私の大牟田ファーストコンタクト
以前にも似たような記事を書いたと思いますが、今回は詳しく思い出話でも。
私が大牟田に引っ越してきた2008年秋よりも、もう少し前(2007年春)に大牟田に1泊で出張で来ています。
そして、その時に三井化学専用鉄道ならびに大牟田の炭鉱鉄道跡を目撃しており、
大牟田の鉄道の「縁」と接点を持ち始めていたわけです。
その2年後、このブログ執筆が始まるわけですが・・・、人生って急にどうなるか、見えないものです。
◆さて、時は2007年4月・・・初めて大牟田の街に降り立った私。昼食後、上司や同僚とタクシーに乗って
大牟田市街などを走りました。その途中で・・・。

なんだこれ?

何かの線路があった名残?

すげえ!街中を昔は何か走っていたのだろうか?

街中をいかにも鉄道用の築堤だと思わせる遺構が続いていました。
私はこれらの線路遺構にとても興味を覚えました。事前に何も調べていなかったので、
出張先で地元の人達に聞いてみましたが、何故か誰も知りません。なんだそりゃ(汗
その夜、上司と飲みに行きましたが、西鉄新栄町駅付近の商店街がシャッター通りでびっくりしたのを覚えています。
1店だけ辛うじて開いていたので入ったのを覚えています。
宿~飲み屋~宿の途中で・・・



以上のようなこぢんまりとしたガード下道路も見ました。
走らなくなってかなり時間が経過してしてる鉄道遺構がいまだにきれいに残っている状況に衝撃を受けました。
◆私は旭町1号踏切脇の街で1番大きなホテルに泊まっていたと後に知りました。
夜が明けて、部屋の窓を開けて見下ろすと(本来はホテルの窓を開けたりせず、窓越しに遠くの町並みや天候を見ます)、

弧を描くような線路が見えました。遠くの大きいな工場の方へ続いているように見えました。
実際に見たときはカメラを持っていなかったので撮影はしていません。
「何の列車が走るのかな」「大牟田に支線なんてあったかな」「何が走るのか見たいな」程度しか欲求が無く。

その線路を列車が走る時間帯までは居られませんでした。

私が眠った部屋は、写真の線路の上のほうだったと思います。4Fくらいかな?
さらに、朝食前にホテル周りを少しだけ散策すると

そのよく分からない線路と大きな国道との珍しそうな踏切を見つけました。
◆朝食後、8時前にはホテルをチェックアウトして現場に向かい、
夕方には大牟田駅を発ったので、大牟田貨物(その存在すら知らなかったが)に遭うこともなく、
大牟田にはもう当分来ることはないと思っていました。


なお、1日目に宿~新栄町駅前の居酒屋~宿と歩く過程で、JR・西鉄の踏切を2度渡っているので、
このような現役線を跨ぐ鉄道遺構(貨物列車は見ていません)が見えていたかもしれません。
◆◆その出張から約1年半後に会社から辞令が出て、いよいよ大牟田の街に住むことになりました。

大牟田の街についていろいろ調べていると、上の様な鉄道写真を見つけました。
どこかの工場から出てきた赤い小さな機関車に愛嬌を感じました。(炭鉱電車とは知らなかった)
◆大牟田に住み始めて半年くらいは、鬼のように仕事が忙しくてすぐに撮影とはいきませんでした。
そして2009年3月下旬に、私は三井化学専用鉄道の宮浦操車場に辿り着きます。
※この記事で紹介した、数々の鉄道遺構や線路・踏切の写真はすべて大牟田在住時に撮影したものです。
イメージが湧くように、記事の中で過日の写真を織り込みました。
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鉄道グッズ~マスク 実は失敗作
鉄道グッズ 第5弾 それは


それは炭鉱電車マスクでした。
しかし、なんてデザインセンスの低い作品。写真の選択アップロードは当然私ですから、私にデザインセンスの欠片もないと同義と言っても過言じゃ有りません。やれやれですね。
さらに、以前書いたように「第5弾の鉄道グッズはどうやって使っているところを撮影しようか」みたいな事を書きましたが、マスクは顔につけてなんぼですから、さ~どうしようか。

