さよなら仮屋川操車場分岐
2022年1月16日、大牟田からホットな報告が入りました。
なんでも以下の場所で、とある軌道変更工事の準備が行われているとのこと。
専門用語で「ききょう」。レールにコンクリートまくらぎをつなげてある状態を指す言葉らしい。
それの状態が全部で3組置いてあるそうな。写真を見せてもらって、それが何を意味して
これからどうなるか一発で分かってしまった。
大牟田の鉄仲間には今後どうなったか(私の予想通りか)を、引き続き観察をお願いしてあります。
2015年11月8日撮影
場所はこの動画のエリアです。動画はわずか10数秒ですが、今回の記事の場所がよく分かります。
大牟田方面の下り電車の最後尾より~
何も動画じゃ無くても~って方には、久留米方面の上り電車前方から撮影した写真で説明します(2014年8月31日撮影)。

久留米方面の電車に乗って大牟田駅を出発して、しばらくして右側から三井化学専用鉄道線路が合流してきて

上り線から下り線へ渡る、自動転てつ機とポイント(分岐帯)が2つあります。

さらに下り線から仮屋川操車場に入る、自動転てつ機とポイント(分岐帯)が1つあります。
◆今回はどうやらこの3つの分岐帯が撤去されて、それぞれ1本の線路なるようです。
場所がよく分からない方のために、お手製の線路略図を添付します。

略図の方がわかりづらいかな?右上が大牟田駅、下の方に仮屋川操車場。
赤色の四角の部分が、先程写真で紹介した3カ所の自動転てつ機(ポイント)を指します。
今回は関係ないけれど、左側の上半分が宮浦操車場、下半分が三井化学大牟田工場内(推定)のそれぞれの線路略図。

仮屋川操車場の線路略図
赤色の四角の部分が、先程写真で紹介した3カ所の自動転てつ機(ポイント)を指します。

2015年9月22日撮影
その分岐は鹿児島本線から仮屋川操車場に入ったり出て行くためのものです。

2009年5月9日
まだ長溝川踏切があった頃の、件の分岐がまっすぐ延長上に見えたときの風景

沿線から見た鹿児島本線の上り線から下り線に渡る部分
◆この分岐を撤去して、一般の軌道に差し替えるのです。
理由として考えられるのは
その① このまま分岐器を残していても保線上の弱点箇所が消えないから、一般の軌道に改善するのが望ましい
その② この分岐器上を列車が通過すると、レールの継ぎ目が多いため結構やかましいから、継ぎ目がないレールにする(改善する⇒通過時は静かになる。沿線住民への配慮も兼ねる)・・・また①の効果にも繋がる

2015年8月13日
DE10構内カモレが3カ所の分岐を通過して仮屋川操車場に入っていくシーン

2015年7月25日
上に同じく機関車正面に撮った側

2015年9月12日 仮屋川操車場で出発を待つ大牟田駅戻りのDE10構内カモレ

2015年9月23日
仮屋川操車場を出発して、鹿児島本線下り線に入るシーン

同じくその後方
近日中に、この使用しなくなった3つの分岐器が消える見込みです。
電車の窓から撮影して往事を偲ぶのもあと僅かとなりました。
何かの理由で仮屋川操車場に列車が入ることなどもう二度とないのは非常に残念です。
まるで動脈を切られた感を思うでしょうね。まあ仕方がありません、廃止されたのですからね。
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私の大牟田ファーストコンタクト
以前にも似たような記事を書いたと思いますが、今回は詳しく思い出話でも。
私が大牟田に引っ越してきた2008年秋よりも、もう少し前(2007年春)に大牟田に1泊で出張で来ています。
そして、その時に三井化学専用鉄道ならびに大牟田の炭鉱鉄道跡を目撃しており、
大牟田の鉄道の「縁」と接点を持ち始めていたわけです。
その2年後、このブログ執筆が始まるわけですが・・・、人生って急にどうなるか、見えないものです。
◆さて、時は2007年4月・・・初めて大牟田の街に降り立った私。昼食後、上司や同僚とタクシーに乗って
大牟田市街などを走りました。その途中で・・・。

なんだこれ?

何かの線路があった名残?

すげえ!街中を昔は何か走っていたのだろうか?

