濃硝酸(銀タンコ)の陸送状況
今年の春ごろから、大牟田市内では写真のようなトラック輸送が見られます。
◆ある日



銀タンコこと、濃硝酸タンクコンテナの陸送シーンです。
なぜ、これが話題にならないか?
簡単な話です。鉄道輸送じゃ無いからです。
また、三井化学専用鉄道のメイン(主役)は炭鉱電車でしたから、
貨車やタンクコンテナに興味を持つ鉄道ファンは少ないでしょう。私は両方好きな変わり者ですが(笑)。
写真はUT13C-8034。三菱ケミカルの文字は消され、MCLCの大きなロゴは銀色のシートを貼って隠しています。
管理会社や使用者が変わったから仕方がないのでしょう。

鉄道輸送時代のUT13C-8034の姿です。
このナンバーは早々に陸送に切り替えられ、最近まで濃硝酸とは別の危険物を大牟田市内で運搬していました。
8033も同様ですが、今年はまだ濃硝酸輸送の目撃はしていません。
◆別のある日



UT13C-8036の陸送状況です。
背景からどこを走っているかよく分かります。いくら大牟田市内と言えども、三井化学専用鉄道から離れた場所ですから
余程の物好きで無いとここまで来ません。

鉄道輸送時代のUT13C-8036
◆また別のある日

UT13C-8031の陸送状況

同じく鉄道輸送時代のUT13C-8031
◆現在、大牟田市内の公道(国道・市道)を走っている姿を目撃しているのはこの3基(8031・8034・8036)です。
まだ濃硝酸の陸上輸送を目撃していない、8033・8040がいるはずですが。全部が稼働しているのかどうかは不明。
◇最低でもこの3基が1日に4往復、三井化学大牟田工場~三池港を運搬していれば、
鉄道輸送時代のコキ200×6両 計12基分に相当します。鉄道よりも安く運べるのかな?(←これは分からない)
素人が考えても、例えばトラック3台ならば、その車両費(リースか購入か不明)、交代要員含む運転手3名以上、
新規に陸送専用の施設が必要だったでしょう。
鉄道輸送が続いていたら・・・・、って一塊の鉄道ファンが考えてもどうにもなりません。
◆◇私は現実は受け止めています。
最近ツイッターで、黄タンコこと液化塩素タンクコンテナ(UT13C-8067~8090)の一部が、どこかの場所で密かに
解体処分されているというニュースを知りました。非常に残念なショッキングな事ですが仕方がありません。
日豊本線で引き続き使用されている黄緑色枠の黄タンコ、大牟田で陸上輸送に使用されている銀タンコは
それぞれ全体の僅かですから、我々の知らないうちにひっそりとお役ご免になっているものと思われます。
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炭鉱電車マニアック動画の解説~#05 運転操作
炭鉱電車マニアック動画解説シリーズ その5 運転操作
炭鉱電車マニアック編 #05‗運転操作 -- Coal Mine Train Movie for Enthusiast: #05 Driving OperationYoutubeへのURLアドレスです
◆この動画(映像)がどこか分かりますか?
そうです、仮屋川操車場の線路終端付近です。


動画(映像)の正確な位置としては、上の写真付近です。どう?ご存じですか?
車両が写っていると位置が分かりにくいでしょうし、そもそもここを知らない方も大勢いることでしょう。

これでいかがでしょうか?

仮屋川操車場を終端側から見渡した風景です。まだ何の列車も到着していません。
右端の線路は使用していません。

仮屋川操車場の線路終端です。
第1便貨物が仮屋川操車場に到着して、第2便単機回送として宮浦に戻るために、仮屋川操車場の線路終端迄走って、スイッチして・・・、という場面ですが、分かりますか?(汗
◆どういうシーンなのか一連の写真でおいかけてみましょう。

まず、仮屋川操車場に宮浦操車場から来た第1便列車が到着します。
焦点距離:600mm

操車係が途中下車します(笑)

