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あの頃の宮浦操車場(2013-8-4)

今から10年前の2013年8月4日の宮浦操車場の懐かしい風景を

130804宮浦1 (17)のコピー
45トン電車は19号機でした
スイッチして誘導係が進行方向のステップに乗っています

130804宮浦1 (20)のコピー
45トン電車はその後、第1便編成に連結してそのまま推進運転で駅事務所奥の返却貨車に向かいます

130804宮浦1 (28)のコピー
奥の黄タンコとも連結し、7両編成で仮屋川操車場へ出発します
この広角の煙突が入った風景が好きでした

130804宮浦1 (35)のコピー
黄タンコのコキ2両が最高に素敵でした

1時間後・・・
130804宮浦2 (68)のコピー
仮屋川操車場から、貨車を引いてきました
おや、海コンもまたこの頃は減車はあっても運用があったのですね。

この日の停車位置は駅事務所のずっと奥でした。そしてまるで仕分け線に銀タンコと黄タンコ、最後に海コンが楽に引けるような入換え作業がありました。この入換え模様はなかなか見応えがありますし、45トン電車の活躍時間がいつもより増えます。

130804宮浦2 (79)のコピー
まず、2両の黄タンココキを留置して、隣に銀タンコ+海コンを留置させます
なので短い区間を45トン電車が2往復も動き、最後はねぐらに戻ります。
なかなか楽しい時間でした。

130804宮浦2 (88)のコピー
仮屋川操車場に行った便も、当日の1151レで運ばれてきた便の両方ともに黄タンコがコキ2両なのは嬉しかったですね。
と言ってもこの2014年くらいまでは盛況でしたから、そのシーンは頻繁に見られました。

130804宮浦2 (90)のコピー
銀タンコの留置が終わり、45トン電車が居なくなると同時に20トン電車がバッテリー駆動で始動します

130804宮浦2 (105)のコピー
9号機が銀タンコの1両目のコキを工場へ引いていきます

130804宮浦2 (110)のコピー
宮浦操車場の広々とした風景です。
この後の撮影記録が無いので、きっとDE10構内貨物や1152レでも撮りに行ったのかな?

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思い出の風景(2011/7/30)

今からちょうど12年昔の、2011年7月30日はどんな場所で、大牟田の鉄道を狙っていたのか。

110730仮屋川第一便 (11)c
旭町信号所(京町踏切付近)で、第1便貨物(仮屋川操車場行き)を待ち構えていました。
牽引は18号機で、2011年6月に全般検査を終えたナンバーです。

110730仮屋川第一便 (14)c
目の前を通過しても最後尾から編成の確認です

この後は単機回送(第2便)を見送ってから大牟田駅に向かい、DE10構内貨物を撮っています。

110730宮浦 (11)のコピー
宮浦操車場に来ました。黄タンコいますね。
南延岡発の液化塩素タンクコンテナの運用はどうなったのjかな?まったく情報がありません。

110730宮浦 (18)のコピー
第4便が引いてきた原料(他の人は「財源」とかいいますが)編成が停車しました。
この後、エア抜きをして切離し・入換え作業が始まります。

110730宮浦 (20)のコピー
駅事務所前を通過する列車
20トンは9号機ですね

110730宮浦 (21)のコピー
電車次位の空コキと銀タンコの2両を留置線に引いていきます

110730宮浦 (25)のコピー
石炭記念公園から撮っているので、車止めハンドル回すシーンがばっちり撮れます

110730宮浦 (26)のコピー
同じく隣のコキ200に渡って回します。あれ、一度回してみたいです。

110730宮浦 (28)のコピー
本日の用が済んだ18号機は、停泊場所に戻ります。
45トン電車がお目当てのファンは「え?今日はもうこれ以上動かないの?」って聞いて来て、
事実を伝えると残念・がっくりして帰って行く人を何人も見ました。

以前にも似た様なことを書いたことがありますが改めて
◆三井化学専用鉄道を撮りに来る人って、
①45トン電車
②バッテリー駆動の20トン電車
③コキ200
④濃硝酸タンクコンテナ(銀タンコ)
⑤液化塩素タンクコンテナ(黄タンコ)
⑥海上輸送コンテナ(海コン)
以上のどの車両やコンテナが目当てなんだろう?って考えたことがあります。
私は③~⑥が大好きで(笑)、①②も興味有ります。

遠方の大牟田までわざわざ撮りに来るファンって、基本専用鉄道好きですが
①の凸型大型電機狙いが多く、その次に②です。だから①の運用が終わると
帰られる人が居たのです。もったいないな~こんな遠方まで来て帰っちゃうなんて。