街中をいかにも鉄道用の築堤だと思わせる遺構が続いていました。
私はこれらの線路遺構にとても興味を覚えました。事前に何も調べていなかったので、
出張先で地元の人達に聞いてみましたが、何故か誰も知りません。なんだそりゃ(汗
その夜、上司と飲みに行きましたが、西鉄新栄町駅付近の商店街がシャッター通りでびっくりしたのを覚えています。
1店だけ辛うじて開いていたので入ったのを覚えています。
宿~飲み屋~宿の途中で・・・



以上のようなこぢんまりとしたガード下道路も見ました。
走らなくなってかなり時間が経過してしてる鉄道遺構がいまだにきれいに残っている状況に衝撃を受けました。
◆私は旭町1号踏切脇の街で1番大きなホテルに泊まっていたと後に知りました。
夜が明けて、部屋の窓を開けて見下ろすと(本来はホテルの窓を開けたりせず、窓越しに遠くの町並みや天候を見ます)、

弧を描くような線路が見えました。遠くの大きいな工場の方へ続いているように見えました。
実際に見たときはカメラを持っていなかったので撮影はしていません。
「何の列車が走るのかな」「大牟田に支線なんてあったかな」「何が走るのか見たいな」程度しか欲求が無く。

その線路を列車が走る時間帯までは居られませんでした。

私が眠った部屋は、写真の線路の上のほうだったと思います。4Fくらいかな?
さらに、朝食前にホテル周りを少しだけ散策すると

そのよく分からない線路と大きな国道との珍しそうな踏切を見つけました。
◆朝食後、8時前にはホテルをチェックアウトして現場に向かい、
夕方には大牟田駅を発ったので、大牟田貨物(その存在すら知らなかったが)に遭うこともなく、
大牟田にはもう当分来ることはないと思っていました。


なお、1日目に宿~新栄町駅前の居酒屋~宿と歩く過程で、JR・西鉄の踏切を2度渡っているので、
このような現役線を跨ぐ鉄道遺構(貨物列車は見ていません)が見えていたかもしれません。
◆◆その出張から約1年半後に会社から辞令が出て、いよいよ大牟田の街に住むことになりました。

大牟田の街についていろいろ調べていると、上の様な鉄道写真を見つけました。
どこかの工場から出てきた赤い小さな機関車に愛嬌を感じました。(炭鉱電車とは知らなかった)
◆大牟田に住み始めて半年くらいは、鬼のように仕事が忙しくてすぐに撮影とはいきませんでした。
そして2009年3月下旬に、私は三井化学専用鉄道の宮浦操車場に辿り着きます。
※この記事で紹介した、数々の鉄道遺構や線路・踏切の写真はすべて大牟田在住時に撮影したものです。
イメージが湧くように、記事の中で過日の写真を織り込みました。
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見えない何かが見えてくる
タイトルがどこかのキャッチフレーズや標語に見えてしまいます。
同じ被写体をところ構わず撮影していても、ちょっと目線をずらすだけで別の小世界を発見できるものですが、なかなかそんな余裕はないものです。遠征された方は特に時間との闘いが勝負だったでしょう。偶然見つけたらラッキーでしょうか?

バッテリー車の黒い箱は左右に5個ずつ。その真ん中はどうなっているのか?気にした人はまずいないでしょうね。

足場板が無造作に打ち付けてあるように見えます。鉄板じゃないのかな?そもそもここに立ち入る時って保守の時くらい?

今の今まで気にしなかったのですが、よく見ると架線柱が駅事務所の屋根を貫通させていますね。
これは架線柱を立てる際にどうしても屋根が邪魔だったのでしょうね。よくまあ上手いこと設置したね。他の写真でもその様子が分かります。気にしなかったって恐いわ~(笑)。

この写真に写る、駅事務所の木の階段ですが

私はこちらから上り下りするする様子を目撃したことがありません。
常に皆さん、反対側の階段を使いますね。なぜなんだろう?こちら側は非常階段なのか?朽ちていて通行禁止なのか。気になります。

さらにズーミングすると見える、銀色の丸い奴が2つ。あれは何だろう。2つより減ったり増えているのをみたことがありません。
おそらくバイク用のヘルメットでしょう。さすがに共用では無いでしょうから、職員でバイクに乗れる人全員分の銀のヘルメットが見えない所にも並んでいるような気がします。

ちょっとだけ目線を右にずらすと「宮浦」の文字が見えます。この専用鉄道には駅名標がないので、これはなかなか良いです。

さらに目線を下に移動すると、運転席のマスコンハンドルっぽいのがシルエット状に浮かびます。哀愁漂うってこのことか?