貨車と切り離して、線路終端方向へ単機で向かいます

その反対側のステップには操車係が乗っています。

線路終端付近でスイッチし、中線へ向かう瞬間に風情のある瞬間を捉えました。

中線を滑走し始めます。

入り口付近でいったん停車して、操車係が下車して、先ほど引いてきた1貨車の車止めハンドルを回して留置を完全なものに。
このように線路終端から撮影される方は少なかったでしょうね。
◆そもそも仮屋川操車場の風景は

長溝川踏切が健在だったころまでの正面並び風景

住宅地の駐輪場からの斜め並びの風景
がそれぞれ有名でしたから、わざわざ線路終端まで赴き、炭鉱電車のスイッチだけを狙いに行く物好きは少なかったでしょうね。
◆それにしても運転席の窓から見えた自動車学校の駐車場にたむろっていたオジサン達は何していたのでしょうね?
炭鉱電車の方を見ていましたね。ちょっと気になります。
★最後に、#05 運転操作の動画のマニアック度は、5段階で☆2つです。
◆更新日は未定ですが、次は#06について書きます。
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炭鉱電車マニアック動画の解説~#04 タンクコンテナ搬入
炭鉱電車マニアック動画解説シリーズ その4 タンクコンテナ搬入
炭鉱電車マニアック編 #04‗タンクコンテナ搬入 -- Coal Mine Train Movie for Enthusiast: #04 Carrying Tank ContainersYoutubeへのURLアドレスです。
◆さてさて、今回の映像(動画)#04 タンクコンテナの搬入ですが、終始同じ画しか映りません。
それ以外の楽しみは、撮影場所の位置の推測と、無線でしょうか。

今回も自作の線路図で映像の位置を紹介します。あくまで推測ですが。
前回の記事#03で紹介した、「左側に分かれていく線路」が今回#04のエリアになります。もっと詳しく説明すると、
(図には#04の事は書いていません)図の「#03付近」の真下で、「緑線の線路」が二股に分かれ「銀タンコ留置場所?」
と書かれたエリアがそうです。
◆それで、この映像(動画)は一体何をしている作業なのか?ですが、題目のように「タンクコンテナ搬入」をしています。
まだ中身の抜き取り作業はしません。
宮浦操車場に到着したコキ200積載の濃硝酸タンクコンテナコキ(銀タンコ×2基)を、20t電車が三井化学の工場の中に1両ずつ引いていきますが、単機で宮浦に戻ってくる約10数分間に行われている。その外から見えない様子が今回の映像(動画)です。
何故2両以上で連れて行けないのか?については、過去にも記事で書いたことがあります。
20t電車の勾配での牽引能力と粘着力に制限があるのかと思います。登れない、ブレーキが効かないでは済みません。
では、過去に黄タキは2両以上可能でしたがそれは何故?と言われても「分かりません」「ごめんね」(汗
コキ200のタンクコンテナ積載とタキではいろいろと走行制限や条件の制約が異なるかもしれません。

午前中は入場してから

だいたい10~15分で単機で戻ってきます。
一体、中で何が行われているのか?一般には想像するしかありません。←そんな想いをする方は僅かでしょうが(笑)。
一般道路沿いから見える「液化塩素タンクコンテナ(黄タンコ)」の行き着く先の線路配置は知っていましたが、「銀タンコ」の行き着く先は障害物か茂みの影響で見えませんでした。でも20t電車がスイッチしているのは見えたので少しは推測できていました。
◆「タンクコンテナの搬入」の前置きが長くなりましたが、今回の#04の映像(動画)は、その「銀タンコ留置場所?」に連れてきた銀タンココキを留め置く(まさに留置)作業だと思います。しかし、ここである疑問が・・・。
タンクコンテナの搬入後に行われるであろう「タンクの中身の抜き出し作業」はどのタイミングで、どこでどのように行われているかです。これはさすがに動画では紹介されませんが、ここからは私の推測話になります。
①タンクコンテナの搬入後、ある程度(1~3両)溜まったら、抜き出し作業場まで推進運転を行う。
②抜き出し作業の設備で1基または2基同時に抜き出す。

銀タンコの上部を撮影したものです(大牟田駅)。

抜き出し作業はタンクの頭の弁からか?そもそも弁は見えるけれど、口は見当たらない。
赤い↑(矢印)が口っぽいけれど、わざわざ毎回ボルト・ナットの取り付け・取り外しをやるのかな?
取り外し~抜き出し~取り付けの一連作業はさすがに専用の機具で自動で出来るよね?
こことは違う別の場所で、タンクコンテナ上部から中身抜き出す作業らしきものを見たことがあります。

それとも側面から作業するのか?
側面は弁はあっても口が見当たらない。上部と同じく赤い↑(矢印)の部分のボルトを取り付け外しして開閉しているのか?

