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東泉町2号踏切道消滅~その後

前々回の記事で、三井化学専用鉄道の宮浦操車場の東泉町2号踏切が消滅したとお伝えしましたが
大牟田の鉄道仲間から続報がありました。

2023-01-14 (17)のコピー
この写真は2023年1月14日撮影で、3月には線路や架線柱が完全撤去されています。

東泉町2号踏切道は、その後に一般道になってしまい、ここにかつて線路が4本もある踏切があったなんて、初めて来た人には想像出来ないでしょう。そしてさらに、上の写真に柵が設置されというのです。

警報器消失
もう少し分かりやすく説明すると、上の写真でいう元踏切道の左側に柵が設置されたのです。
そして元々踏切脇にあった会社の敷地が広がったのか?と。

次回に行くことがあったら、東泉町2号踏切・三坑町3号踏切のそれぞれの踏切道の消滅模様をお伝えします。
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東泉町2号踏切道消滅

大牟田の鉄道仲間からの情報によると

20220730 (59)c
東泉町2号踏切が最近、軌道を完全にひっぺがえして、ただの市道になったそうです。
つまり、レールが埋め込まれていた踏切道が消滅したということです。
旭町1号j踏切や東泉町1号踏切の様にきれいに市道が整備されたということです。

三坑町3号踏切道にもカッター目が入れられており、ガタガタ五月蝿い踏切道を静かに走れるようになります。

こうして、宮浦操車場を囲む高い柵と門扉はそのまま、そして炭鉱電車が収納されている機関庫だけが残りましたとさ。

◆次にこの場所を訪れたら、昔を偲ぶ(思い出す)しかやりようがありませんね。まあ仕方が無いでしょう。

線路撤去完了2023-3-31

2023年1月14日 三井化学専用鉄道だった線路状況より
なんかよく分からないけれど、宮浦操車場に1本だけ残っていた線路
何か目的があったのか?

2023-01-14 (5)のコピー
東泉町1号踏切~東泉町2号踏切の間のパイプライン横の線路は残っていた

2023-01-14 (6)のコピー
ズーム撮影するとよく分かる。なぜ残しているの?
おそらく軌陸車を使って架線撤去に利用したから残ったのかもしれない。

2023-01-14 (16)のコピー
市道でもあるからか、踏切道の線路撤去は行われないのか。
旭町踏切や東泉町1号踏切の様に、完全撤去&舗装し直しまでは至っていない。
地方の廃線でもそこまでしていない場所は結構ある。

2023-01-14 (17)のコピー
東泉町2号踏切から旭町方向を望む。
安全側線は全部剥がされている。
動かなくなった分岐器が虚しく時が経つのを数える。

2023-01-14 (18)のコピー
今にも奥から炭鉱電車が走ってきそうな風景だ

2023-01-14 (19)のコピー
門扉の奥には線路ときれいで上等な分岐器と黄色い転てつ機が並ぶ

2023-01-14 (257)のコピー
車庫の奥もきれいさっぱり架線柱や架線がない

2023-01-14 (261)のコピー
三坑町3号踏切奥の線路は結構残っている

2023-01-14 (269)のコピー
三坑町3号踏切から覗いた宮浦操車場だった内部の線路も1本だけ残っている
私が以前予想した搬出場所の案が成っていたら、この線路は利用されたかもしれない

2023-01-14 (287)のコピー
すっかり様変わりした何もない宮浦操車場だった場所

◆2023年3月31日 大牟田の鉄道仲間から連絡が入った
 三井化学専用鉄道の線路・設備(架線柱、架線、レール、まくらぎ、信号関係など)撤去・解体完了だと。
 残ったのは、今も3両の炭鉱電車が入っている機関庫(検修庫)、東泉町2号踏切と三坑町3号踏切の各踏切道だ。
 目標の撤去が完了し、三井化学専用鉄道で働いていた三池港物流鉄道課の職員は3月31日に全員退職。
 ここに三井化学専用鉄道の完全なる終止符が打たれた。
 機関庫に残った炭鉱電車の管理や、宮浦操車場だった空き地の更地など今後誰がどうするのかは全く分かりません。

 完全終了したからと言っても、柵の中には無断で侵入してはいけません。今でも変わらず私有地ですから。

2023-01-14 (11)のコピー
2023年1月14日 東泉町2号踏切付近で偶然見かけた
鉄道の線路が無くなっても、濃硝酸タンクコンテナは今でも陸送が続く。唯一の現役生き証人か。