最後に反対側に回ると、柱と物陰のわずかな間から、何号機か見えます。12号機でしたか。
まあこんな風にいろいろな新発見や疑問が浮かんでは消えていきます。私独自の目線・視点です。いかがでしたか?
きっと私には見つけられないものも少なからずあったと思います。
今回は駅事務所下からの撮影でした。駅事務所全体が見渡せる線路の反対側から撮影したものは改めて記事にしようかな。
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さよなら大牟田駅常駐機関車~HD300-27の駅構内軌跡
2020年5月26日
大牟田駅で撮影中の知人から、HD300-27のムド回送の入換えが始まったとかどうとか連絡が来ます。
大牟田貨物がウヤ明け、ウヤ開始する直前に、どういうわけかわざわざムド回送の専用列車を走らせます。
一般の鉄が見たら、一緒にコンテナと来たら・帰ったら無駄なく運べるのに~と思うでしょう。
しかし、このムド回送の特別ルールか契約になっているのか分かりませんが、まるで儀式のように行われます。
途中の交代時は一緒に運びますが~どうなんでしょうね?

さて、写真のようにHD300が留置されている場所は、駅南側の不知火踏切から望むとこんなところなのです。
大牟田駅は昔の石炭列車が何十両も連なっても平気なほど構内が広く、元貨物駅の特性上、線路有効長さも十分にあり、引き上げ線設備もばっちです。
本日のような最後の時はここまでEF81やED76が入線しますから、なかなか見応えがあります。

2014年6月15日 ウヤ明けの時に連れて来たDE10ムドの様子です。
左のED76は4093レの通過貨物、EF81が大牟田まで牽引してきた機関車です。

さて、HD300(DE10も同じですが)が動き始めたら、留置場所から不知火踏切に向かって右側の引き上げ線を南下します。
ちなみに私はこの撮影を不知火踏切上から行っています。

振り返って、左側の引き上げ線を見渡します。

そしてあの奥の分機器がある奥まで進み、構内信号機を頼りに機回しします。

左側の市道から撮影したらこんな感じ。写真は21号機。

2014年6月15日
右側の市道側(上り線側)から撮ったらこんな感じです。今日はこんな風景が望めたでしょう。大概の撮り鉄はホームから狙うでしょうが。

停止位置から渡り線を2度通過し

不知火踏切手前の一番右側に入線し

踏切を通過し

写真の右から3番目の5番線路に入って行きます。
通常HD300は往復ともに、このルートを通ります。ムド回送日の時だけ、右から2番目の4番線路をまっすぐELが引き上げ線に進みます。

駅北側の有明町踏切でさらにスイッチして、4番線にいる貨物編成と連結し、時間まで待つときが唯一HD300(DE10)が4番線路に入線して走るときです。なのでHD300(DE10)が、不知火踏切から直接4番線路には入りませんし、入っても意味が無いのです。
◇今日のようなムド回送上りの時、HD300が構内をいつものように自走して、4番線路上にいるEF81に連結して、そこから出発すれば楽なのに~と思うかもしれませんが、大牟田駅特有のなんらかしらのシステム上、EF81が駅の脇の留置線までお迎えにいかないと駄目なようです。また、4番線路から仮屋川行きは構内信号で出発できますが、大牟田貨物1152レの本線列車の出発は見たことが無く出来ないのかも。4番線には荒尾方面から入線して、本線信号機で出発は出来るのでしょう。それも見たことがありませんが。

今日の8152レで5番線路からの本線列車出発は最後になる。すると写真の大半の貨物運転でしか使われない線路や信号設備はお役ご免になるだろう。
ただし、線路の土地返却が必要な三井化学専用鉄道と違い、JR側は計画がない限り線路設備は当面放置と思います。
また大牟田駅の4番線路の荒尾寄りには、常時夜間に電車の留置が行われているので、撤去というわけにはいかない。
また、ダイヤの乱れで4番線に列車などを待避させる必要もあるでしょう。