また、20トン電車は地味で人気があまり無かった印象があります。
実はバッテリー駆動というのが、意外と鉄道ファンの間で知られていなくて
後年はハイブリッドだとか、ディーゼル機関車だと誤解されたり
パンタを下げて走っているのがにわかに信じられないから、
私の写真や説明がウソだとか言うヤツも居たり・・・(汗)

ま~、いろんなお目当てのファンらが訪ねて来たのを覚えています。
(ただし、挨拶して打ち解けて話が出来た人に限ります)
模型鉄や録音鉄を除くと、大体①目的で、ついでに②で1日堪能するって
パターンの旅行者が目立ちました。
③④⑤がお目当てなんて人は皆無でした。そりゃそうだ(笑)。
ただ⑥の入換え・積み換えを楽しむファンは若干数いました。

この撮影日の3ヶ月後、コキ200積載問題の変な運用が始まり
③④⑤は新たな局面を迎えるわけですが、それはまた別のお話です。

110730宮浦 (31)のコピー
この日はどういうわけか、10時過ぎには撤収していました。
この後私はどこに行っていたんだろう?覚えていませんし、記録がありません。

懐かしいあの風景は今後も不定期でお届けします

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早朝の宮浦でこれから長くお世話になる撮影の誓いを

2009年7月3日 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
今からちょうど14年前になるこの日の撮影
7月最初の撮影日。
そして私もびっくり~この日の撮影時刻が朝の5時半頃だった。
一体何でこんな朝早くから撮っていたのか~記憶にありません。
それもその日は金曜日であったが、仕事はお休みだったのかな?

09-7-3宮浦操車場 (31)のコピー
2009年のシーズンはスタートしていた
まだ状況がよく分かっていなかったが、何にせよ貨車がいっぱいだったから興奮していたと思う

09-7-3宮浦操車場 (32)のコピー
朝早かったのはたまたま目が覚めたのだろうか?
当然だがまだ動きは無い。

09-7-3宮浦操車場 (46)のコピー
45t電車は19号機が居ました。20t電車はナンバーが見えないね。

09-7-3宮浦操車場 (38)のコピー
まだまだ貨車のお勉強が足りていない頃でした。
タキ5450とかコキ200、タンクコンテナとか鉄道貨物用語やナンバーなど知らない事ばかり。

09-7-3宮浦操車場 (49)のコピー
そんなまだまだ新米撮り鉄が、のちに伝統ある三井化学専用鉄道(旧三池炭鉱専用鉄道)とは知らずに、のめり込んでいくのです。

7月の朝は気持ちイイですね。最低気温も20℃を下回っていたのかな?
現在のようなゲリラ豪雨という言葉はなく、猛暑なんてまだ緩かったです。

◆この日を境に、7年後の2016年7月20日までこの専用鉄道を中心に撮影を頻繁に行うようになります。
 あの頃の私はどんな将来設計をしていたのだろうか。
 もうワクワクとドキドキが止まらない衝動に駆られていたのか。
 大牟田という街に住み、三井化学専用鉄道を知り、そして底なしの沼に入っていく私の背中を思い出すよ。

◆◆◆これから長い間になるとは想像していなかったけれど、撮影お世話になります!って誓いの言葉を今なら呟きたいものだ。

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この時期の宮浦(2013-6-9)

5月の大型連休が明けた頃から、6月半ば迄は工場全体が整備・工事などで休みになるため
三井化学専用鉄道は原則として運転がお休みになっています。

写真は10年前の2013年6月9日の宮浦操車場の様子
130609宮浦 (3)のコピー
普段と違う場所に45t電車がいます

130609宮浦 (6)のコピー
レールは赤錆びており、長い間走っていないことが分かりますが
6月半ばになると、運転開始に向けて週2で錆び取り運転を行います。

錆び取り運転は平日作業のため、私もほとんど目撃したことがありません。
その運転は、電車単独(45t、20t)で行ったり、操車場内に留め置いてある
空コキを引いて行ったりです。
また、錆び取り運転がない平日は、何かしらの保線・整備作業などが
実施されており、普段見ることが出来ない風景もあります。

ただ土日は静かな宮浦操車場となっており、事情を何も知らずに訪れた
鉄道ファンの中には「廃止された」とSNS上で囁いたりする輩がいました。(マジな話)
意外とこのウヤ時期に訪問する鉄道ファンが多いのはちょっとした謎です。

宮浦の車庫を眺めて~2009-5-28

14年前に撮影した写真を見ながら、あの頃を振り返ります
09-5-28宮浦操車場 (6)のコピー
2009年5月28日
まだこの鉄道を頻繁に撮影することになる1ヶ月前の初夏のある日。車庫前の扉が開かれて中で何かの整備中か。そしていつの間にか部品取りの3両が車庫前に移動されていた。まだこの時期が毎年恒例の三井化学工場の長期整備中のお休みとは知らず、専用鉄道が何故動かないのか不思議だった。