◇次回、宮浦操車場だった場所に行った時は、更地状況をお伝えしますが、なんか虚しいなあ(苦笑)。

東泉町2号踏切の警報器がどっか行った

東泉町2号踏切~よく通った場所

20191214 (205)のコピー
現役の頃の2019年12月14日
 20t電車11号機が往く

20220730 (59)c
廃止後の2022年7月30日
 線路は踏切道部分を除き、4線路中3線が撤去されたが、警報器や遮断機は残る

警報器消失
そして、2023年1月14日
東泉町2号踏切から2基の警報器が消えた。遮断機をきれいに残して(汗
警報器が無いと締まらないな~。遮断機だけ閉まってもなあ~(笑)。

警報器はどこへ?次回以降、警報器の在処をご紹介。

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見る影も無いとはこういう風景を言うのか

2022年7月30日 かつて宮浦操車場があった場所
宮浦操車場のシンボル、駅舎(駅事務所)が解体されて更地になりました

2010-4-24 宮浦 (32)c
2010年4月24日 かつてこんなに賑わっていた宮浦操車場の炭鉱電車と貨車(荷)、駅事務所が懐かしい

20220730(1).jpg
2022年7月30日 そして現在

20150814宮浦 (60)c
2015年8月14日 東泉町2号踏切から撮影
かつてこんなに賑わっていた宮浦操車場の炭鉱電車と貨車(荷)、駅事務所

20220730(2).jpg
2022年7月30日 そして現在

半分以上はレールが残っているが撤去は時間の問題か
せめて、炭鉱電車たちの搬出先(受入れ先)が全部決まるまでは、搬出のためにも線路は最低限残されるかもね。

残っている架線柱は、大牟田からの報告によると、8月上旬にすべて倒されたそうです。鉄骨の架線柱はまだ健在だと。

今回は速報まで。いずれ詳しく現在の様子をお伝えします。

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宮浦駅事務所(駅舎)が完全に解体されました

2022年7月2日
大牟田の方から、宮浦操車場の駅事務所(駅舎)が完全に解体されたと写真付きで連絡がありました。
(ブログへの写真掲載不可)

解体作業は6月28日から始まっており、あっという間に瓦礫と化しました。
まあ木造建築ですから、重機の手にかかればあっけないものです。

10-7-17宮浦 (23)c
2010年7月17日 駅事務所下で朝のラジオ体操です

2010-10-21宮浦夜景 (34)c
2010年10月21日 夜間に場内の投光器が明々と灯っていました

150504宮浦 (27)c
2015年5月4日 さあ今日も頑張るぞ!って言っているみたいな22t電車

20160717宮浦 (8)c
2016年7月17日 当時は意識して駅事務所を撮ることは無かったです

20171105 (69)c
2017年11月5日 朝方は駅事務所下が束の間の賑やかさがあり

2020-03-20 (97)c
2020年3月20日 廃止直前なのでそろそろ意識して駅事務所を撮り始めた?

DSCF4497c.jpg
2020年8月2日 役目を終えて佇む22t電車と45t電車が、駅事務所からの指示を永遠に待っているかの様

20210606 (11)c
2021年6月6日 車両が引き上げて、駅事務所周りに何も居ないという

20210606 (155)c
2021年6月6日 解体が1年延びたそうです。そして1年はあっという間に経過し、予定通り解体が始まる。

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (244)c
2021年12月11日 ではさらばだ~長い間お疲れ様

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宮浦操車場の今(2022-6-12)

2022年6月12日に宮浦操車場の解体状況を見に行った鉄道ファンのお友達から、
撮影写真のブログ転載許可を頂きましたので、ここに公開します。

2022-6-12宮浦解体4
東泉町2号踏切から宮浦操車場の正門を見渡す
もう二度と開くことの無い扉と言われていましたが、最近線路撤去工事の際に全開しました。

◆架線がすべて取り外されました。まるで最初から非電化区間だったかのような。

2022-6-12宮浦解体2
先日の投稿記事で説明した様に、工場へ続いていた線路が撤去されました。
2022年6月15日現在で、宮浦駅事務所までレール撤去が完了しています。
そのほかのレールはまだ大半残っています。

◆ここにはかつて手動転てつ機がありました。

2022-6-12宮浦解体1
撤去したレールが山積みです。これらは再利用するのか廃棄するのか?