この跨線橋からの貨物列車の停車中の眺めはもう見られないでしょう。寂しい限りです。

何にせよ、これまで列車の有無に関わらず、一連の記録が出来ただけでも良いとしよう。
最後は誰もしたがらない、夜の大牟田駅での撮影でHD300を見送りましょう。思い切り長時間露光撮影を楽しんでいました。
つづく
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たまには撮り影でもいかが~
私が黄タンコの黄色い車体の電車窓やガラスに反射する風景を好んで・気にして撮影しますが、今回は偶然目にした全く別のジャンル・視点から撮ってみました。反射風景ではありません。

ある日の宮浦操車場内に黄タンコが2両いました。
普段なら逆光・順光問わず様々な角度から構図でタンク自体を撮るのですが。・・・普通はそうしますよね、皆さん。
でも今回は、偶然目を足元にやったら・・・、あれれ、これは面白そう。
上の写真は実物と影との対比も表しています。

そう、影です。でもこれはコキ200に載っている黄タンコの影です。

車体ばかり見ていると絶対に気づかない、足元の風景です。影を風景と称するのはもはや管理人だけでしょうか?

撮りようによっては車体の影も趣が感じられます。
場合によっては、条件や時間を変えながら影の変化を追うのも面白いかもしれません。気の長い撮影になりますね。

ある時は操車場のフェンスの影まで撮るようになりました。
こんなの意識してでないと撮らないで素通りしてしまいます。
炭鉱電車や貨車コンテナを一通り撮影して一息ついたら、こんな撮影(撮り影いっぱい?)もたまにはいいかも?
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懲りないね~黄タンコの反射風景
2020年1月19日 大牟田駅
もうあと何度も見られない大牟田貨物1152レ(2020年3月14日からは8152レ)ですが、大牟田駅で黄タンコがつくたびに黄色の反射風景が目に入って気になる管理人であります。いつもこれが最後という想いで、やはり時間があるので撮ります。まあ、見てやってくださいな(笑)。

やっぱり黄タンコ2両4個は圧巻です。これだけ居たら楽しみ倍増。

下りのワンマンに反射しています。

815系はロングシートなので乗客に向けて撮らないので気兼ねなく撮影

ちょっと暗くなったね

駅東改札口脇の大蛇山祭り紹介のガラスに反射

駅舎の窓に反射

おまけ:ワンマン運転用のミラーに反射
他にもありますが、もうこのへんにしておきます。
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大牟田との関わりを持つまで
12年昔になりますが、大牟田に引っ越してきて、いきなり三井化学専用鉄道を撮り始めていたらすごいことになっていたでしょうが、そう甘くありません。なんせ私は当時、今では信じられない程以下の状態でした。
①三井化学専用鉄道を知らなかった。どういう鉄道線すら知らなかった。←すごいでしょ?
②鉄道ファンではあったが、貨物列車の世界はさっぱりであった。コキ200って何?←すごいでしょ?
③撮り鉄じゃなかったので、一眼レフカメラは持っていませんでした。←電池消費の多いデジカメは持っていた。
④乗り鉄専門で、あと線路全般、橋梁、土木遺産にも興味があり、①②を知るきっかけがなかった。←それで満足していた
⑤とにかく、大牟田に来て半年ほど土日返上なほど仕事が多忙で、明るい時間をプライベートに割く時間は限られていた。
あやうく社畜になりかけていたが、運よく最初の春が訪れようとしていた11年前の今頃、転機が訪れた。
だが、今回はその転機が訪れるもっと昔のお話をしましょう。
私が大牟田に呼ばれることになったのかもしれない、小さな小さな縁・糸を辿ってまいりましょうか。
◆その1:小学2年生ごろだったか、全国道路地図を眺めていて「線路」の行く先に興味を覚えた
「線路」だった。全国道路地図には主要駅などから海・港、鉱山、工場などに伸びる鉄道の支線が詳しく載っていた。
なかでも、当時全く知識がなかった私は、今は亡き父に以下のような質問をした記憶がある。
あるページにどこかの港に多くの線路が描かれた、大きな操車場(当時は操車場って言葉すら知らない)を指さして、
「ねえお父さん、この線路がいっぱい並んでいるのはどういう場所なの?」っていう風に聞いたはず。
父は「石炭のまちだからね」と言っていた。当時は石炭が何かも知らなかったので、ふ~んで終わった。
今にして思えば、その開いていたページが港付近の操車場だということは、