09-5-28宮浦操車場 (4)のコピー
車庫の中がどうなっているのか、当時は入れなかったし、どこから見ても覗くことは出来ませんでした。

09-5-28宮浦操車場 (5)のコピー
これら3両が部品取り用なのかどうかもよく分かりませんでした。

2009年5月は3回宮浦操車場を訪れています。
動き始めたら撮りたいという願望が徐々に芽生えていました。
その頃はまだブログを作りたいとか何も考えていませんでしたね。
あれから14年が経ちましたね。
今後も、あの頃を振り返りたいと思います。

2014年4月19日の宮浦操車場

今から9年も昔の2014年4月19日(土)は、宮浦操車場の駅事務所下付近で撮影していました。

この日の電車は、45tが18号機、20tが12号機でした。

140419宮浦 (37)c
在りし頃の宮浦駅事務所下に停留中の45t電車
撮影をご一緒したのは、お馴染みのed731003氏。

140419宮浦 (40)c
さ~て、仮屋川操車場に貨車をお迎えに参りますか

140419宮浦 (47)c
足取りも軽く発進(出発)です

140419宮浦 (51)c
15分後に貨車を引いてゆっくり戻って来ました。
操車係が途中下車しようとしています。

140419宮浦 (60)c
操車係は停車する編成の最後尾付近で下りて車止めハンドルをくるくる回します。
編成は銀タンコ積載のコキ200が5量、黄タンコ積載が1両の6両編成。

140419宮浦 (70)c
入換え作業のため、45t電車が私の立ち位置まで再接近です。迫力満点だ!

140419宮浦 (76)c
入換え作業終了したら45t電車がねぐらに戻ります。

140419宮浦 (82)c
次は工場への輸送のために20t電車が動き始めます

140419宮浦 (84)c
操車係がステップに乗って前進。春風を体いっぱいに受けて気持ちいいかな?

140419宮浦 (87)c
18号機と12号機のツーショット。
ここからなら、いつでもツーショットが拝めましたね。

やっぱり炭鉱電車はコンテナ満載の貨車(コキ200)を引いている姿、光景が1番素敵ですね。

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寂しくなった車庫

20220730 (114)のコピー
2023年1月12日に炭鉱電車45t18号機、20t電車12号機は、この扉から引き出されて万田坑へ旅立ちました。
1月14日に見に来た私ですが、もうこの中には残り3両しか居ないと思うと寂しいですね。
この車庫もいつまで残るのか。

さよなら~炭鉱電車の運転

大牟田荒尾の炭鉱電車保存会のメンバーからの情報によると
現在、車庫から線路終端部まで(通称:ウレタン線)を、
炭鉱電車が週2回、モーターの固着防止の運転していますが
それが9月29日をもって終了するそうです。

20220424 (121)のコピー
ウレタン線と呼ばれる線路は、海上輸送コンテナを扱っていた線路のことです
(現在、写真に写っている車止めは撤去されて万田鉱への移設準備中だそうです)

20220424 (125)のコピー
かくいう私は、宮浦操車場の線路撤去後にウレタン線で週2回運転が行われている様子を見たことがありませんので

20111103宮浦5 (290)c
イメージとしてこんな感じ(現在は貨車はありません。バッテリー車を連結した姿の単機運転です)
 2011年11月3日撮影

130120宮浦4 (108)のコピー
イメージとしてこんなところまで電車が来しています。さすがに単機でここまで来たシーンも見たことがありません。
2013年1月20日撮影

三井化学専用鉄道の貨物輸送が終了した2020年5月7日以降で
イベントやイベント準備以外では、この運転模様を見たことがありません。
理由は、私が平日に休みにくいお仕事だからです。仕方がありません。

20121028宮浦 (158)c祝
現在は12号機が動いています。11号機と交代しながら運転して動態保存をアピールしていました。
将来12号機は、万田鉱の炭鉱電車保存スペースに移動する計画があります。

20111022宮浦 (35)c
最後の運転が終わったら、車庫の反対側の屋外に引き出され万田鉱への運搬を待つことになります。

20220730 (115)のコピー
車庫の反対側とは上の写真のことです。屋外に延びているレールは奥側だけです。
いつかの搬出の際は、12号機をこの車庫の外側までウインチとかで引っ張り出すそうな。

2021-07-31 (272)のコピー
2021-07-31 (274)のコピー
現在、車庫の奥の線路(上の写真で言う左側)に45t電車18・19号機がいるので、
その2両をいったん外に出して留置後、12号機を先頭にして(上の写真でいう左側の手前)
11号機が18・19号機を元の位置に戻すと考えられる。
万田鉱へ移動する電車は12・18号機なのでその順番に並べるでしょう。
(2021年7月31日 ラストランイベント時に撮影)

