていなかったら、炭鉱電車だけ(当時は電気機関車と呼んでいた)しか興味を抱かなかったのだろう。
当時、コキ200の用途は海上輸送コンテナの積載用だった。まだ濃硝酸のタンコデビューまで3ヶ月、液化塩素タンコのデビューまで9ヶ月先であったので、普通に宮浦操車場内に銀タキや黄タキがいっぱいいたら、きっとそっちに目が行っていたであろう。2009年3月はちょうどリーマンショックの影響か何かで専用貨物の運転が滞っていたらしく、おそらくそのまま年次長期ウヤに突入したのかもしれない。
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大牟田駅構内貨物のDLの今~DE10-1560
かつて大牟田駅構内貨物列車として駅構内に常駐していたDE10(晩年はHD300)は、門司機関区所属の本線用・入換動車が3ヶ月周期で交代しながら活躍していました(HD300は岡山機関区所属)。大牟田のDE10の晩年は、検査切れまでの日数を延期できる入換動車ばかりになりました。数々のDE10は入換動車として検査切れ間近まで活躍して、ほぼ廃車になっています。しかし、今でも残っているナンバーがいます。1560号機です。

大阪貨物ターミナルに行くと、何故か九州に居るはずのDE10-1560がいました。
大阪貨物ターミナルは昨年に紺色のDE10が引退して、元大牟田常駐機のHD300-27が就任しましたが、これもいつの間にか愛知の稲沢に回送されて音信不通(汗)。DE10-1560はいつの間にか岡山機関区所属になっていました。
JR貨物の門司機関区は、かつてDE10が担っていた入換え・試運転の運用(幡生の入換えDB500を除く)を現在、ほぼDD200が担っているようで、DE10の出番はほとんど無く(甲種輸送の運転はあるようだが)、所属機も3両まで減りました。最近1748号機も岡山機関区に貸し出されているとかで、門司機関区からDE10が消滅するのも時間の問題かと(2021年2月現在)。
そんな、入換動車のDE10-1560が大牟田で活躍していたころを振り返りましょう。そしてなぜ長生きしているかも説明しましょう。

2015年7月12日
大牟田の駅名標とDE10-1560
もちろん狙って撮っていますよ

2015年8月14日
機関車によって、「入動」の文字サイズは異なりますが、1560号機は文字サイズが大きい方でしたね。

2015年7月11日
「入動」になると、大体は2年以内に姿を見せなくなります。検査切れですぐに消えたナンバーもいましたね。

2015年7月12日
JR貨物塗装機の中では、結構マシな方だったと思います。

2014年7月21日
仮屋川操車場から大牟田駅に戻る復路列車です。尾灯が2灯とも点いていますね。
基本は1灯ですが、

2016年1月11日
点いていなかったり、1灯だったりと運転士によりけりだっと思います。

2015年7月12日
まだ反射板を付けて走っていない時期です。そろそろそのシーンが当たり前になる頃だったかな?
◆入換動車特有?なのか、スカート部分はエアホース1本のみの装備になっています。
貫通ブレーキホースなどは撤去されています。こうなると寂しく見えます。

2014年6月29日撮影
仮屋川操車場での懐かしい並び。DE10-1560と三井化学専用鉄道45t電車18号機
次は、2015年10月24日に門司機関区でのイベントの際に、構内で撮影したときのこと。

めちゃくちゃピッカピカなDE10-1560が展示されていました

なんでも全般検査を行ったそうで、入換動車の縛りがなくなり、晴れて本線用に復帰だとか。
だから、2021年2月現在でも生きているのですね。しかし、今年秋には検査切れでしょうか?また入換動車措置で延命するかな?
◆それにしても、入換動車が全般検査して本線用に復帰とは驚いたな。前例有るのかな?それとも元からその予定だったのか?
2015年10月、JR貨物の門司機関区所属のDE10では1560号機が最後の全般検査対象となったそうです。
現存している、1559、1745、1746号機は、1560号機より早く検査切れになるのかな?
もう1両ほどDD200が九州用に配置されたら、JR貨物の九州エリアからDE10は消えてしまいそうです。