2022-6-12宮浦解体6
ぶつ切られたレールを見ていると辛くなってきます。もう二度と走れないと思うとさらに辛いです。

◆敷設するのはとても大変ですが、撤去するのは簡単です。

2022-6-12宮浦解体7
宮浦駅事務所は、もう解体を待つだけの建物と化しました。
繋がっていた電線や屋根を貫通していた架線柱はもうありません。

2022-6-12宮浦解体5
もはや廃墟同然な建物です。引越は完全に終わっているでしょう。

2022-6-12宮浦解体3
さて写真左側に見える白いシートで覆われた場所ですが・・・
(以下は私の撮影写真)

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (358)のコピー
2021年12月11日 この頃は何も留置のなかった行き止まり線路に白い目隠し?シートで囲まれています

20220424 (99)のコピー
2022年4月24日 最後は検重車や保線用レール運搬車が留置され、解体の時を待ちます

2022年6月15日の一報では

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (252)のコピー
白いシートの中では、人知れず「部品取りの廃車体」である、車庫外に置いてあった22トン電車2号機・4号機が解体されたとのこと。また、一番手前の20号機は明日以降には解体されるとのこと。もう検重車やレール運搬車は残っていないでしょう。

今回、写真の使用許可を頂きまして誠にありがとうございます。

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宮浦操車場の線路撤去状況説明

2022年6月10日の宮浦操車場の線路撤去の状況写真は手に入らないので、イメージで説明

20200229 (137)ce
写真は2020年2月29日撮影のもの
黄色い線より左側で柵寄りを除く線路のレールだけが宮浦駅事務所まで撤去されているというのだ

20220424 (256)c
さらに東泉町2号踏切の踏切道路脇にあった側溝は砂利等で埋められ、踏切から線路跡にかけて重機(バックホウなど)が軽々と入れるようになっています。黄色い電気転てつ機は撤去され、ひょっとしたら手前の側溝も一時的に埋められたのかな?それだと東泉町2号踏切はぶっ壊されたも同然かな?そこを撮った写真は見せてもらっていません。

20220424 (11)のコピー
目的は宮浦駅事務所の解体のために重機やダンプを進入させるためでしょうか。
重機ならキャタピラ駆動なので問題ありませんが、ダンプと言えども土砂では立ち往生する可能性大なので、何かしら沈まない対策(例えば敷き鉄板を複数枚並べるとか)をするのかな?と個人的見解があります。

20220424 (42)のコピー
東泉町2号踏切から宮浦駅事務所までは150mほど

2021-07-30 (202)c
なんでわざわざ東泉町2号踏切から重機を出入りさせるのか?この門を利用した方が、早そうなのだが。なにかこの門だと不都合があるのかもしれませんね。土壌が悪いのかもしれません。立ち往生する可能性が高いとか?それともこちら側の線路を撤去しない理由があるのか(1枚目の写真で黄色い線の右側はまったく手つかず状態(踏切道部分以外は全く撤去されていない)。

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (244)c
市道に面した宮浦駅事務所。解体するときは、市道の一時通行止めか、飛散防止のシートが張られるのかもしれない。

これ以上は今後の大牟田からの情報を待つしか無いですね。
線路の一部撤去が宮浦駅事務所への撤去作業用の重機の通路説はあくまで個人的見解です。あしからずご了承ください。

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宮浦操車場~線路撤去開始

2022年6月8日 大牟田の鉄道仲間からショッキングな一報が入りました

宮浦操車場の線路が、東泉町2号踏切側から撤去が始まっている!とのこと
撤去模様も見せて貰いました。写真は貰えないのでブログには掲載できませんが、そんな辛い模様は大勢に見せたくないですからちょうどいい。

そうそう宮浦駅事務所の解体が今月末頃に延期になったそうな。その理由は定かではありませんが、推測なら次回にでも書きましょう。

東泉町2号踏切付近から眺めた、1年ごとの宮浦操車場の風景を振り返ってみましょう。
09-11-8宮浦 (30)c
2009年11月8日 黄タキ最後のシーズンを激写