大牟田(三池港)だったのかもしれない。操車場の左側が海だったので、他にあるなら室蘭かもしれないが。
この時、すでに大牟田への縁・糸がつながり始めていたのかもしれない。
でも、大牟田って街は、何県のどこにあるのか知らなかった。それを正確に知るのはまだずっと先になる。
◆その2:大牟田出身のシンガーソングライターNのラジオ番組を聞いて、「大牟田」の位置が特定できた。
そもそも、大牟田出身の歌手Nって、読者の方はご存じですか?大牟田観光大使も務めたことがあるあのお方。
私はいっときFMラジオリスナーであった。その影響もあり、夜更かしするようになった年齢になると、深夜番組を聞くようになる。
そのN氏がパーソナリティを務める番組が始まり、自身が大牟田出身だと番組内で多く語るようになり、私も次第に大牟田って
どこにある街なのか調べるようになった。また1本、縁・糸がつながりだした。
大牟田に引っ越して数年後、友人の紹介で大の炭鉱電車好きだという、シンガーNに実際に会えた。

2011年11月6日 宮浦操車場奥の海コンホーム~線路終端付近
N氏とほかの多くの友人ら一緒に激写した日は、コキ200問題で22t電車が線路終端迄迫ってくるシーズンであった(今は解消)
あのラジオ番組を聴いていなかったら、N氏とその後交流を持つことは叶わなかったと言っても過言ではない。
◆その3 大牟田に出張で訪れた最初の朝、ホテルの窓を開けて地上を見たら「線路」があった。
2007年4月頃、私は大牟田に出張で来ていた。
お昼前にJR大牟田駅で下車してタクシーで、のちの勤務部署となる住所に向かった。
途中で怪しげな廃れた高架橋?築堤が街の中にあるのが見えて、少しときめいた。
この時、私は三井三池炭鉱鉄道の廃線跡が街中にあることを知らなったのが、当時は未成線や廃線にも興味があったので
その風景だけでも満足であった。
その晩、三井化学専用鉄道の旭町1号踏切(国道を横断する有名な踏切だとも知らずに)脇の市内街で一番大きなホテルに
宿泊して、翌朝部屋の窓を開けて地上を見たら


線路があった。道路側に踏切がある。今も現役かな?いつ走っているのだろうか?
そもそも貨物専用線だとも知らなかった。
出張が終わってそそくさと大牟田駅を後にした。あの線路は何だったのか?頭の片隅に追いやってしまった。
当時は、大牟田に転勤してこようなど100%あり得なかったので、辞令が下りたときは正直驚いたものであった。
◆2008年秋、私は大牟田市に住民票を移し、市民となる。
紆余曲折を経て、翌年夏から撮影が始まり、このブログがスタートする。なので銀タキ時代を全く知らないのです。
私は濃硝酸がタンクコンテナ化された最初の年、黄タキ最後の年、海コンが長期ウヤな年から撮り鉄活動が始まりました。

2009年6月27日 第4便貨物列車 自身初めての旭町1号踏切での炭鉱電車+銀タンコ+黄タキの撮影となった。
その1、その2がなかったとしても、転勤という運命にはなっていただろうか。それは分からないし、違っていたかもしれない。
今にして思えば、私は小さなころから大牟田に呼ばれていた、もしくは小さな縁・糸がつながっていたのだ。
今だから言えるが、大牟田に引っ越してくる様にうまいこと事が転じただけなのだ。縁・糸はあとから手繰り寄せれば良い。
私はM化学の関係者でもないし、神様でもない。ただのサラリーマンで、かつ鉄道ファンである。
************************************************
調子の良いことばかり、うまく話をつなげたのは自分でも分かっている。でもここまで大牟田の鉄道に関われたのは
とても幸せなことであると思う。誇っていいと思う。現在は元市民であるが、市民であったうちに、よそ者という微妙な立場で
定点観測が続けられた・・・いや続けたいと強い願いで私のわがままを叶えてくれた大牟田の縁というものに感謝したい。