誰かに撮って貰おうかと思いましたが、面倒なので部屋の中で吊り下げてみました。
マスクが手元に届いて数日後、ある鉄道好きな友達に数人に披露したところ・・・
「そのマスクは真っ赤すぎて何か分からない」
「血みどろっぽくて気持ち悪い」
「恥ずかしいから、そのマスクしている時は近づかないで」
などなど、炭鉱電車に理解がある人たちなのに、何この散々な感想は(笑)。
言われてみれば、街中でつけて歩くにはちょっとね~って思えてきました。
◆なので、これは失敗作になりました。やっぱりデザインマスクは、全面が写真じゃ分かりにくいですね。
何かしらワンポイントみたいにちょこっと映っているほうが良かったのかも。
◇さて、年末年始に慌てて作って貰った鉄道グッズはこれで最後になります。
次は何を作ってみようか、只今考え中であります。
タペストリーってのもいいね。カーテンは不味いよ(汗
ハンカチ、トートバッグ・・・私のデザインセンスの無さが疑われそうです。
まあ、ポケットにずっと忍ばせているハンカチならいいか。
今後、公開できるグッズをまた作ったら紹介します。
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中継信号機~仮屋川操車場出入り口 後編
仮屋川操車場出入り口付近にある中継信号機の続き(後編)です。
さて時は過ぎて、2017年8月下旬、とんでもない事件が発生します。

当時は大牟田には住んでいませんでしたが、知人からの情報・ツイッターなどで、炭鉱電車の脱線事件を知りました。
あれはかなりショックでしたね。私が居なくなったら気が抜けたか~?なんて冗談言っていられませんでした。
◆ちょっと残念だったのは、脱線した状態を他の列車(例えば、ななつ星や貨物列車)と並んだ状態でわざわざ撮りに、多くの撮り鉄が集まってきたことです。大牟田には絶対に撮りに来ない、専用鉄道を馬鹿にしていた連中までも来ていました。一種の葬式鉄ですね。
ま、それはさておき・・・

これが脱線に至るまでのルートです。
私有貨物専用鉄道だからか?身内の恥だからか?事故原因は公にされていません。
しかし巷の噂では、分岐器の切換え忘れだと言われています。真相はどうなのでしょう?
◆前編の記事の最後で、「もし中継信号機の停止・進行の表示の灯りの切換えを旭町駅事務所で操作していたら・・・」と書きましたが、仮にポイント切換え操作を忘れて、中継信号機が第1便が走った後もそのまま進行だったら、信号機の意味が無いという説になります。点灯させないほうがずっとマシ、いや使っていないなら撤去でしょ?となってしまいます。
◆◆私は当時遠方から、この事件の原因は中継信号機のあり方・使い方にもあるのでは?と考えていました。

2016年6月24日 ウヤ明け初日
20t電車単機が仮屋川操車場に向かいます。初日なので、第1便・第2便がありません。この写真のは第3便になります。
そんでもって、中継信号機は進行の表示が灯っているのかいないのかさっぱりわかりません。
※この写真は中継信号機の謎について注目して撮影した訳ではありません。
2017年8月下旬脱線
同年9月に復旧作業のために架線の給電停止期間中は、第3便と第4便が20t電車の重連運転で話題になり、
その後、45t電車が救出されて:当時の記事URL
炭鉱電車の救出劇
重連運転が解消後はにわかの撮り鉄の姿は消え静かになったそうです。そんなものですよ。
でもまさか2020年3月に廃止が発表され、この騒動以上に人が押し寄せるとは当時思いませんでした。
◆脱線事故後(日時不明)の第3便の運転から、

脱線ポイントの手前、ちょうど中継信号機付近で一旦停車して、操車係を降ろします

操車係は、その脱線ポイントまで歩き、分岐が①番線路へ進める状態になっていることを目視確認して、運転士に進行を無線で伝えています。

それから再びステップに立って、貨車の連結部に向かいます。またはそのまま貨車まで歩く場合もあります。
その確認作業を廃止日まで続けられました。これは、安全意識向上のためにいろいろな対策を考えたひとつなのでしょう。

それで、事実上意味のなくなった?のか分かりませんが、
2018年8月18日に撮影した時、偶然映っていた中継信号機は

2018年12月24日
この日の撮影時には使用中止というか、顔を90度振られていました。
お役ご免のようです。もともとあ~だったからね。
信号機に頼らず、目視確認を徹底することを選んだのですね。