更に、来月から固着防止運転をやめてしまうと暫くしたら、運転が困難になるとのことです。
元々デリケートで、繊細なバッテリー駆動車らしく、人の手が入らなくなると駄目になるようです。
なので、万田鉱へ移転したとしても、動態保存への道はなかなか険しいと言われています。
(メンテナンスや設備の都合もあり)

9月29日は、本当に最後になるまともな走行(固着防止運転・動態保存に向けたアピール運転)
を見に(もしかしたら惜別)多くのファンが集うらしいです。
私も見に行きたかったですが、残念ながら休めないので無理です。

20220730 (105)のコピー
この運転が終了した後、ウレタン線の線路や架線柱は撤去されます。

20220730 (61)のコピー
20220730 (62)のコピー
東泉町2号踏切から1号踏切にかけての線路や架線柱も撤去が始まりました
専用鉄道線から線路が完全に消える日もそう遠くはないでしょう。
(2022年7月30日撮影)

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年次長期ウヤ明けが早かったあの頃

2011年6月12日 大雨 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
毎年恒例の5月の連休後~6月半ばの三井化学専用鉄道(大牟田貨物)の長期ウヤ明けが妙に早かった年があった。
ウヤ明けが早いとそれだけ、ひまで退屈な時間が減らせます(個人的に)。まったく贅沢な悩みですね。

110611宮浦 (11)c
宮浦操車場に行くとすでに出発準備が始まっていたが

110611宮浦 (13)c
返却の便が黄タンコのコキ1両のためもう出発間近だったので焦った

110611宮浦 (15)c
空っぽのタンクコキ1両を45t電車がオーバースペック(笑)で軽々しく引いていくが、入換え灯が点けっぱなし

110611宮浦 (17)c
入換え灯は消えました。東泉町2号踏切で大雨の中、傘を差しながら懸命に通過状況を激写します。
運転士さん達は呆れていたでしょうね。ま、1人ぼっちでしたからね。

110611宮浦 (19)c
後ろ姿はなんだか寂しく切ない

そもそもなぜ宮浦操車場出発便の撮影しかしていないのかって?
それは、この年のウヤ明けは6月9日(木)で、平日はお仕事なので撮影出来ず。10日はウヤであった。11日は、大牟田貨物の下り1151レが単機だったため、1152レの便となる貨車はこの写真の黄タンココキのみ。ウヤ明けって、こんな風に運用がなかなか毎日定常化しないのです。一番酷かったのは2016年の6月半ば以降のウヤ明けで、7月20日になっても黄タンコしか来ない有様で、運転日が隔日なのかと思うほどであった。年によってさっさと毎日運転になったり、出だし好調・不調が様々だ。

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愛称はまだない。そのうち銀タンコと呼ばれるようになるってさ。

◆今からちょうど13年昔の2009年5月24日 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
三井化学専用鉄道とはよく知らずに、お休みの日に大牟田市内をサイクリングを楽しみながら、3度目の宮浦操車場を訪れたあの日、私は奇妙なものに出会った。まだこのブログを始めるまで約2ヶ月のあの頃、私とアレの出会いは衝撃的ではなくても、運命、いや必然であったのだろうか。

09-5-28宮浦操車場 (12)のコピー
5月9日に来たときとそんなに違いは分からなかったのですが

09-5-24宮浦付近状況 (8)のコピー
よく見たら、当時さっぱりだった「検重車」がこんな場所へ

09-5-28宮浦操車場 (13)のコピー
宮浦駅石炭記念公園から宮浦操車場を見渡していると・・・、見慣れない銀色のタンク?が貨車に載せられているのを発見しました


09-5-24宮浦付近状況 (16)のコピー
なんだこれ?濃硝酸ってなんだ?

09-5-24宮浦付近状況 (17)のコピー
のちに「銀タンコ」と呼ぶようになる、濃硝酸タンクコンテナがコキ200に2個積載していました。

いつ、何の目的で来ていたのか?当時はさっぱり分かりませんでしたし、特に追求することもなく。
動いている様子もないのでこれ以上の撮影や探求はしませんでした。

09-5-24宮浦付近状況 (7)のコピー
2009年5月9日撮影
工場引込線は、以前はこんなに急カーブで、2軸の炭鉱電車やコタキなら問題なく走行できました。

化学工場専用線取替工事 (2)のコピー
でも5月24日に宮浦操車場を訪れると、工場引込の線路が改良工事中でした。

化学工場専用線取替工事 (7)のコピー
どうやら、コタキで入線出来たところに、4軸のコキ200を入線させるために、曲率半径を緩めたのかもしれません。
R200をR400に変えたかとか。