これ以上は中に入れなかったので全体が撮れませんでした。
大牟田常駐DE10で、かつ最後の常駐機だった1748号機は、現在岡山機関区でどう扱われているのかな?
資料によると1748号機は2021年2月現在も入換動車だそうだが。機会があったらその勇姿を撮りに行きたいけれど。
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おかしな点だらけな記事にもの申す
去る6月20日、某有名鉄道専門雑誌の8月号に
「三池炭鉱と三井三池専用鉄道の歴史」というタイトルの記事が6ページに渡って紹介された。
◆じっくり読んでみると、「三井化学専用鉄道」の章にて、6ヶ所もおかしな点に気づきました。
読者のみなさんはいくつ見つけられましたか?(この雑誌を購入されて読まれた方にしか分かりませんが)
事前に私にチェック(校閲)させて欲しかった。な~んてね(笑)。
①「(液化)塩素」の事を「塩酸」と表記。
②濃硝酸の事を硝酸と表記。銀タンコ側面に何と表示しているか見ていないのか?そのまま書けば良いものを。
硝酸には濃度によって、濃硝酸、希硝酸と区分するらしい。面倒なので単に硝酸と呼ぶ人もいる。
③「2009年12月に完全タンクコンテナ化」が正しいのに、「2011年12月に完全・・・」と書いてある。
④大牟田貨物の列車番号が4175レ・4172レから1151レ・1152レに変わったのは2010年3月ダイヤ改正からなのに、2012年と書かれている
⑤1152レは黒崎から積車タンコを牽引する文章になっているが、それは2019年3月からであり、それ以前は154レが担っていた。
さも昔からそういう運用である書き方はいかがなものかと。筆者の取材が昨夏だけだから情報不足かな?
⑥鉄道輸送廃止後の濃硝酸(記事は硝酸のまま)は、三池港からタンクローリー輸送が想定されるとあるが、3月から従来の銀タンコを利用したトラック輸送が始まっているのに知らないみたいだ。コロナの影響で最近の取材が不可能だったかもしれないが、もう少し情報収集したらいかが?と。
②⑤⑥に関しては仕方が無いだろうが、③④は間違って欲しくなかった。①は筆者の単純な間違いなのか?ミスなのか?
この著者は三井三池専用鉄道時代よくまとめられていますが、三井化学専用鉄道時代や大牟田専用貨物については、情報不足です。ただ、「コキ200のみに揃えられた編成美の列車」と書いてあったのは称賛に値します。

大牟田のは今も昔も濃硝酸である。単に硝酸って書かれると個人的にがっくりくる。

液化塩素は、鉄道ファンからは一般に「塩素」って呼ばれますが、「塩酸」って書く人がいるとは!!そんなの聞いたことが無い。
それとも、化学の成績がイマイチだった私が間違っているのか?
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さよなら大牟田駅常駐機関車~HD300-27
2020年5月26日
九州の知人より、8151レで単機が鳥栖貨物ターミナルを下ったとの目撃報告がありました。
大牟田駅構内にずっと残っているHD300-27のお迎えに行ったのでしょう。大牟田貨物ラストランから19日も残っていましたね。
いつまでも居ると何かが起こりそうで、変な妄想や期待をしていましたが、それも今日で終わりを迎えるようです。
今回は、「さよなら大牟田駅常駐機関車」とは題して、過日撮影の未発表写真で3部作でお届けします。

大牟田駅に来たら、まずは構内隅っこのオフレールステーションに常駐しているHD300に挨拶に行くのが習慣でしたね。
旧駅名標が残るHD300との風景です。

運転期間は毎日ここに22時間近く留置しています。なので駅構内外から撮り放題なのです。
実際、大牟田貨物が到着してからすぐに動くことはなく(すぐ動く日もあった)、8:30前後~10時半過ぎまでしか稼働しません。
お馴染みの構内貨物列車を引く区間も片道2キロくらいで、大牟田駅構内や仮屋川操車場で機回ししまくって、1日大体6キロくらいしか走らない、知らない人が見たら非常にもったいない使い方をする高価な機関車ですが、その使命は大きいのです。それは別の話なので今回は書きませんが。

この風景を見ていると、一般の貨物駅に見えます。でも大牟田駅はかなり昔からオフレールステーションと化しています。
なのにこの環境下で機関車が常駐しているって風景はなかなか面白いです。
HD300の配置としては日本最南端です。最西端は、経度の関係で福岡貨物ターミナルです。

原則として大牟田駅の常駐機関車は、2018年2月下旬からHD300-27でありました。定期検査(交番検査)の時だけ、代役の21号機が来ました。一時的な措置でDE10-1748が来たことがありましたが、それ以外の機関車は来ませんでした。2018年2月以前のDE10時代は、数ヶ月ごとにいろいろな門司機関区配置の入換動車であるDE10が来ましたね。

偶然でしょうが、大牟田駅の駅ナンバリングが27に対し、常駐機関車も原則27号機って不思議ですね。特別な縁を感じます。

私もこれまで、黄タンコ、銀タンコと呼びやすい愛称をつけてきましたが、このHD300-27に「ハイブリッドニーナ」ってつけてやったら、本家66-27ファンから叩かれましたね。良い意味で(^^)。ま、そんな呼び方する人って私くらいでしょうか?