10-6-26宮浦操車場 (45)c
2010年6月26日 大雨の中、黙々と撮っていた頃

110423宮浦 (43)c
2011年4月23日 45tの運転が終わって22t電車が出て来る直前を待ち構える

120108宮浦 (19)c
2012年1月8日 日の出は遅く、霜もおりた寒い朝でも撮る

130804宮浦2 (109)c
2013年8月4日 汗だくになっても必至に撮っていました

140321宮浦 (18)c
2014年3月21日 そろそろ桜の季節、宮浦は菜の花で賑わった

150503宮浦 (7)c
2015年5月3日 もうすぐ長期ウヤに入る。あと何日撮影出来るだろうかと考えたり。

20160718宮浦 (54)c
2016年7月18日 ウヤ明け時の運用が例年以上に少なくて、なかなか貨車が増えずで寂しかった

20170319 (30)のコピー
2017年3月19日 久しぶりに来たけど、なんだか閑散としてきましたね

20181223大牟田 (173)のコピー
2018年12月23日 編成が短くなって撮影回数も減ってきた

20190727 (143)のコピー
2019年7月27日 廃止濃厚なニュースが発表されてはや数ヶ月。徐々に焦りが出てきた。

2020-03-20 (249)c
2020年3月20日 一枚一枚に緊張感が漂う

2021-07-30 (118)c
2021年7月30日 炭鉱電車ラストランイベントを前日に控えて

20220424 (238)c
2022年4月24日 撤去作業開始前の宮浦操車場の最後の姿

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宮浦操車場 架線柱・架線撤去の進行状況

2022年5月27日 宮浦操車場の駅舎付近など、相当数(距離)の架線と架線柱が撤去されたと大牟田から連絡有り。

写真を拝見しましたが、ブログへの転載許可がないので、次の写真で大体の想像をお願いします。
09-10-4宮浦am (57)c
2009年10月4日 主の居ぬ間に撮影

20110319宮浦 (144)c
2011年3月19日 宮浦駅舎と炭鉱電車・貨車たち

過日の写真より
この写真に写る、架線、架線柱が相当数消えました。架線柱は器用に引っこ抜いたようです。

特に奇妙なのが、宮浦駅舎の屋根を貫通?しているように見える架線柱が撤去されたことです。

2021-07-31 (208)のコピー
2021年7月31日撮影
22t電車の右上に写っています

2021-07-31 (49)のコピー
同日 その奇妙な架線柱を見上げたもの
(こんなのを撮影しているのはきっと私みたいな変わり者だけでしょう)
この架線柱は、駅舎の屋根を貫通していますが、駅舎は壊さずに器用に撤去しています。

なお架線柱はまだ多くが撤去完了していないので、これからあっという間に景色が変わると思われる。


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次は何が撤去解体されるのだろうか。また宮浦駅舎は来週から解体が始まるらしい。

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仮屋川操車場の終端部から廃線跡を眺めてみた

2022年4月24日 仮屋川操車場の終端部から廃線跡を眺めてみた
文中の撮影日付がない写真は2022年4月24日撮影となります。

20220424 (359)のコピー
一番奥がJR鹿児島本線や西鉄大牟田線が走っている

20151228仮屋川操 (28)c
2015年12月28日 仮屋川操車場の終端部から見たときの線路配置

20220424 (358)のコピー
昔の様子を知らないと、とても当時を想像出来ない

120811仮屋川末端 (35)c
2012年8月11日 コキ200積載問題のころは操車場の線路いっぱいつかっていましたね

20220424 (363)のコピー
仮屋川操車場も変わったけれど奥に見える建物の風景も随分変わった

10-5-1仮屋川機回し (15)c
2010年5月1日 今はなきスーパーの看板が見える。まだ高層マンションは見当たらない。

20220424 (357)cのコピー
右脇のコンクリートの土台部分には、かつて車止めのコンクリート塊があった。

09-8-8仮屋川機回し (5)c
2009年8月8日 45t電車がスイッチするために終端部までやってくる瞬間
右端に車止めのブロックが見える

20220424 (360)のコピー
あんなに大きな車止めは取り外され(置いてあるだけだったと知った)、跡だけ残っている。

10-5-1仮屋川機回し (21)c
2010年5月1日 そう言えば車止めの真後ろから撮影も出来ましたね。45t電車18号機の真正面ドカンです。

仮屋川操車場は将来住宅地になるのかな?ろくなアクセス道路がないから住むには大変だと思います。まずは道路整備かな?