09-6-7宮浦操車場 (9) のコピー
2009年6月7日撮影 工場引込線はお馴染みの光景になりました

09-6-7宮浦操車場 (26)のコピー
線路改良しても、コキ200通過時は外側のレールと車輪が軋む音がありました。これ以上は無理という状況ででした。

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朝の7時に運転があった頃(2010年1~4月)

2010年1月~4月は朝7時台に工場出し入れの黄タンコだけ運転があった。

10-1-9宮浦 (101)c
2010年1月9日 宮浦操車場
大牟田の夜明けは遅い・・・のではなく、カメラの設定ミスで暗く写っただけよ~良い写真になった。

10-1-17宮浦 (16)c
2010年1月17日 浅牟田108号踏切を往く・・・ぶれぶれ通過

10-3-07宮浦 (35)c
2010年3月7日 工場から出してきたよ

10-3-27宮浦 (16)c
2010年3月27日 工場へ入れるよ

10-4-17宮浦 (17)c
2010年4月17日 浅牟田108号踏切付近を往く・・・工場へ入れるよ

10-4-25宮浦 (14)c
2010年4月25日 工場へ入れるよ

10-4-29早朝宮浦 (15)c
2010年4月29日 浅牟田108号踏切を往く・・・工場へ入れるよ

10-5-1宮浦7時台 (15)c
2010年5月1日 工場へ入れるよ

10-5-4宮浦 (20)c
2010年5月4日 浅牟田108号踏切を通過~工場から出てきたよ、そして宮浦操車場に戻るよ

朝の運転を撮っていたのは私以外に居たかどうか覚えていませんが、そもそも朝7時に運転が行われているって、どうやって知ったのか忘れた。

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2022年4月現在の22t電車の保守運転区間

2022年4月現在の22t電車 保守運転区間について、本日大牟田の鉄仲間から報告がありました。
平日の月曜日と木曜日の朝方にしているそうだが、管理人は一度も見る機会に恵まれていません。

宮浦操車場内が使えなくなった代わりに、車庫~元コンテナホームの線路を8往復も保守運転しているそうな。
宮浦操車場内よりは線路延長が短くなった分、往復回数を増やして走行距離を稼いでいるのかな?

その模様がもし見られるなら、この風景から見ると格好いいと思う。
撮影は2011年11月3日 22t電車が三坑町3号踏切側からやってくると想像して下さい。
111103宮浦5 (290)c
111103宮浦5 (292)c
111103宮浦5 (294)c
この時は貨車を引いていた都合で、ここまで入線せざるを得なかったのです

111103宮浦5 (301)c
停車です

111103宮浦5 (311)c
保守運転でこんなに間近まで来るかどうかは分かりませんが、真正面どかん撮影が出来るまたとないチャンスです。

111103宮浦5 (310)c
この区間での保守運転はそう長くないと言われていますので、撮影はお早めに。

なお、今までの保守運転日より、祝日の月・木は運転がないそうです。なので管理人は見に行く機会が無いのよ。
しかし、万が一平日に運転がなくても当ブログでは責任持ちませんのであしからずご了承ください。

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検重車視点の宮浦操車場の様子 その5(遠征編)

大牟田遠征時に撮影した、検重車視点の宮浦操車場の様子です。
私は2017年以後は大牟田には住んでいないので、はるばる遠征して撮影しています。
2017年の撮影では検重車を絡めた写真が見つかりませんでした。

20180331 (118)c
2018年3月31日
海上輸送コンテナの運用が1年ほど昔に廃止され、海コンホームへの線路は荒れています。検重車も草に埋もれそうです。

20181224大牟田 (64)c
2018年12月24日
定期的に除草はされているものの、もう鉄くずになって朽ちるしかなさそうな留置です。

20191005 (271)c
2019年10月5日
三井化学専用鉄道の廃止が囁かれて半年。検重車を撮ってくれる人はもういないのでは?と思われる風景。

20200118(1)c.jpg
2020年1月18日
海コンホームはもう別の風景に変わっています。
なんと検重車の位置が大幅に変わっていました。

20200118(2)c.jpg
2020年1月18日
何か動きでもあったのかな?検重車欲しい団体が現れたとか?