運転室内に反射チョッキが干されています。臭わないのかな?
続いては駅構外から撮ってみましょう。撮影時刻は16時過ぎでした。

2・3番線ホームが邪魔で足下が見えませんが、まあいいでしょう。

背景に大牟田市庁舎が見えます。どうなるのかな?この市庁舎。

ハイブリッド機関車がいた風景。今日で見納めです。
午前中は左側にEF81やED76が居て、銀タンコ黄タンコを積載した編成が居るのですが。
草ぼうぼうで線路が見えません。一番手前の線路は保線用みたいで使われません。

朝方撮ると、ハイブリッドも暗く写るので、撮るならやっぱり16時ごろがいいですね。
次の記事は滅多に書かない、大牟田駅常駐機関車の軌跡(笑)と題して、どこをどう走るかご紹介します。
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並びの思い出~炭鉱電車 45t VS 22t
ひとえに「並び」といっても、その状態は様々なシーンがあると思います。
私もこれまで並びはたくさん撮ってきましたが、
今回紹介するのは、三井化学専用鉄道内の宮浦操車場で2車が停車している状態のものです。
炭鉱電車が停車して並ぶチャンスは、毎日何度かありました。それを狙って撮るのが必須でしたから、正門の東泉町2号踏切で撮影しても、裏側並びになるので自分ではあまりかっこよくなかったと思いました。裏側とは私が勝手にそう呼んでいますが、それは22t車のバッテリー側から撮影することを指します。表側とは今回紹介する順光でナンバーがはっきり見える側を指します(あくまで管理人の主観です)。

管理人が呼ぶ裏側並びの例です。一応停車して並んでいますが、片方は何号機かよく分かりません。
45t電車は18、19号機があり、22t電車は9、11、12号機があります。それぞれの並びのパターンが6つあります。
11年間の撮影記録を紐解いてみましょう。

2012年9月3日 19号機と9号

2019年12月15日 19号機と11号機

2015年7月20日 19号機と12号機

2009年9月6日 18号機と9号機

2019年7月27日 18号機と11号機

2014年4月19日 18号機と12号機
意外としっかり撮っていないパターンがあります。しかし、6パターン揃っているだけマシでしょうか。
石炭公園からの俯瞰撮影は他にもいくつかあります。今回の条件で管理人が最も好きな並びシーンは駅事務所下から狙った近距離位置からの並び撮影でしょうか。ここからの眺めがとてもきれいに思いました。
また別の機会に、違うパターンでの並びを複数パターン紹介します。今回の裏側並び、斜め並びや、片方が走行中、はてまた両方が走行中(動画で見ないと分かりづらい)とか、また過去写真を集められたら書きましょう。
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大牟田駅北側の機回し&1152レ出発準備
2020年2月15日 大牟田駅北側の有明町踏切で撮影
この踏切はとても道路幅員が広いので、障害物も少なく踏切撮影に抵抗がない人にはうってつけの場所です。でも撮影は歩道部からしましょうね。
HD300の機回しを南の引き上げ線で見届けたら、急いで有明町踏切に移動です。
時間ぎりぎりセーフで、EF81単機が迫ってきていました。

あれ?操車係がこちらに背を向けちゃったよ。停車中なので理由は分かりません。くしゃみかな?(笑)

入換信号機が進行表示になって、EF81が踏切に向かってきます。

通過シーン

最近は、踏切道を通過した位置まで移動して停車する傾向があります。私がいつここへ来てもそこまで移動します。操車係によるのかな?

入換信号機が5番線路入線指示になります

一呼吸置いてから発進です

西鉄電車と同一方向へ並走するだけでもにぎやかです

そして1152貨物列車と

連結を完了して、操車係の出発前準備や点検などが完了したら

出発待機位置まで進んで入換尾灯が消えます。
こうして、12時08分の出発時刻まで待機です。
この待機時間を利用してお昼ご飯に向かう方、北上して別の駅や沿線で撮影されるかたがそれぞれいます。
◆貨物時刻表を確認すると、上りの大牟田貨物8152レは3月14日のダイヤ改正後は大牟田駅の出発時刻が20分も早くなりました。管理人はダイヤ改正前の時刻で書いていますので、悪しからずご了承ください。
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この時間は滅多に来ない場所にてご挨拶
2020年2月15日 大牟田駅構内南の引き上げ線にて
誰とご挨拶かって?深い意味はありません。この時間にこの場所に来るのは最近滅多にないもので来たくなりました。
別の時間帯なら1063レなどのカモレを撮影しすることはありますが。