抜き出し方は安全・防犯上の理由で説明できないでしょうね。知る人ぞ知る危険な作業でしょう。

推進運転の様子
③映像(動画)では無線を使って、ここからは見えない奥に居るであろうコキとの連結または留置停止位置への誘導があります。
②で、抜き取り設備のある作業場まで推進運転すると書きましたが、最初は1両ずつ行うと考えていました。
しかし、1両ずつそれらを行う場合に伴うリスクを考えました。
例えば、1番先に最奥に留置したタンクコンテナの中身の抜き取り作業が行われている最中のコキに→
2両目の連結を行う際、暴走または運転ミスによる連結時の衝撃により、抜き取り作業設備の破損による漏洩事故、
またはタンクの上部に登っている作業員の転落(安全帯はしているでしょうが)・転倒事故、
ただでさえ貴重な20t炭鉱電車の脱線・脱輪・転覆があっては、その後の作業に多大なる損害・損失を与えます。
また、それだけでは済まない大事故に発展する可能性があります。
◆◆もう一つのみどころが、銀タンコの留置線は機回しが可能そうな線路配置になっている点です。
映像(動画)では、冒頭から右端の下ってゆく線路(宮浦操車場に繋がっている線路)と、
推進運転している車両の右側に見える線路があります。何となく使われていない様な錆が見えますがどうなんでしょう?
★最後に、#04 タンクコンテナの搬入の動画のマニアック度は、5段階で☆4つです。
以上
◆更新日は未定ですが、次は#05について書きます。
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炭鉱電車マニアック動画の解説~#03 運転席と車窓
炭鉱電車マニアック動画解説シリーズ その3 運転席と車窓
炭鉱電車マニアック編 #03‗運転席と車窓 -- Coal Mine Train Movie for Enthusiast: #03 Driver's Seat and WindowYoutubeへのURLアドレスです
◆さて、今回の運転席と車窓の映像ですが、終始同じ地区なのでなかなか説明が難しいです。さてどうすればいいものか?
ネットの地図や上空写真を無断で貼り付けるわけにはいきません。なんなら自作の路線図でも貼るしかありません。
ただ、この資料はあくまで私のような外部の者が、ネット地図と上空写真などで得た情報から勝手に作ったのものです。
ネットの地図や上空写真は読者の皆さんでそれぞれ検索して、この図と見比べて下さいね。

#03 運転席と車窓の映像は、図の「#03付近」を宮浦操車場に戻るシーンとなります。どんどん緩い坂を下っていきます。
(なお、前々回に解説した#01の映像は図の中に書いてある付近の坂を登っているということです。)
(0:03)で遮断棒がなさそうな踏切(図の右端の構内踏切)を渡ります。踏切の名称は分かりません。工場内の踏切は警報器だけで、遮断棒は無いようです。
◆私がこの映像でずっと見ていたところは坂を下るところでばかりはなく、映像の冒頭で左側に分かれて行った線路の先です。徐々に高低差がついてきますね。その左側の線路とは、#01の映像の解説で紹介した「濃硝酸タンクコンテナの行き着く先」があるのですが、なぜか1両も見当たりません。
(0:17)で狭い運転室の中を、操車係が左から右にカメラの前を移動しましたが、これは何?せっかくの眺望が台無しだ!とか邪魔!と思った視聴者さんもいるでしょうが、これは意味のある移動と考えています。常にしていることを録っているわけですから、カメラの入った今日だけ日課をやらないのは不自然ですし、不安全行動に繋がるでしょう。
進行方向に右側に移ると言うことは、この先に待っているのは~。賢明な読者の皆様ならすでにお気づきと思います。