その後動きはなく、4ヶ月後に三井化学専用鉄道が廃止されました。
3月20日を最後に廃止前の遠征は感染対策で自粛しました。

20200523 (290)c
2020年5月23日
検重車はさらに三坑町3号踏切側に動かされていました。
解体への準備でしょうか?レール運搬車も集められていました。

以下の2枚の写真をクリックすると大きく表示されます。
2021年12月11日 現状私が大牟田遠征した最後の遠征時の様子。
2021-12-11専用鉄道廃線状況 (285)c
2021-12-11専用鉄道廃線状況 (286)c
廃止後、特に変わった様子はありません。

2022年3月下旬、検重車とレール運搬車が宮浦操車場に移動されたという報告がありました。
果たしてどうなることやら。

◆この続きは、検重車の最後の姿か、解体か譲渡のどちらかで宮浦操車場から消えていなくなった模様しかお伝えできないと思いますが、その様な投稿がいつ出来るか、現時点では何とも言えません。とりあえずは、この検重車視点の宮浦操車場の様子のシリーズを締めます。

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検重車視点の宮浦操車場の様子 その4

検重車視点の宮浦操車場の様子の続きです

111119宮浦pm (333)c
2011年11月19日
こちら側からは見えない信号機の支柱に半分隠れた検重車が見えます 

120411終端16両時 (14)c
2012年4月11日
朝の第一便の出発準備の過程でこんな末端まで16両編成が推進されてきたよ。よく来たね~。

120609宮浦 (15)c
2012年6月9日
綺麗に除草された海コンホームと検重車

130120宮浦4 (95)c
2013年1月20日
相変わらず、コンテナの荷下ろし、積み換え作業が続く日々と、それを見守るかのような検重車

この約一ヶ月後にコキ200積載問題が解決し、ちょっとは静かになります。

140912宮浦平日 (29)c
2014年9月12日
海コンの積み換えは普通にやっています。控え車みたいな扱い?(実際は運用の都合)な黄タンコも連れてきました。
検重車は黙って留置が続きます。

20150813海コン入換え (84)c
2015年8月13日
海コンのお供?(実際は運用の都合)な銀タンコがやってきました。
何となくですが、検重車少しだけ位置が変わっていませんか?(動いていませんか?)

20160719宮浦 (9)c
2016年7月19日
宮浦操車場と海コンホーム、そして全く動きのない検重車に別れを告げ、翌日大牟田を後にします。

この次は大牟田遠征時に撮影した風景になります。つづく

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検重車視点の宮浦操車場の様子 その3

検重車視点の宮浦操車場の様子のつづきです。

09-6-7宮浦操車場 (4)c
2009年6月7日 左端の線路上に置いてある検重車が

09-6-14宮浦操車場 (2)c
2009年6月14日 忽然と姿を消したから探しました

09-6-14宮浦操車場 (8)c
線路終端に追いやられていました~使う見込みがありませんからね

09-6-14宮浦操車場 (10)c
線路終端部にはなかなか来ません。こんな感じで留置されています。

09-6-14宮浦操車場 (12)c
反対側面から雑草が生い茂る海コンホームを交えて

09-8-8宮浦 車庫・海コン方向 (7)c
2009年8月8日
まだこの頃は海コン輸送が中断したままでしたね

09-8-23海コンホーム状況 (20)c
2009年8月23日 時は過ぎてゆきます

何の変化も移動もありません。でも廃車解体・譲渡はありません。

111103宮浦5 (317)c
2011年11月3日
コキ200積載問題が発生し、検重車が見守る中で、コンテナの積み換えをトップリフターが黙々と行っている風景

111106宮浦 (71)c
2011年11月6日 こんな終端部まで22t電車12号機が来ちゃったよ

111106宮浦 (67)c
検重車の様子も見に来ないとね(笑)。これから暫く(2013年2月下旬)までこのような運用が続くとは!

111106宮浦 (69)c
線路終端がよく見渡せるように、検重車と22t電車らのツーショットを

つづく

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検重車視点の宮浦操車場の様子 番外編

検重車視点の宮浦操車場の様子のつづきを書く前に~番外編

宮浦操車場の中にある検重車を実際使う場所ですが、東泉町2号踏切から見渡せる右端にある木造小屋の前に、軌道兼計量台がああります。なかなか普通は撮らない(その存在が知られていない)のですが、興味が出て来ると狙いたくなるものです。

写真は一部クリックすると大きく表示されるものがあります。

20180331 (47)c
お馴染みの東泉町2号踏切から見渡した宮浦操車場の定点観測写真です。
秤量小屋は右の架線柱の手前から3番目の付近に、小さな木造小屋があるのがそうです。

111217秤量 (148)c
小屋の中には計量機器が残っているようですね。でも昭和のアナログなタイプな気がしますが、実際は見たことが無いので何とも言えません。でも、1997年以降は使用していないと思われますから、デジタルにはなっていないと思います。

09-11-21宮浦 (245)c
秤量小屋の東側にある線路上に計量台があります

111217秤量 (121)c
近づいてみるとこんな感じ。
計量台についている軌道(レール)は独立しているのが分かります。繋がっていたら量れませんからね。

09-8-8宮浦入場・入換状況 (54)c
宮浦石炭記念公園から見たらこんな位置・配置です。計量台の部分だけ草がありませんからよく分かります。

111217秤量 (123)c
「秤量所北側」というプレートがあります。石炭運搬時代は他にも秤量小屋があったのでしょうか?