鉄道ファン御用達と言っても過言じゃない程、大牟田の鉄道を堪能するのには便利なホテルである。
そのホテルの足元にあるのが、今では有名すぎて鉄道ファンなどが連日数多く訪れる、三井化学専用鉄道の旭町1号踏切。
日本にはもうここしかないのでは?と言われているワイヤー昇降式の珍しい、しかも有人踏切である。
管理人は、このホテルに大牟田出張時、大牟田を離れる前日、2017~2018年の大牟田遠征時にお世話になりました。
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黄タンコが居る!!~北九州貨物ターミナル内
2020年1月12日 北九州貨物ターミナルを電車内から、門司駅付近からそれぞれ撮影
黒崎を離れ、門司駅に向かいます。途中、北九州貨物ターミナル内を車窓から見渡します。黄タンコや珍しい貨車・コンテナはいないかな~?

早速貨物ターミナル内の小倉寄りの留置線に黄タンコがいました。
コキ200-120 UT13C-8085・8086 液化塩素

コキ200-39 UT13C-8077・8078

コキ200-?? UT13C-8067・8068
その他の貨車コンテナは割愛します。まあ、いつものことですし(笑)。
門司駅寄りの留置線?には珍しいのがいました。

日豊本線専用の青フレーム黄タンコがコキ200積載でいます。これは珍しい。YOUはここで何してるの?
◆普段から、青フレーム黄タンコはコキ200積載2個運搬なのか疑問ですが。コキ106中央1個積載しか思いつきません。管理人は日豊本線の液化塩素運搬の様子を多くは見たことがなく、そのほとんどが大牟田発着のため、今回のようなコキ200積載の青フレーム黄タンコは新鮮に斬新に見えます。2018年3月末に、この状態で大牟田に運ばれましたが、あれは何かのミスらしいです。

門司駅で下車して貨物ターミナル内を海側から見渡しました。午後の斜光線で廃車待ちのDE10やEF81-304が佇んでいるのが見えました。

先ほどのコキ200積載の青フレーム黄タンコがよく見える場所に近づけました。

コキ200-86 UT123C-8023・8024 液化塩素 日豊本線専用(北九州貨物ターミナル~南延岡)
◆この写真だけはクリックすると大きく表示されます。トリミング加工はしています。
日豊本線専用のもう1個のUT13C-8025はどこかな?いませんね。
※8026~8028は青森・秋田・山形・新潟の羽越本線で見かけるそうです。
このあと、門司から小倉迄、北九州貨物ターミナルの山側から見た風景を下り電車内から見ました。その模様は割愛です。
◆この3日後、北九州貨物ターミナルにいたと思われる黄タンコが一斉に南延岡に戻ったようです。私が12日に見た黄タンコは返空だったのですね。青フレーム黄タンコも一緒に戻ったかは不明です。
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大牟田市西部をサイクリング
2020年1月11日 大牟田市 三池港など西部
もうやることがないので、遠征ではまずやらない時間つぶしサイクリング。

車庫の外でひたなぼっこしている45t電車19号機がいた

線路が草むらに覆われた先はもう使われていない。3年前まで海上輸送コンテナの積下ろしが行われていた。

工場線の鉄筋コンクリート支柱が解体され、風景が変わったと書いたが、どうしても壊せない部分は今もわずかに残っている

このパイプラインの曲げ具合は芸術だなと思ったり
宮浦操車場を後にした

明日の1151レは有明町踏切で撮影しようとロケハン

ふと見上げたサーチライト鉄塔だが、よく見るとてっぺんにライトが一つもない。お役御免と言ったところか。解体待ちかな?不知火踏切側の鉄塔も同じ状況だった。

諏訪川河口近くに向かった。有明沿岸道路の大きなアーチ橋が見えるが、その下に・・・

今は水道橋になっているが、元貯木場(右側)につながっていた鉄道(ナローゲージ)用の鉄橋「ガタガタ橋」が健在。
左側には巨大な操車場が広がっていた。そう三池港駅があったのだ。1997年3月末の三井三池鉱山の閉山に伴い、順次解体され更地になり、現在は見る影も、名残はほぼない。

三池港の草むらに残る出発灯。もう二度と灯ることはない。

三池港の閘門。
そのあとは三池港の左岸付近までウロウロ(;^ω^)
時間も16時前になったのでレンタサイクルを返却しに大牟田駅に戻りました。11日は終了です。12日に続く。
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貨車たちのいない時間帯~こういう時しか撮らない風景
2020年1月11日 宮浦操車場 東泉町2号踏切より
13時を回ったが午後の運転が始まらない。もう少し宮浦操車場の風景を楽しむ時間の余裕がある。
貨車たち(コキ200積載のタンクコンテナ)が全くいないこの時間帯だからこそ撮影できる風景は?