近くまで寄ってみたら、中継信号機の末路と、その下側に後付けと思われる「一旦停止」の赤標識が、現状を物語っているようでした。こうして、この中継信号機は廃止の日まで二度と使用されることなく終わります。
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次は、仮屋川操車場から宮浦操車場へ向かうための信号機を紹介します。
これ、意外と地味でその存在を知る人はごく僅かかもしれません。そんなに目立たない存在です。
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中継信号機~仮屋川操車場出入り口 前編
仮屋川操車場の出入り口にある中継信号機をご存じだろうか。
この中継信号機がなかなかのくせ者である。今回は使用されていた時までを前編として紹介する。

その中継信号機は、仮屋川操車場行きの列車のためにある。その位置はこの写真のもう少し左側にある。

赤丸で囲った真っ黒ななつが中継信号機。その下のバッテンは、当時存在した長溝川踏切の遮断機降下表示。

別の位置からみると赤丸ところ。
◆偶然、西鉄・787系特急・45t電車が並走していたのが映っていた(汗)が、当時は気にしなかった。
いろいろな日の撮影で、中継信号機が映っているのを紹介しよう

第3便 単機回送 仮屋川操車場行き

第1便 仮屋川操車場行き

第1便 仮屋川操車場行き

第2便 単機回送 宮浦操車場戻り

第3便 単機回送 仮屋川操車場行き
◆ここまで中継信号機を見てきて、何かおかしいと思いますか?
そうです!信号機の灯りが全然見えないのです。(8時過ぎ~10時前の時間帯以外は常時消灯しています)

第2便 単機回送 宮浦操車場戻り
こんなに暗い朝でも信号機の灯りが見えません。どうなっているのかな?
思い切って信号機の下に行ってみましょう。

2014年10月11日 9:18撮影 灯っているように見えません

2016年3月12日 8:35撮影 灯っていますね

この中継信号機は2灯で、停止と進行だけ。斜めの制限表示はありません。
◆信号機が点灯している瞬間をあまり見たことがありません。偶然灯っているのを撮影できました。
いつもの撮影場所からズーム撮影はしたことありませんが、運転台からならはっきり灯っているのが見えるのだろうか?
どうもおかしいね。謎ですね~(笑)
◆私も当時は信号機には特に目が行かなかったから、点灯の是非は注目していませんでした。しかし、仮屋川操車場行きの便の時は点灯していないと、中継信号機の意味が無いだろうに。
◆この中継信号機の先にはもう同一方向の信号機はありません。(仮屋川操車場からの出発用は別にある)
中継信号機が仮に作動していて(点灯していて)、停止・進行を判断する鍵は、その先のコース・分岐器が正常か異常かなのだろうか。そもそも第1便と第3便での45電車が到着する線路は異なるから、正常・異常を判断するルート・分岐器の数や位置も異なる。この中継信号機は果たして2通りのルートが全部開通しているかを判断しているのだろうか?考えにくいな~。
◇もし、中継信号機の停車・進行の切換え(ON・OFFを除く)を旭町駅事務所から人が操作しているとしたら・・・、駅事務所から長く伸びているリバーロッドの先に繋がっている分岐器操作を行っただけで停車・進行を切替えているとか?
以下に、仮屋川操車場の第1便・第3便の走行ルート略図(管理人作図)を示す。停車までを示している。

第1便の走行ルート

第3便走行ルート
略図では、今回紹介している中継信号機位置を★Aとしています。
次回後編では、2017年夏以降の今回の中継信号機について書きます。2017年夏は、思い出したくないアレがありました。
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炭鉱電車の動態保存への想い
2021年1月17日付けの西日本新聞 筑後版で以下の記事が掲載されています
新聞記事:
炭鉱電車“動態保存”で次代へ NPO法人理事長が届けたい思い今日までゆめタウン大牟田で開催されている、炭鉱電車写真展「生きとる炭鉱電車を残したか」の
主催のひとつ「炭鉱電車保存会」の理事長のプロフィールや保存会についてのこれまでの活動内容、若者たちの活躍
今までと今後の炭鉱電車保存に向けた想いについて書かれています。
保存会の主な理事メンバーは、主に大牟田市・荒尾市や近隣の出身者や在住者で構成・活動されており、
そのほか主に福岡県・熊本県在住の一般会員で、積極的に保存会の活動をされる方も何人かいらっしゃいます。
私は一般会員で、遠方からアイデアを出したり、会費を納め、署名した程度で、具体的な行動はしていません。
コロナ感染症が収束するまでは、大々的な活動・サポートは難しいので、これまで参加していません。残念です。