これにて三井化学専用鉄道の廃線状況は一通り報告できました。あとは、順次解体・撤去の連絡待ちでしょうか。

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仮屋川操車場の中心地点から廃線状況を見てみた

2022年4月24日 三井化学専用鉄道の仮屋川操車場だった場所を今昔でお届けします
文中の撮影日付のない写真は2022年4月22日

20220424 (333)のコピー
仮屋川操車場の貨物列車編成が並んでいた場所はもうレールがなく、まくらぎもはぎ取られています。このさきずっとこんな状況でした。

20151025仮屋川操 (93)c
2015年10月25日 左から爆走中の815系下り電車、DE10構内貨物列車(待機中)、宮浦行き第4便(出発済み)の3列車が状態は違えど、並んでいる瞬間を捉えます。西鉄もいたらもっと賑やかでしょう。

20220424 (341)のコピー
住宅地の駐車場の中から仮屋川操車場だった場所を撮らせて頂きます。
架線、架線柱、そしてレール・まくらぎが撤去され、まくらぎが山盛り状態で廃棄を待っています。

140907仮屋川操 (19)c
2014年9月7日 かつてはこんなに貨物列車が並んでいた壮大とは言えなくても見応えがあった場所でした

20151018仮屋川操 (25)c
2015年10月18日 機回し中の45t電車も朝日に輝いて、とても良い景色でした

20220424 (342)のコピー
8両編成停車位置札が見えます
まくらぎはしばしの眠りに就きました。
次の用途が鉄道用でありますように。

101103仮屋川操車場 (14)c
2010年11月3日 10両編成停車位置札と仮屋川操車場越しに見えるリレーつばめ
この5ヶ月後には見られなくなるつばめ特急電車が大牟田に向けて走り去ってゆく。

20220424 (343)のコピー
12両編成停止位置札と廃まくらぎの山

20220424 (354)のコピー
大牟田行きの813系電車が行く~廃まくらぎの山を眺めながら

20220424 (346)のコピー
仮屋川操車場入り口付近を望みます

150112仮屋川操 (28)c
2015年11月12日 宮浦から第1便貨物列車がやって来た頃の風景

20220424 (350)のコピー
西鉄電車が通過するだけ

20220424 (347)のコピー
もっと広角気味に仮屋川操車場を

140216仮屋川操 (13)c
2014年2月16日 とても同じ位置だっとは認めたくないけれど、これが現実なんだと

次回は仮屋川操車場の線路終端側から見てみましょう

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仮屋川操車場入り口付近は消えた

三井化学専用鉄道の廃線跡 仮屋川操車場入り口付近

20220424 (331)のコピー
2022年4月24日 仮屋川操車場に入る線路や分岐器がすべて撤去された。

150328仮屋川操 (102)c
2015年3月28日 仮屋川操車場を出入りする線路や分岐器があった賑やかな風景

150711仮屋川操第1便 (14)c
2015年7月11日 三井化学専用鉄道の第1便貨物が仮屋川操車場に入って来た

130616 DE10構内貨 (85)c
2013年6月16日 DE10牽引の構内貨物が仮屋川操車場に入って来た

20220424 (332)のコピー
2022年4月24日 仮屋川操車場の入り口風景はもう過去のモノとなった

141011仮屋川操 (81)c
2014年10月11日 仮屋川操車場の入り口はなかなか面白い線路構造だった

150711仮屋川操第1便 (31)c
2015年7月11日 仮屋川操車場を出て行く45t電車~第2便単機回送

20150927仮屋川操 (43)c
2015年9月27日 仮屋川操車場を出発したDE10牽引構内貨物~大牟田駅戻り

20220424 (336)のコピー
2022年4月24日 仮屋川操車場に入るための上り線から下り線に渡る分岐器や渡り線は完全に撤去され、鹿児島本線を通っていく列車は静かになった。

20151227仮屋川操DE10 (3)c
2015年12月27日 その渡り線は1日1度だけ使われていた

20150725-DE10構内貨1 (34)c
2015年7月25日 DE10構内貨物がその渡り線を通って、仮屋川操車場に向かってきます。

こうして、完全撤去後の風景、運用時代の風景を比べるとなかなか味があります。でも寂しいね。

次は仮屋川操車場の中程から全体を眺めましょう。

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見慣れたあの風景・建物がありませんね

2022年4月24日 三井化学専用鉄道の廃線跡~旭町信号所付近

20220424 (317)のコピー
あるべきモノが、あって当然だった建物が消えました

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (38)のコピー
2021年12月11日撮影 旭町信号所があった頃

20220424 (323)のコピー
それが現在はこんな更地になりました。跡形もないね。

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (36)のコピー
廃止まではこの場所で頻繁に撮影しましたね
私のお気に入りお立ち台~と言っても何か登ったりせず、踏み台は使わずにシャッター切っていましたね。

140726-1151レ (3)のコピー
2014年7月26日撮影 1151レ
大牟田専用貨物の下りは、瀬高方面でもよく撮りましたが、ここは当時の自宅から近かったのでよく通いました。
ネタモノの時は、出勤前に撮ったりと無茶していました。懐かしい!