歴史を感じずにはいられない鉄骨の架線柱と架線設備

三井化学大牟田工場を背景に。宮浦操車場は市道を挟んで工場に隣接している。

上に同じく
◆なお、工場夜景の撮影はここからでは不十分です。

東泉町2号踏切の遮断棒
誰もいないから堂々と撮れる
ほかにもいろいろな鉄道風景があるけれど、またの機会に。普段ならまず撮らないものを撮って、新たな発見と出会いを期待しています。
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大牟田貨物は貨物列車らしくない?
2020年1月11日 大牟田駅
とにかく2両編成ってのが寂しかったんだよね。3両編成だったらどうなの?ってその辺は聞かないでね(;^_^)

大牟田駅の駅名標に焦点を当てて、ここは大牟田駅だと強調し、大牟田貨物1152レが2両編成だったとうことを証明。

今日は2~3両編成でけん引楽勝だったでしょう?って言いたくなるほど。ハイブリッド27は大牟田にはもったいないのか?

構外の踏切から、大牟田駅構内で出発を待つ1152レ。ここから見ていると、どう考えても貨物列車には見えないのだよ。
貨物列車なのに、貨物列車らしくない大牟田貨物。この三連休は、ずっと2~3両編成が続きました。まるで私が来るのを知っていたかのように(笑)。私が来ると何かかが起こるって、あの人が言うんですよ。まさにその通り。泣けちゃうね。笑っちゃうけど。
それでも毎日走ってくれるので、三井化学専用鉄道も動いていますから大助かりです。
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変わりゆく風景~宮浦操車場
2019年12月14日 晴れ 三井化学専用鉄道 宮浦操車場 工場引き込み線
宮浦操車場の風景がまたひとつ変わってゆく

工場引き込み線の真上を走る青い大きなパイプ(一説には一般下水には到底流せない工場下水を流しているらしい)を支えていたコンクリート支柱を解体している。すでに11月には新しいルートのパイプと支柱設置は完成しており、コンクリート支柱は解体待ちだった。

2019年11月9日

2019年10月5日 ルートの切換は終わったようで、旧パイプは左側でちょん切れていました。

2019年4月20日 新しいパイプや支柱の設置工事が始まっていますね

2017年3月19日の様子

2015年10月25日の三井化学工場祭りで工場内に入ったときの引き込み線風景。まだコンクリート支柱に支えられた青いパイプが見える。
次回来たらまた違う風景に出会えるだろうか。
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仮屋川操車場の風景~西鉄側から
2019年12月14日 晴れ 仮屋川操車場を見渡す
普段はここから仮屋川操車場に並ぶ貨物列車を狙うことはありませんが、曇りであれば逆光を気にせず撮影出来ます。

この位置からでは、1152レとなる列車の留置線路は写せません。真正面は機回し用の中線、右のはHD300が牽いてくる1151レだった貨物列車が入る線路です。

引いて撮っても左の線路は写りません。HD300が連結されたら少しは見えるかもしれません。
今後曇り空の時は再度狙ってみようかな?
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またまた黄タンコ反射風景
まさかの遅れ大牟田貨物1151レ通過済み~早すぎるだろう?
2019年11月10日 晴れ 鹿児島本線 5線路区間