2009年12月27日 宮浦操車場 11号機
そんな私でも将来何かしらお役に立ちたいと思っていますが、現状は未定です。
今、遠方からでもきることは、いろいろ試してみたいのです。
その一つが、年末年始の炭鉱電車グッズの試作の数々です。自費制作で、現状は自分用なのですが
将来は炭鉱電車保存会に制作相談をしてみようかと思います。
これは一種のアイデア発表です。
すんなりアイデアが通る・叶うとは思っていませんが、やらないで悲しむより、実行して喜んでみたいです。
◆ところで、炭鉱電車の動態保存ってどこを走らせるか、計画がいくつかあるそうです。
荒尾市だけが賛成の際は、万田坑付近で
大牟田市だけが賛成の際は、宮原坑付近で
両方の市が賛成の際は、宮原坑~万田坑まで線路を引き・・・などなど案があるようです。

宮浦坑付近の専用鉄道線路跡

万田坑付近の専用鉄道線路跡

万田駅ホーム(跡)付近

大牟田市と荒尾市の市境(県境)付近を跨がせて走らせるとしたら、諏訪川より南のこのあたりの線路跡かな?

諏訪川には新たに鉄橋を据えなければ渡れないので、宮原坑~万田坑まで1本の線路をつなげるのは、
個人的にはかなり困難だと思います。
以上は、さまざまなプランの1つです。個人的見解も含んでいますので、思い込まないようにお願いいたします。
◆三井化学専用鉄道の全線路・操車場、工場内線路、車庫は、2年以内にすべて解体撤去されて、元の持ち主に返還されることになっています。その後の利用が更地になって宅地化、遊歩道化、工場内敷地に取り込むかは分かりません。とにかく、今までの三井化学専用鉄道の線路敷きは動態保存のためには全く使用できないということで、あてに出来ません。
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炭鉱電車の3並びが発生
2021年1月15日付けの西日本新聞 筑後版で驚きの写真が!!
新聞記事:
豪雨被災の炭鉱電車修復 3両走行可能に 動態保存へ手入れ続けるなんと、20t電車の9、11、12号機の3両が横一線に並んでいるじゃありませんか!!
これは一体どういうこと?
とあるメディアの取材で、三井化学さんの粋な計らいで3両を並べたのではないかと(NPO法人 炭鉱電車保存会の会長談)。
動態保存が可能だとアピールするためのサプライズと考えられます。しかし、まさか3両並びを用意するとは意外です。
普段1両だけ留置している中、普段車庫内にいる2両をわざわざ出してきて、それぞれの線路に動かして~大変だ。
きっと取材中だけの出来事でしょうから、終わったら2両はまた車庫に戻すのでしょう。ずっと並べておけば良いのに(笑)。
現役時代でも重連があった程度で、並ぶことはまず無かったから、今回のは「並べた」ではあるが、すごいことだ。
普段は車庫内で他の2両のバッテリー充電や点検・整備をしているそうです。
もう架線からの電力供給は出来ないようなので、パンタを上げての走行はありません。
しかし、この写真よく見ると3両ともパンタグラフ上げています。これもかなりレアものです。
取材時に、誰かさんから3両ともパンタグラフを上げて欲しいってリクエストがあったのかな?
そのリクエストをした人はナイス!!上げるのを了承してくれて、上げてくれた片~グッジョブ!!!

9号機 定位置で充電中

11号機 定位置で充電中

12号機 定位置で充電中
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実はこの三並び写真を、NPO法人「炭鉱電車保存会」のメンバーの一人が撮影していると聞きました。
奇跡という言葉は似合いませんが、何か素晴らしいタイトルをつけて、17日まで開催している
「炭鉱電車写真展~ゆめタウン大牟田」にて、ど~んと飾って欲しい。見たかったなあ。
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だけどね、やっぱり炭鉱電車保存会としては、ラストランイベントで5両を全部並べたかったようです(要請して)。
それは私も同じです気持ちです。どうせなら、5両同時走行(並走)して欲しいものですが、運転士が5人も必要(笑)。
また、一般者を運転室に乗せて運転して欲しいなあ~。