いつも大牟田貨物1151レの大牟田駅到着を待つ位置のちょっと南寄りです。
大牟田駅戻りの構内扱いカモレが見えてきました。

そのカモレが停車して操車係が下車、手前のEF81の運転士も降りてきました。
ちょっと時間があるので、急いで南の引き上げ線に移動です。

HD300-21がEF81の左側を抜けて

私の方に向かってきます

大牟田駅のHD300はこんなにも大掛かりな構内機回しが必要です。

だって大牟田駅ははるか昔は20両以上の石炭車(セキ)を連ねて留置する有効線路長さを誇る広い構内ですから、現在もその広さが残っています。貨物駅としての機能は廃止され、南の引き上げ線路も機関車2両程度が入れる有効長さしかありません。

大牟田駅北側の道路幅がとても広い有明町踏切で機関車の機回しを眺めるのも面白いでしょうが、ここ南側の引き上げ線も隠れた撮影場だと私は思います。

機関車まで手が届くのでは?と思えるほど接近して撮れます。

撮影はしていませんが、ここでは操車係が持つ無線に呼びかける言葉を間近ではっきりと聞けます。これはこれで楽しい瞬間。

こうしてHD300はいつものねぐらに帰っていきました。
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続~宮浦操車場から真っ先に飛び立った車両たち
2020年3月24日に宮浦操車場から搬出された、無蓋車ハト、モーターカーなどは
記事に取り上げられることはほとんどなく、風景の1コマとして語られていた。
振り返ってみると意外と多く撮影して登場はしている。

2010年5月16日 45t電車19号機と並ぶ姿は貴重?ですかねえ(;^_^A

5月は毎年長期ウヤになっている季節

この時はウヤ中に保線工事でも行っているからこの線路上にいるのかと思っていた。実際のところ、当時保守工事を見たことがないので何とも言えませんが。ただの疎開だとも言えます。

2009年8月29日 煙突のある公園から眺めてみました。
当時の車両たちが勢揃いしていますね。

2009年12月26日 留置位置がころころ変わります。謎ですね。

2009年11月3日 午後の斜光線を浴びるハト、銀タンコ、黄タキも三型が並んだ写真は多くない

2014年5月31日
搬出後もレール運搬車の一部が残っているという

木のまくらぎを載せて走ったのかな?
もう解体しかなかったと思われるハトたとは、これから第二の人生が(第二か?)待っている。

搬出のために利用した門扉はおそらくここである。当日は吊り上げるためのレッカー車(俗に言うクレーン車)も入れて、貨車などを吊り上げてトレーラー荷台にうまいこと載せていたそうだ。
さよなら、また会える日まで。
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宮浦操車場から真っ先に飛び立った車両たち
大牟田のブログ「炭鉱電車が走ったころ」の管理人ed731003様より、2020年3月24日に宮浦操車場内のハト、保守車両らが飛び立ったとの報が入りました。先日アップした操車場内にずっと留置して使っていなかった貨車2両と、これも軌陸車の登場で全く出番がなかった保守用モーターカーなどがトレーラーに載せられて群馬県の某所に旅立ったのでした。当然ですが帰らぬ旅路です。
その模様は残念ながらお伝え出来ませんが、そのうち「炭鉱電車が走ったころ」のブログ内で紹介されると思いますし、Twitter検索すれば他の撮り鉄さんが撮影した当日の模様が出てくるかもしれません。ここで言う他の撮り鉄さんとは、平日に訪問された方をさします。
改めて過去11年間の写真を探したところ、貨車のハト、モーターカーが見つかりましたのでアップします。
今の今までこれらで記事を書いたことはないです。だって動いているところや使用しているところを目撃したことがありませんから、記事に出来なかったのでありますよ。

この写真に写っている車両が全部載せられたようです。

貨車のハト(ハト型10トン積み無蓋車)
鳩じゃないよ。でも鳩みたいだから、飛び立ったというジョークが言えるのだ。

ハト152

ハト37

写真の荷重10トン表記
ハトの「ハ」は函台車のハ、「ト」は10のトー

モーターカー
レール運搬とかに使ったんだろうが、けん引力は十分あったのだろうか

随分小さいから運転するの大変だっただろうが、15t電車のガメ電に匹敵するか?