20200523 (141)c
工場側の道路沿いから秤量小屋を眺めます。小屋の右側は窓を板で塞いでいるように見えますね。

20200523 (142)c
ガラス扉の中身は、計量器以外は空っぽみたいですね。

秤量小屋の別角度の写真を見つけたら、追記しておきます。

次は、検重車視点の宮浦操車場の様子の続きを書きます。

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検重車視点の宮浦操車場の様子 その2

検重車視点の宮浦操車場の様子 その2

09-5-28宮浦操車場 (10)c
宮浦石炭記念公園から見下ろすと、一番奥の線路上にぽつんといるのが見えますね。

09-5-28宮浦操車場 (7)c
ズーミング~柵のすぐそばにいます。当時、検重車のことをよく知らなかった私は、それほど希少な貨車とは知らず、マジ撮影しなかったのですよね。

09-5-31 (1)c
地平部から2両の見える場所にきましたが、コキ200-126が邪魔だな~(笑)。当時は脚立など持っていなかった。

09-5-31 (2)c
検重車 検1 自重25トン

09-5-31 (3)c
検重車 検2 自重15トン

09-8-16宮浦操車場 (15)c
宮浦操車場の片隅に残っている秤量小屋。小屋の前に、秤量装置(貨車の重量を量る軌道兼計量器)があります。

つづく

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検重車視点の宮浦操車場の様子 その1

検重車にスポットを当てた、宮浦操車場の様子(風景・歴史)~その1

2009年3月29日 私が三井化学専用鉄道の宮浦操車場を発見した日、気になる車両を撮影した中に、偶然「検重車」が写っていることを後になって知った。当初は炭鉱電車やコキ200など貨物の世界を知らなかったレベルだ。

大牟田に2008年10月に引っ越してきて半年間は、積極的に探検しなかったため、宮浦操車場の発見が遅れた。街中にレールと国道を塞ぐ踏切があるのは知っていたけれど、そこをどんな列車が走るかなど全然知らなかったし、興味も湧かなかったのが当時の状況だ。

09-3-29宮浦操車場 (39)c
2009年3月29日
部品取りか廃車か分からなかった炭鉱電車の奥に、水色の貨車が見えた。あれが検重車なのだ。いつからか、この場所にずっと保管されていた。

09-5-24宮浦付近状況 (7)c
その2ヶ月後に再び宮浦操車場を訪れたら、あのカーブの先の炭鉱電車や検重車が居なくなっていた。
(また当時はここの電気機関車を炭鉱電車と呼ぶことは知らなかった)

09-6-7宮浦操車場 (4)c
宮浦操車場を見回したら、向かって左の線路上に移動していました。

当時は「検重車」が何かを具体的に知りませんでした。

09-5-24宮浦付近状況 (8)c
近づいてみましょう。この時、急に興味が湧いてきたのです。2両あることにも初めて気づきました。

09-5-24宮浦付近状況 (9)c
検2 自重15トン

09-5-24宮浦付近状況 (10)c
検1 自重25トン

2両とも、平成8年(1996年)8月に全検を受けているようです。この次の年の3月末に、三池炭鉱専用鉄道が廃止になっています。三井化学専用鉄道では、タキやコキの運用なので、重量を量る必要がないので(校正する必要もない)使い道がありません。

つづく

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またまた専用鉄道と春の花

昨年の今頃にも似たような投稿をしていますが、今回はあえて撮影日時やカットが昨年のと被らないようにしました。

スタイルは変えず、1年に1枚としています。
20090329宮浦操車場 (43)c
2009年3月29日 宮浦操車場
初めて宮浦操車場を発見した記念すべき日は東泉町2号踏切脇にたくさん菜の花が咲いていたが、残念ながらこの頃はウヤが続いていました。大牟田に住み始めて半年が経とうとした頃になって専用鉄道線の存在を知った訳です。再びこの鉄道に炭鉱電車や貨車で賑わうまで、まだ3ヶ月近く先になります。

20100404宮浦pm (50)c
2010年4月4日 宮浦操車場
いつ行っても9号機が活躍していて、他のナンバーをあまり見かけなかったころもありました。

20113027宮浦 (28)c
2011年3月27日 宮浦操車場
記録を漁っても菜の花が写ったカットが少なく、きっと東泉町2号踏切脇で咲く量が少なかったのか。
それ一輪のボケの撮影練習でもしていたのかな?