おそらく、この名物「途中下車」(笑)を行うために、進行方向の右側に移ったのでしょう。
まあ、ひょっとしたら撮影中に操車係が左側に寄って映り込まないように気を利かせてくれていたのかもしれませんが。
◆#03の映像では気づきませんでしたが、最後に小さな橋を渡ろうとします(渡る直前で映像は終わります)。橋の下は道路になっているようで、まさに工場内の立体交差が存在しているわけです。他の映像で鉄橋下から炭鉱電車・貨車を見上げるシーンがありますね。
◇運転席については特にコメントはありません。操作方法には疎いので(汗)。 手前のマスコンハンドルを器用に動かしていますね。
★最後に、#03 運転席と車窓~管理人のこの動画のマニアック度は、5段階で☆4つです。
以上
◆更新日は未定ですが、次は#04について書きます。
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炭鉱電車マニアック動画の解説~#02操車場から工場へ
炭鉱電車マニアック動画解説シリーズ その2 操車場から工場へ
炭鉱電車マニアック編 #02‗操車場から工場へ -- Coal Mine Train Movie for Enthusiast: #02 From Yard to FactoryYoutubeへのURLアドレスです
◆え~まずタイトルから突っ込ませて頂きますね(笑)
厳密には「操車場から工場へ」ではなく「操車場から操車場へ」でありまして、
もっと細かく申し上げると「仮屋川操車場から宮浦操車場へ」であります。
まあ、大衆向けのタイトルとしてはほぼ合格なんですが、私には引っかかりまくりです(笑)。

映像の冒頭は写真の仮屋川操車場の向かって1番右側の線路を手前に動き始める様子です

そして写真のように宮浦操車方向へゆっくりと走り始めます
●さすが一般には立ち入れない場所と視覚のため、運転台からの風景はかなり新鮮ですね。
今の時点で管理人のこの動画のマニアック度は、5段階で☆2つです。
でもマニアック度は宮浦操車場の方がもっと高くなります。それは到着してからのお楽しみ~今は何か分からないと思います。
さて映像は瞬く間に切り替わり、0:08で旭町1号踏切にさしかかります。

まさにこの奥の風景が運転台から見渡せますからビックリですね。運転士からはこんな風に見えていたのか~。管理人もしょっちゅう通っていたので「あいつまた来ている~!」って目をつけられていたかもしれません。ま、運転士は複数人いたでしょうけど。
上の写真はホテルの駐車場の柵が切れている付近から撮っています。ここは意外と穴場でして、知る人ぞ知る場所でした。

運転士と目と目が合う瞬間(笑)。
◆0:21に宮浦操車場に到着です。

ちょうど第4便貨物が宮浦操車場の中に入って来ている状況ですね。
すると、映像の奥に「あれれ?」と思うシーンが見られます。お気づきの方は分かりますね?
そう「20t電車がスタンバイOK」の状態でねぐらから出てきて工場方向につながる線路上にいるのです。
これは私から評価するとかなりマニアックです。5段階で☆3つです。

通常、9時20分過ぎに仮屋川操車場に向かう通称第3便(単機回送)は、宮浦駅事務所下に停車しているため、20t電車は身動きがとれません。

基本的にはずっとこの状態で仮屋川操車場から戻ってくる貨物列車の第4便の到着を待ちます。

▲第4便の到着後に45t電車が貨車の振り分け(入換え)作業を終えて、構内機回し後ねぐらに戻りつつ、20t電車が出てきます。
時には仲良く並走することもありますが、それはまた別の話です。

上の写真では、あらかじめ20t電車を出しています。パンタグラフを上げて充電中でしょうか?