19号機と9号機

18号機と12号機

18号機と11号機

19号機と12号機
通常の並びは、45t電車と20t電車ですから上のような写真しかありません。
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炭鉱電車写真展開催のお知らせ~ゆめタウン大牟田
2021年1月10日~17日にかけて、大牟田のゆめタウン2F わくわく広場にて、
NPO法人「炭鉱電車保存会」の主催による炭鉱電車の写真展が開催されます。
対象は、三井化学専用鉄道と三井三池炭鉱専用鉄道です。管理人の作品も1点だけ飾られる予定です。
なお、この写真展は昨年11月下旬に、あらおシティーモール内で開催されたものとほぼ同じ内容と思われます。
興味のある方は、お買い物のついででも寄り道されてはいかがでしょうか?
ふと足を止めて、大牟田・荒尾にかつて繁栄した・存在した貴重な産業遺産の数々を
知る・振り返る時間をつくるのもたまには良いと思います。
詳しい内容は、以下の西日本新聞 2021年1月9日付の記事をご覧下さい
西日本新聞の記事*****************************************************************************
ところで、この写真展では現在動ける状態にある3両の20t電車の動態保存の署名活動も行っています。
大牟田・荒尾両市長へその要望を行うために提出するのです。なかなかハードルの高い活動でしょうが
どうかよろしくお願いいたします。
では改めて最後まで残った5両の古典電機(炭鉱電車)の紹介を
※ここでいう、「現在も走行可能状態」の「現在」とは、2021年1月4日をさす。以降は目撃情報により更新するものである。

2015年7月18日撮影 20t電車9号機
現在も走行可能状態・・・動態保存の要望対象車両の1両
(稼働可能な日本最古の電気機関車と言われる)

2015年11月1日撮影 20t電車11号機
現在も走行可能な状態・・・・動態保存の要望対象車両の1両

2011年7月9日撮影 20t電車12号機
現在も走行可能状態・・・・動態保存の要望対象車両の1両

2010年7月4日撮影 45t電車18号機
残念ながら自走不可能

2011年8月15日撮影 45t電車19号機
残念ながら自走不可能・故障
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鉄道グッズ~宮浦操車場を発つ第1便 フェイスタオル
読者の皆様、あけましておめでとうございます。
本年も「眠れないマクラギを数えて」を、よろしくお願いいたします。
今年から週1回程度の更新を行ない、通算4,000記事を目指します。
さて、昨年末にいくつか作った炭鉱電車関係のグッズですが、今日第4弾が届いたので紹介します。

フェイスタオルです。
サイズは、長さ80cm、幅35cm
費用は¥1,380(税込)
マイクロファイバー製を選びました。綿100%のコースもありました。

写真はお馴染み、宮浦操車場を出発する第1便の貨物列車です。
★ところでこの写真の貨物列車、何かおかしいと思いませんか?(笑)
この写真の編成は、私の知る限り、コキ200統一編成では最も両数の多いものでした。
銀タンコ積載が7両+黄タンコ積載が2両+海コン積載用の空コキが5両=合計14両編成もありました。すごいでしょ?
当時の記事です。⇒
こんな長い返空専貨見たことがない!!!(in宮浦操車場)2010年7月17日撮影・記事
大牟田駅でも撮影しました。⇒
大牟田駅出発前の1152レ 残念ながら、1152レの走行中の写真はアクシデントにより撮影できませんでした。(翌朝の1151レは13両編成)。
当時は大牟田貨物に興味のある撮り鉄さんはまだ少なくて、このコキ200オンリー長編成は全く話題になりませんでした。
一般に貨物列車ファンは20両前後の長編成を好んで撮りますが、当時6~12両程度の大牟田貨物は短編成で撮りにくくて、避けられていた(または貨物列車と見なされていなかった)様です。私は逆に短編成が好きで、長編成は苦手でした(笑)。
◆今回のフェイスタオル外注にあたって、制作会社からのアドバイスで高解像度のデータをアップロードするように求められましたが、普段からRaw撮影を全くしない管理人が持っているデータなんてこの程度なので、粗めのプリントしか出来ません。こういう機会を想定していないので、高い解像度での撮影はしてきませんでした。
◆外注先(制作会社)は「オリジナルプリント.jp」
URL:
オリジナルプリント.jp 炭鉱電車グッズ~第5弾はどの様にして紹介すれば良いのか考え中です。
このブログでは、自撮りして管理人近影の投稿はやりたくない。モデルさんとか居れば嬉しいのだが(意味不明)。
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