予想通過時刻になっても1151レは来ない。
まさか、もう通過済み?やっちまった?
急いで大牟田駅に向かうと、すでに到着済みであった。
◆検証 鳥栖貨物ターミナルを8:03に出発と信頼できる方から連絡があった。しかし大牟田駅には8:38前には到着していた。
◆貨物時刻表で、4093レの後ろを走っていたのは間違い無いとして、一体どんな走りを見せたのか?
普段は時速75kmのところ、時速95kmで走ったのかもしれない。
◆大牟田貨物1151レは平日定刻なら、鳥栖貨物ターミナルを7:11に出発し、7:50に大牟田駅に着くから単純に所要時間は39分である。なのでこの日も同じなら、8:03→+37分で8:40大牟田着だと想定していた。5線路区間は8:38くらいかな?と。
◇結論:1151レの推定通過時刻8:34、4093レ同8:32だとして、無茶したに違いない。
☆すると、ある奇跡が発生した可能性が大いにある。
東泉町1号踏切で45t電車回送を8:35に撮影したということは・・・・?
遅れ1151レと45t電車単機回送が並走したとか(笑)(笑)(笑)
●笑えねえ~。そんなあり得ない並走が起きているかもしれないなんて!!私が宮浦ですぐに次の行動に移らなかった影響でひょっとしたら奇跡の並びを見逃しているかもしれない!!!嫌な汗が流れた。
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黄タンコの窓反射風景~大牟田駅
2019年10月6日 晴れ 大牟田駅
黄タンコの黄色はいろいろな窓ガラスに反射して、私の目を楽しませてくれます。こんなの気にして撮影するのは、私ともう1人だけ(笑)。

まあ、私なりの楽しみ方もありますので

わざわざ黄色が映り込む場所を探して

楽しんでいるのです。他の撮り鉄から見たら「何が面白いの?」って言われるでしょうが

私は実に楽しいです。

815系や817系は窓が大きいので、813系よりは大きく反射風景が楽しめます。

ちょっとでも位置を変えたら楽しい風景に。

黄タンコは目立つから、反射も目立ちます。特に晴れていたら尚更です。

窓ガラスだけでなく、車体も黄色く染まりそうな勢いです。
ここまで来たら、管理人ともう一人にしか理解できない風景でありますよ。
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大牟田駅にて~その2
2019年10月6日 晴れ 大牟田駅
厳密に大牟田のは「機回し」と呼べるのだろうかと言われそうだけど、他にぴったりな言い方も思いつかないから気にしませ~ん。

EF81-406に誘導員さんを乗せて動き始めました。4番線路を単機で滑走します。

目の前を通過します!

駅北側の構内信号機前で一旦停車して、信号が変わるのと、有明町踏切が遮断されるのを確認して転線に入ります。あれだけを撮るなら有明町踏切でも良いのですが、私は駅構外から一連の模様を狙っているので行きません。

5番線路に入ってきました
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大牟田駅にて~その1
2019年10月6日 晴れ 大牟田駅
大牟田駅に戻って参りました。

ちょうどハイブリッド21がねぐらに戻るところでした。

EF81-406は入れ換え中を示す片尾灯を灯していつでも動き始められる状態でした。誘導員待ちです。

間もなくHD300-21は停車です

仮屋川操車場から牽いて来た、今日の1152レの編成です。
これからEF81が機回し?を行います。
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赤い機関車同士、仲良くやろうぜ
2019年10月6日 晴れ 三井化学専用鉄道・JR鹿児島本線・西鉄福岡天神大牟田線

日本最南端配置のHD300が引く、大牟田駅構内貨物列車がやって来ました。

炭鉱電車とは似ていない塗装ですが、同じ赤系のでなかなかいい勝負?にはならないけれど、仲良くやって下さいネ。
大牟田常駐のハイブリッドニーナさん(笑)は、岡山機関区で定期検査中であり、21号機が代わりに来ています。

仮屋川操車場に入って行くのを見届けました。
実はこのカモレが来る直前に、炭鉱電車の誘導員が駅事務所から降りてきて・・・。次はその紹介をします。
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駐機とすれ違う電車たちの風景
2019年10月6日 晴れ 三井化学専用鉄道・JR鹿児島本線・西鉄福岡天神大牟田線
普段居ない駐機している炭鉱電車とのすれ違いはなかなか見られない風景であると思う。
もう解説は不要ですね(笑)

下り水都

西鉄 甘木行きワンマン

折り返し上り水都

無理矢理並びを撮ってみようとしたが

左の走っている415系がぶれる(汗)。この上手い撮り方はあるのだろうか?

西鉄はこの時間帯に上下合わせて8本くらい走ってくれるので、並びやすれ違い風景を撮るのはなかなかいい。

おめ~、黒いな。

JRはあまり走らないので寂しい

お~!オレ様といい勝負だ・・・、いや全然違うじゃん(笑)
この5分後に、炭鉱電車の色合いといい勝負になりそうな列車がやってきます。
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