140308-DE10構内貨 (61)のコピー
2014年3月8日 大牟田駅に戻る構内貨物列車
ここでDE10の本線走行が見られるなんて~実際は線路閉塞で走っているのですが楽しかった。

140302-4093レ (51)のコピー
2014年3月2日 西鉄特急下りと、鹿児島貨物4093レが同時に下って来て併走シーンが撮れたり
伝説の3並び写真もこの場所で撮りましたね。

20220424 (327)のコピー
すっかり線路が剥がされて何もなくなりましたね

140506第1便 (12)のコピー
2014年5月6日 第1便貨物列車 仮屋川操車場行き
構図に旭町信号所を入れるか、入れないか、縦撮りにするかといろいろ悩みましたね。

20220424 (320)のコピー
途中に置いてあるバリケードは、ここを踏み抜く恐れがあるという目印か?

20210110 (38)c
2021年1月10日撮影 元々は小さな川を渡る橋があったのです。JR側は暗渠になっています。

20191006 (85)のコピー
2019年10月6日撮影
最後に旭町信号所の記念すべきシーンを。
写真ではよく分かりませんが、これはパンタを下げて駐機しているのです。
私は全然知らなかったのですが、毎月1度(平日)は信号の点検とかで、旭町信号所脇に炭鉱電車を駐機させていたそうな。この撮影時は、よく分からないけれど1ヶ月近く毎日駐機していたので、土日でも撮影出来たのです。ラッキーでした。

次は徐々に仮屋川操車場方面に向かいます。

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京町踏切は今どうなっている!?

2022年4月24日 京町踏切は今どうなっている!?

2020-02-16 (46)のコピー
2020年2月16日 雨
京町踏切を通過する45t電車単機回送

20140921京町踏切 (2)c
2014年9月21日
京町踏切を通過する第一便貨物列車
銀タンコと黄タンコが懐かしい


2021-12-11専用鉄道廃線状況 (19)のコピー
2021年12月11日 京町踏切改良前
まだ線路が5本あった頃ですが、専用鉄道のレールは左側で切られています。

20220424 (312)のコピー
2022年4月24日撮影
京町踏切は、三井化学専用鉄道の線路は完全に除去されて、線路のあった部分はアスファルト舗装されて、さらに踏切の横断距離が縮小され、東側の警報器や遮断機の位置が変わった。

2021-12-11専用鉄道廃線状況 (27)のコピー
2021年12月11日 京町踏切改良前
旭町信号所が見えます。30年以上昔は右側に3本ほど線路があったそうな。近くのマンションが建つ前の時代の話ですが。

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2022年4月24日撮影
以前線路があった位置と現在の京町踏切の位置関係分かりますか?

以下はすべて2022年4月24日撮影
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京町踏切の両脇~線路跡へは完全に柵で覆われて線路内に入れないようになっています

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旭町1号踏切側を望む~特に何もありません。線路がなくなったただの空き地っぽいです。
この先に見える街で一番大きなNホテルの建て替えの話があります、線路跡を将来買収して土地を広げるのかな?その辺はさっぱり分かりませんが、放置するよりはマシかと。私は京町~旭町~宮浦まで遊歩道になっていたら良かったんだけどね。

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仮屋川操車場方向へ続く廃線跡~こうして見ていると「あ~廃線になったんだな~と実感します」

150131大牟田GHΔ (68)のコピー
2015年1月31日 京町踏切を渡り、宮浦操車場に急ぐ第4便貨物列車
朝日を受けた炭鉱電車が眩しい

2010-3-22返空専貨 (15)c
2010年3月22日 京町踏切を渡る第1便貨物列車
銀タンコと黄タンコの境目辺りが、京町踏切になります。
ばいば~い!

次は仮屋川操車場方面へ~この先のお馴染みの建物がなくなりました。寂しい!