いつだったかきれいに塗装されたモーターカー。でも搬出されたときは色あせていた。
つづく
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何やってんだろう~8分も踏切開かず
2020年1月12日 大牟田駅北側 有明町踏切
HD300もEF81もこの踏切を遮断してスイッチ運転(機回しのため)を行います。なので撮影にはもってこいですが、時にはイライラが爆発しそうなほど長く踏切が遮断されます。昔のように特急街道ではなくなったにせよ、すぐ横がJR・西鉄の大牟田駅ですから踏切の閉まる回数は多く、JRの上りは特にひどい開かずの踏切化します。今回も理由は不明ですが、8分も開かずで酷かった。私はのんびり撮影を待つだけですが、車や徒歩、自転車で渡りたい人たちは相当イライラしていただろう。だって何の列車も通過しないのに遮断しっぱなしだったから。私も以前は大牟田市民で、結構な長い時間の開かずの踏切に泣かされたものです。どう考えても上りの踏切システムは改善するべきだと思う。
で、有明町踏切の警報機が鳴り、遮断器が降りた。ただいま8:42

5番線路の出発信号機が進行に変わった。

操車係はステップに乗り、汽笛がなって動き始めるのを待つ。

8:46
だがいつ迄経っても動かない。あれ一体どうなったの?

8:47
降りちゃった。動かす気がないの~?時間は刻々と過ぎてゆくが、遮断器は閉まったまま。オイオイ(;^ω^)

上り列車が2番線に到着。先に行かせるの?と思うが、HD300は本線には入らず駅構内でスイッチするので関係ないはずだが。

8:48
再びHD300-27に操車係が乗り

やっと動きました。

と思ったら、上り電車も同時に踏切を通過~ってオイ
HD300-27は写真の位置で停車します。HD300の奥のポイントは逸走(過走)防止線に向いているから大丈夫。

入換信号機が4番線路にと点灯。
踏切待ちの車や歩行者のイライラはピークだ。

操車係がステップに乗り、運転士に進行指示を出します。

8:49
再び踏切を横切ります(鉄道車両は横切るっておかしいかな?)

4番線路に向かっていきます。
やっと遮断器が開きました。やれやれやっと開いた~と思ったら次は西鉄電車の発着で再び閉まります。渡り切れなかった車はがっかりでしょうか。
撮影の皆さんもお気をつけて~

最後に踏切上から~大牟田駅構内を眺めましょう。
つづく
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いつまでも変わらぬ編成を
2019年12月15日 晴れ 大牟田駅
「いつまでも変わらぬ編成を」って、25年くらい前に似たようなタイトルの歌が流行ったと思うが(;^_^A

大牟田駅東口改札側から望む大牟田貨物1152レの後方の編成。普通に撮るとこんな感じに見える。

シャッタースピードを上げて撮ると、まるで映画の一コマのように見えてしまうのは私だけだろうか。
ここまでやると、黄タンコの黄色の色合いがものすごく強調されるように思える。
普通に撮るのもよいが、余裕があれば設定を変えて、違う見方の撮影もしてみたい。別に撮り飽きた訳ではないのだが。
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間近で見ていると
2019年12月14日 晴れ 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
時間もたっぷりあるので、間近で見ていたらいろいろ気になります。

黄タンコのあそこは何て書いてあるのかな?って

タンクコンテナUT13C-8083の型式、製造番号、製造年月・・・フムフム

毒マークはお馴染み。毒マークプリントシャツとか流行らないかな(笑)

まだ刻印プレートがある。こちらは検査履歴とかもっと大事な情報なんでしょうか。銀タンコには見当たりませんが。

45t電車19号機は昭和12年2月製造のペンキ刻印。

ふと見上げると逆光で
特にオチはありません。時間潰しには持って来いです。
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大牟田貨物1152レを牽く釜~EF81-717
2019年12月14日 晴れ 大牟田駅
大牟田貨物の牽引機はいつも撮っていますが、1152レの編成内容と一緒にしています。今回は独立した記事にしました。

この日の牽引はEF81-717

ナイナ~って呼んでいますが、無いな~に聞こえますね(笑)。

電機ファンの嫌がるHゴムってイマイチよく分かりません。

縦撮りってこういうときくらいしか

みなさんが

よく撮るナンバープレートと車歴銘板。

大牟田駅で出発待機中はこれ以上前に行けないので、先の記事のように前進する前に撮るしかありません。

だからこんな撮影が限度なのです

さて、お昼ご飯食べたら、レンタサイクルを利用して1152レを近所で撮りましょうか
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