20120317宮浦 (90)c
2012年3月17日 宮浦操車場
それから4年間はまた咲き乱れました。

20130331宮浦 (24)c
2013年3月31日 宮浦操車場
朝の出発準備中~この後に推進運転が始まります

20140322宮浦 (63)c
2014年3月22日 宮浦操車場
12号機をぼかしてみました

20150329宮浦 (86)c
2015年3月29日 宮浦操車場
仮屋川操車場から戻ってきたカモレ
この年が一番咲き誇ったと思います

20160312宮浦 (91)c
2016年3月12日 宮浦操車場
そして以後、東泉町2号踏切脇には咲き乱れることはなくなりました

20170320 (144)c
2017年3月20日 旭町1号踏切付近
ホテルの上から俯瞰撮影。炭鉱電車と桜なのですが、見えにくいですね。
専用鉄道線沿いに桜が咲いていたのは、ここだけだったかな

20180401 (78)c
2018年4月1日 仮屋川操車場
2017年の脱線事故以来、仮屋川操車場の手前から操車(誘導)係がステップに立つようになった。

基本街の中や工場沿いを走るため、菜の花や桜の花などはほとんど無かった記憶があります。仕方がありませんが、年ごとに咲いたり咲かなかったりと探すのも楽しかったです。

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今思えば~そうだったんだ 部品取り車両の移動の理由

2009年3月29日に、私が宮浦操車場を発見した(訪れた)とき
09-3-29宮浦操車場 (7)c
45t電車20号機、シーメンスの20t2号機・4号機が、工場引込線路の途中に留置されていたのはご存じだろうか?

09-3-29宮浦操車場 (39)c
いつもの構図の写真の様に、これまたおかしな場所に放置されたいた。
なのでレアな部品などの盗難や損壊が問題になっていたようだ。

09-5-9宮浦付近状況 (12)c
2009年5月9日撮影時も居たのだが

09-5-24宮浦付近状況 (7)c
2009年5月24日撮影時に忽然とそれは消えてしまった

09-5-28宮浦操車場 (5)c
09-5-24宮浦付近状況 (20)c
どこに移動したのかウロウロしたら、車庫の脇にいた。
3月29日の宮浦発見時には車庫前に行った覚えも写真も無いので、この部品取りが留置されている線路は元々あったのかどうかは分かりません。きっとこの時のために敷設したと考えられます。

化学工場専用線取替工事 (4)c
5月31日には工場引込線が一度解体されて、新しい線路を敷設する工事が始まっていた

09-6-27宮浦操車場 (87)c
09-10-7宮浦 (21)c
そしてお馴染みの急カーブ引き込み線が設けられることになる。
当時は、その引き込み線脇から車庫脇に部品取り様の電車を移動した理由が、
①コキ200の貨車を入線させるためにカーブの曲率半径を緩くする軌道改良工事のため邪魔になった
②部品盗難や損壊の問題を解決するため防犯装置のかけられるエリアに移動したかった
と思っていました。

◆でも、今になって~よーく考えてみれば

10-9-18宮浦 (11)c
>
2010年9月8日 小さな鉄橋がショートカット大牟田川に架けられた(完成)
冒頭の部品取り用の電車を車庫脇に移動させたのは、この写真の様に大牟田川のショートカットを建設する土木工事の邪魔になる(新しい川の掘削で留置場所を移動する必要があった)からだと、今頃になって気づいた。②の部品盗難などの対策も一緒に出来るので一石二鳥であろう。

09-5-24宮浦付近状況 (30)c
2009年5月24日撮影 留置場所が変わってから1年は何も変化は見られませんでしたが

120603宮浦 (30)c
2012年6月3日撮影 2010年の年次ウヤ期から徐々に塗装が施され始めます
これを当時ブログで発信するとかなりの反響がありました。
最終的に3両とも塗装されましたが、それ以上の動きはなく・・・。

20160606再塗装 (13)c
2016年6月6日撮影
やはり再塗装は車庫の中に入れて行っていましたか。屋外作業だと降雨では塗装が出来ませんし、それなりに設備も必要ですからね。

まあそういうわけで、今頃になって何を考察していい気になっているの!?って読者様から突っ込まれそうですが、今書かないでいつ書くの!?と思いまして、今回書きました。

おしまい

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プロフィール

UTXC

Author:UTXC
こんにちは~(^▽^)/
全国の皆様へ~三井化学専用鉄道と大牟田付近で見られる貨物列車等の状況をお伝えします。魅力あふれる元気な炭鉱電車も紹介します。
2009年3月~2016年7月までタンク車に代わるタンクコンテナ(銀・黄タンコ)や海コンらを撮りまくりました。管理人は現在大牟田に住んでいませんが、遠くから我が大牟田の鉄道を見守っています。
なお、大牟田に関わる鉄道は2020年5月をもちまして幕を閉じました。
今後の更新は不定期です。
現在は全国各地の貨物列車のコンテナを中心に撮影しています。面白いネタがあれば紹介します。

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