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旭町1号踏切があった場所の現在の風景 詳しく

2022年4月24日 三井化学専用鉄道の旭町1号踏切があった場所~詳しく

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踏切番が操作していたワイヤーロープ式の第二種踏切だった旭町1合踏切

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現在ではすっきり何もないただのカーブと陸橋が残る道路になった

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2016年6月2日 パンタを上げて錆び取り運転中の22t電車が往く

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現在は道路のアスファルト舗装の色の違いから以前は踏切があったという唯一の痕跡

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その奥の宮浦方面への線路跡は、単なる廃線跡と化している。奥に見えるゆめタウン従業員用の跨線橋より先は、工場の配管工事真っ最中。

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2016年7月20日 ホテルから旭町1号踏切を通過する45t電車を俯瞰撮影

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そのホテルから見下ろしていた場所に立つ。仮屋川操車場方面を見渡す。

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仮屋川操車場方面の線路は京町踏切までただの廃線跡のままだ

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線路跡の両側の歩道部はきれいに整備されています

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こちらの歩道部も整備されていますすが、左端が未完成と言ったところか。

今後、踏切だった両側の廃線跡との封鎖はどのように行われるのか分かりません。
放置していたら草ボウボウになったり、ゴミが捨てられたりと荒れそうです。

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速報~宮浦操車場の架線撤去始まる!(2022-5-9)

2022年5月9日 大牟田の鉄道仲間から「宮浦操車場の架線撤去が始まった」という連絡が来ました。
ついにこの日が来たな~いや割と遅かったのですが、いざ撤去が始まると寂しいものですね。

20220422c.jpg
2022年4月24日撮影
この吊り下げタイプというか、スパンの長い架線柱・梁が消えるときが来ましたか。

2021-07-31 (264)c
以下の9枚の写真は2021年7月31日撮影(ラストランイベント開催のため、柵の中からの撮影も有り)
まずは架線から切っているそうです。

2021-07-31 (112)c
架線は簡単に切ることが出来るようで、ポトポト線路に落ちて行っているようです。
そんな光景を間近で見ていたという鉄仲間の心中は穏やかではないでしょうね。
私だったら泣きそうです。

20210606 (45)c
鉄骨架線柱のてっぺんに取り付けられている風速計も消えるんですね。最後までお役目ご苦労様!

2020年7月の大牟田大水害の影響で、宮浦操車場が冠水したため変電設備は壊れてしまいました。
そのため、架線に電気を流すことも、信号や分岐器を動かすことも出来なくなりました。
撤去解体のこの日まで、架線には一度も電気が流れることもありませんでした。
なお、ラストランイベントの炭鉱電車22tは、バッテリー駆動のためパンタグラフからの充電でなくても大丈夫なので、大丈夫だったそうです。

2021-07-30 (115)c
ご存じの通り、宮浦操車場を正門から眺められるこの広々としたお馴染みの風景も、あの鉄骨支柱と長大スパンの梁が支える架線設備があったからこそです。全部で5組ありました。

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これが近代的なコンクリートの電柱型だったら、ゴミゴミしすぎた、撮りにくい操車場だったかもしれません。
長大スパンの架線設備に感謝ですね!

2021-07-30 (25)c
宮浦駅事務所から車庫方面は、近代的なコンクリートの電柱が群立する架線設備です。

2021-07-31 (57)c
正面からなら問題ありませんが、柵の外からだと架線柱を何とか避けてながらの撮影になります。

20210606 (250)c
宮浦操車場から東泉町2号踏切~東泉町1号踏切手前にかけての架線設備も近代的です。
こちらも流れで一緒に撤去なのでしょう。

架線と架線をぶら下げる梁や鋼線の撤去が終わったら、鉄骨やコンクリートの架線柱の撤去または解体でしょう。
鉄骨式は土台や基礎が相当大きいので重機などで解体し、コンクリート電柱は引っこ抜くのかと。
仮屋川操車場で行われた撤去方法と変わらないでしょう(管理人は撤去模様は見たことが無い)。

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最後に、宮浦駅事務所の屋根を貫通している架線柱を撤去しようものなら、駅事務所もだだでは済まないでしょうね。

駅事務所も来月には解体が始まるそうで、次私が遠征した時は、宮浦操車場だった場所は、変わり果てた更地になっていることでしょう。さて、ここは将来何に化けるのでしょうか。

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旭町1号踏切があった場所の現在の風景 2022-4-24

2022年4月24日 旭町1号踏切があった場所は今どうなっているか?