そして第4便の貨物列車編成とすれ違います。
なぜあらかじめ出しておくのか?いくつか理由が考えられます
①▲で説明したように、45t電車を動かしながら20t電車を動かすには、別途運転が出来る有資格者が必要ですが
あらかじめ出しておくのは、その人材がいなかった またはお休みの日だったのかもしれません。
②また、このあらかじめ出すのは「時間短縮」の効果があったと考えられるので資格者不足説はなくなります。
これまでの記録で、あらかじめ出す光景は私も毎回見る訳で無いので実態は知りませんが、全体から見ればごく僅かで
珍しい準備だったと思います。私がよく目にしたのは2010~2011年頃で、その後もあったのかは覚えていません。
また②の可能性が高くなる説ではありませんが、このあらかじめ出す時刻はいつなのか?って考えると面白いです。
・第1便出発後で、単機回送の第2便が戻ってくるまで
・第3便が出発した後、第4便が戻ってくるまで
・宮浦駅下に45t電車を停めなかったら、20t電車はいつでも出せます。
◆◆◆今回はあらかじめ出すことは演出だったのでは?って思いました。
その方が、この後の映像にハクがつきますし、面白いでしょう。
以上
◆更新日は未定ですが、次は#03について書きます。
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炭鉱電車マニアック動画の解説~#01工場内を走る
去る2020年8月27日に三井化学制作により一般公開(Youtube)された、炭鉱電車マニアチック動画のうち
鉄道コンテンツテツ11本(#01~#11)のそれぞれについて、ちょっくら濃い(笑)解説をしましょう。
あくまで管理人が知る限りの情報で語ります。中の人でないと分からないことは下手に書けません。
◆右をクリックすると「ありがとう炭鉱電車プロジェクト」のマニアチック動画ページに飛びます
炭鉱電車マニアチック動画ホントなら動画が観られるようになってすぐに書けば良かったですが、あの頃はコキ200特集に燃えていましたからね~。
コンテンツによっては1ヶ月以上遅れての記事になりますが、この記事を読んで改めて動画をご覧になって頂ければ
あ~あれね。あれがそうだったのかと再発見できて、あらたな見方と楽しみが出てくるのではないかと思います。
まるで映画のネタバレ批評レビューみたいな(笑)。
まずは、#01 工場内を走る
私の評価:マニアック度 ★★★★☆
炭鉱電車マニアック編 #01 工場内を走る -- Coal Mine Train Movie for Enthusiast: #01 Run in the Factory(動画内の時間「分:秒」を用いて説明することがあります)
◆まず、このマニアック動画の撮影時期ですが、おそらく2020年3月中旬と思われます。
理由は動画の冒頭で左の秤量小屋の左に居るはずの貨車のハトが見当たらないからです。あれは3月の三連休前に突如つり上げ・運搬が可能な位置に移動されましたからね。

元は無蓋車のハト、レール運搬車が押し込まれていましたね

東泉町2号踏切側(正門側)から見るとこんな感じです

空っぽの線路の様子

移動後の状況と位置
◆0:06から未知の領域です。工場内ですから、一般人には初めて見る光景になるでしょう。
私も全貌は初めてお目にかかります。
動画は0:06を境にすっ飛んで工場内線路のカーブから動画が続きます。このカーブの手前に、打鐘式の警報器があります。

写真の浅牟田108号踏切が存在していた時に、写真右側にある工場門(この写真に工場門は写っていない)中を眺めることが出来たので、その踏切の事を知っているのです。名前は忘れました。浅牟田○○○号踏切だったかな?あれって108号なんだから、107までや109以降はなかったのかな?それとも通しの番号かな?
工場門から中は撮影禁止という警告看板があったので写真はありません。市道から眺めるだけなら何も言われませんでした。
浅牟田108号踏切廃止後は、風向きなど条件が良ければその打鐘式踏切の音色が微かに聞こえてきたものです。
それを当てにしてカメラを構えていたら、工場内から出てくる炭鉱電車をきれいに撮影(録画)出来たのです。
◆0:16からパイプだらけのジャングルのなかを登っていくシーンになります。
以前書いたと思いますが、工場の濃硝酸、液化塩素抽出場所の標高は、宮浦操車場の標高よりも高い位置にあります。
実際何メートルの高低差なのかは知りませんが、22トン電車の2軸で粘着性能を失わない安全な走行を実現するには
10‰はないと考えています。つまり高低差が10m程度かなと。詳しい方、中をご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。
なお、工場引き込み線に勾配標は見当たりませんでした。
◆0:18から画面右上に見えてくるのが、意外に見落とされがちな銀タンコこと濃硝酸タンクコンテナが行き着く先です。