撮影日は雨上がりだった影響かアスファルト舗装の新旧の区別がつきにくくて線路跡がはっきりしない(笑)。
まあ、よく見たら誰でも分かりますけどね。

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アスファルト舗装の濃い部分が線路敷きだった
すっきりしすぎなほど、な~んにも無くなりました。

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角度を変えて撮影
目を閉じれば、電車があんな風に走っていたのだと思い出せます。

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国道の踏切信号機もありません。
昨年12月に来たときはまだありましたね。

以下は2014年4月20日撮影
跨線橋から眺める写真はあまり撮っていないのです。架線や電柱、信号機が邪魔でね。

140420向谷実-旭町1号踏切 (38)c

140420向谷実-旭町1号踏切 (37)c

ちょっと時間がないので、今回はここまで。
次回詳しく書きます。


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かつて東泉町1号踏切があった場所の今 2022-4-24

2022年4月24日 東泉町1号踏切があった場所

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宮浦操車場から東泉町1号踏切の鉄橋の手前まではまだ架線も線路も残されています。

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現在の様子。

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現在は排水・配水管の新規設置工事が行われています。
この新規の管は、従来よりも高い位置に設置されようとしています。
これは線路敷きの部分が海抜0mクラスで、過去に水没したことがあるため、その改善策かと考えられます。
線路がなくなったことで、市が管理会社に要請をしたのでしょうか?いずれは路面が嵩上げされるのかもしれません。

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旭町踏切方向は新しい配管が設置されました。遊歩道化されなかった。

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宮浦方向はこんな状態です。撤去されていない線路は避けているあたり、設置条件があるのかな?
それともその線路は将来の管理用道路(私道)かな?そんな気がします。

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旧大牟田川を渡っていた小さな鉄橋は撤去されました。橋台は残っています。頑丈そうだから撤去はやめたかな。

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宮浦方向の線路・架線が残っている風景

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今にも向こう側から電車が走ってきそうです。

2009-8-30東泉町1号踏切工事 (16)c
2009年8月30日撮影 元々はこんな踏切でしたね
他の踏切に比べて地味で狭くてキャパも少なくて危なくて風景も良くなくて数多く撮影はしていません(汗)。

20150814東泉町1号踏切 (27)c
2015年8月14日撮影
お盆休みに実家に帰らず親不孝者と言われながらも(笑)、黙々と撮影をこなす日々でした。

20200301 (58)c
2020年3月1日撮影
この位置で4人で撮影していたらもはや激パ状態。廃止直前はどこも異常だった。

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なお、新規設置の配管はその先はこうなっていて、廃線跡を利用しているのはちょっとだけだった。

次回は旭町1号踏切に向かいます。ここは劇的に変化しました。

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宮浦操車場の様子 その6 2022-4-24

2022年4月24日 宮浦操車場の様子~東泉町2号踏切付近など

一周して参りました。ほんとはもっとゆっくり書きたいところですが(笑)、時間のかかるネタは後日また紹介します。
今はとにかく、廃線・線路跡を中心に報告したいですからね。

20220424 (236)のコピー
検重車以外、貨車がいないのはホント見ていて寂しい。
そりゃあ廃止されたのだから仕方が無いけれど。

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この風景から昔を偲ぶことが出来るだけ私はまだ幸せな方だ。

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2014年11月29日撮影 第1便の出発準備の時間からよく撮りましたね 

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2015年5月3日撮影
大型連休中でも走りましたね。でも連休終わったら、すぐに年次ウヤに入りましたが。

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宮浦駅事務所を望む。引越作業は終わったのかな?あとは解体を待つのみか。

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東泉町2号踏切付近。今日は業者の車が居なかった。こんな日もあるさ。

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工場引き込み線。見える範囲では線路は全部剥がされたようだ。奥の方はアスファルトだから撤去は大変だっただろう。ひょっとしたら撤去していないかも。

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鉄橋は撤去されていませんが、レールやまくらぎはありません。

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2014年5月6日撮影 工場から出てくる22t電車9号機
ここでの撮影もいろいろ考えましたね。 

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鉄橋の手前の線路が剥がされた付近

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そろそろ宮浦操車場とお別れです。

20220424 (251)のコピー
次来たときは風景が一変しているのだろうか。名物の高い柵もなくなり、更地になっているのかも。

次は、旭町支線を順に仮屋川操車場方面へ線路終端まで向かいます。

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プロフィール

UTXC

Author:UTXC
こんにちは~(^▽^)/
全国の皆様へ~三井化学専用鉄道と大牟田付近で見られる貨物列車等の状況をお伝えします。魅力あふれる元気な炭鉱電車も紹介します。
2009年3月~2016年7月までタンク車に代わるタンクコンテナ(銀・黄タンコ)や海コンらを撮りまくりました。管理人は現在大牟田に住んでいませんが、遠くから我が大牟田の鉄道を見守っています。
なお、大牟田に関わる鉄道は2020年5月をもちまして幕を閉じました。
今後の更新は不定期です。
現在は全国各地の貨物列車のコンテナを中心に撮影しています。面白いネタがあれば紹介します。

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