どんな抜き取り(タンクの中身を抜き出す)設備なのかは見えませんし分かりません。
またそこは屋根下なのか、屋外なのかも不明です(Google mapの上空写真を参照)。
上空写真からは銀タンコを載せているコキ200が2列で3両ずつ留置しているのが分かります。
動画で見えたのはその内の1線かと思われます。
ブログを始めた頃に、工場内に1両ずつ入れたコキはどんな順番で抜き取り設備に連れて行くのかという疑問にいろいろと推測したものです。コキのナンバーを眺めていると工場へ入った順には出場していません。そこら辺は完全に解明はしていませんし、分からなくてもいいのかもしれません。
◆更新日は未定ですが、次は#02について書きます。
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2009年10月4日を振り返って
10月4日は何を撮っていましたか?2009年を振り返ってみよう!
どうもタイトルがしっくりこない(汗)。センスが無い証拠です、はい。
2009年10月4日は、今年(2020年)と同じ日曜日でした。朝からお天気が良くすがすがしい始まりを迎えた宮浦操車場でした。
あの頃の新鮮な記事も併せてご覧下さい→
早朝黄タキを追いかけて
この日も朝練には丁度良い、7時台の黄タキの工場出し入れがありました。
まずは入場シーンから。こんな朝っぱらから撮影している物好きはきっと私だけでしょうね。

そして出場シーンを、浅牟田108号踏切にて撮影。おはよう!(笑)。
操車係「またこいか~。朝っぱらからよく撮るな~」なんて思われていたりして。

朝早いと、第1便貨物の出発準備作業も早かったですね。
晩年は8時からでしたが、この頃は7時半過ぎから始まっていたのだ。

第1便の出発準備完了の様子を石炭公園から撮影。銀タンコの後方に黄タキがいっぱいの頃です。
この頃は黄タキ最後の年で、このあと2ヶ月後に姿を消します。
◆黄タキ目当てに訪れた鉄道ファンにも時々会いました。撮影とナンバーチェックに奔走していました。
黄タキは九州(南延岡~大牟田)が最後の活躍場でした。
私も遅ればせながら記録を頑張りました。2009年5月まで黄タキすら知らなかった鉄道ファンだったのにね(笑)。

さっきからあっちこっち移動しまくっています。それだけ時間にゆとりがありました。
第1便が仮屋川操車場に向けて出発です。
この時間は後方狙いが順光です。今思えば~後方狙いは結構はじめの頃から無意識にしていましたね。

単機で戻ってくる第2便。きれいな45t19号機。

仮屋川操車場からやって来た第4便。
コキ200問題時期以外の黄タンコは最後尾連結ですが、黄タキは炭鉱電車の次位~連結でした。

颯爽と構内機回し・・・と言ってもねぐらに戻るだけの運転です。
これにて本日の45tのお役目終了です。おつかれさん!
◆今日はもうこれ以上45t電車が動かないと知った一部の鉄っちゃんらは撤収します。これからが面白いのに。
この頃はここを訪れる鉄ちゃんの中では、工場と宮浦操車場をタンクコンテナを載せた1両のコキがひたすら往復する運転だけの20t(運転整備重量22t)電車に対する価値というか貴重度が低かったです。晩年はその立場が逆転しましたけどね。

工場入出場は12号機が担っていました

この日は、夕景撮影のため再度宮浦を訪れました。1日中居たかどうかは分かりません。
夕方の宮浦の様子(2009-10-4)←当時の記事リンク
◆以上、2009年10月4日(日)の模様でした。懐かしいですね。11年も昔になります。
この頃は大牟田の外に出来る勇気や余裕が無くて、ほとんど大牟田市内で撮影していたものです。
◆この後「宮浦の定点観測者」の称号を、大牟田の鉄道をこよなく愛する仲間達から頂きましたが、それはまた別の話。
とにかくあの頃は撮りまくるしか無かったのでありますよ。井の中の蛙にはなりましたが、後悔はありませんでした。
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