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一度は里帰りした銀枠銀タンコ~今回は片道の旅か!?

SNSの某グループからの情報によると

昨晩(3月29日)、福岡貨物ターミナルから東京方面の貨物列車に、今はもう使用されなくなった濃硝酸専用の
銀枠銀タンコUT13C-8065・8066が積載されたとのこと。一体何に使用されるのかまでは不明。
でも用途廃止同然で黒崎駅北側の化学工場内で放置されていた(放置の目撃情報は無い)としか
考えられない同タンクコンテナが、何かの目的で上京するならそれはそれで嬉しく思います。

同様に用途廃止で多くの液化塩素タンクコンテナ(黄タンコ)が解体されたツイートを目にしましたが、
濃硝酸タンクコンテナ(銀タンコ)は、現在でも大牟田市内で6個ほどが陸送に継続使用されているという程
まだ利用価値があるようですが、そのほかのナンバーや銀枠は所在や動き全く不明でした。

◇以下の8枚の写真はすべて2017年9月10日
宮浦操A (4)のコピー
宮浦操車場で第一便出発準備中
この頃は、45t電車18号機の脱線事故の影響で、22t電車が代走していた。
奇しくも第3・4便は重連仕様で撮り鉄で大賑わいであった(重連運転解消後は静かになった)。

管理人は重連運転よりも、この元大牟田貨物専用であり、2015年以降は小名浜専用に改造された
濃硝酸専用の銀枠銀タンコの里帰りと思われる様な編成に1人うっとりしていた(笑)。
私以外の連中は、炭鉱電車の重連運転に酔いしれていたが、私はあまり嬉しくなかった。

宮浦操A (13)cc
きっと間違って大牟田行きの編成・便に組み込まれたと思いたい。
最初で最後の里帰りみたいで、見ているだけでわくわくドキドキします。

私以外の撮り鉄は銀枠銀タンコには興味が無く、気にしないでしょう。

宮浦操A (29)のコピー
さよなら~銀枠銀タンコUT13C-8065・8066

構内貨物戻り (10)のコピー
仮屋川操車場を出発し、大牟田駅に向かうシーン
この頃はDE10が牽引でしたね

テンハル1152レ (7)のコピー
銀枠銀タンコが編成に混じっている大牟田貨物1152レをテンハルに撮りに行きました。
2017年代に、大牟田貨物の銀タンコが6両12個になるのはかなり希でした。レア編成数です!

テンハル1152レ (11)のコピー
それも他の元祖たちナンバーとは塗装が違いますから、かなり貴重な編成になり、貴重なシーンです。

テンハル1152レ (18)のコピー
UT13C-8065・8066は、他のナンバーと同じ濃硝酸専用なのに、改造後は一度も里帰りせずで(笑)。

テンハル1152レ (25)のコピー
これ以後は一度も大牟田には来なかったそうで、

2020年4月の黒崎のMケミカルの硝酸製造中止に伴い、UT13C-8029~8066の計38個の
銀枠銀タンコは用途を失いました(現在大牟田市内で陸送に利用されている個体を含む)。

20150920黒崎銀枠銀タンコ (24)のコピー
2015年9月20日 黒崎駅 171レ UTC-8063・8064

20150920黒崎銀枠銀タンコ (18)のコピー
小名浜から空で戻ってきたナンバー8063・8064
この2個の銀枠銀タンコもいずれ東京方面に旅発つのだろうか?それはきっと片道の旅だろう。

願わくば幸あれ~と言いたいものである。

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いつまでも今日は私の宮浦操車場の発見の日(2009/3/29)

◆この発見の日を境に、私の人生が良い方向に狂い始めた(笑)

◆大牟田に住み始めて半年。やっと仕事が落ち着いてきて、日曜日がゆっくり出来るようになったものの
 まだ私は大牟田の街につて何も知らなかった。のちに世界文化遺産となる炭鉱関連設備や線路敷きも。

◆時は2009年3月29日の午後~昼食を終えて、市内をサイクリングしたときでした。
20200524 (190)c
時々クルマで通る、旭町1号踏切を通ったのですが、この線路どこに繋がっているの?って気になりました。
◆この時点で、興味が湧きました

20200523 (95)c
反対側に行って線路を眺めます。まっすぐではなく、左にカーブしていきます。あの先はそうなっているのか?

線路沿いの道路はないので、近くの大型商業施設ゆめタウンを通り抜けて、あの奥へ向かいました。
2009-3-29浅牟田108踏切 (2)c
今はなき市道ですが、サイクリングにはもってこいな不思議な空間を抜けると、今にして思えば
とても妙な踏切がありました。浅牟田108号踏切と書いてあります。

2009-3-29宮浦操車場 (14)c
さらに市道を進むと、東泉町2号踏切があり、フェンス越しに静まりかえっている宮浦操車場がありました。
当時は、ここが宮浦操車場という名前すら知らなかったのです。

2009-3-29宮浦操車場 (16)c
赤い凸型電気機関車がいました。19ってナンバーが見えます。
炭鉱電車って愛称すら知らなかった時代でした。

2009-3-29宮浦操車場 (39)c
工場引き込み線路は途中から別れていて、片方には現在は車庫前にいる部品取り用と言われる機関車がいました。

2009-3-29宮浦操車場 (45)c
東泉町2号踏切脇には菜の花が咲き乱れていました。

2009-3-29宮浦操車場 (47)c
最後に、宮浦石炭記念公園から宮浦操車場を眺めてみました。
当時は何も無い場所だなと思いました。なぜ動いていないのかは当時全然分かりませんでした。

2009-3-29宮浦操車場 (48)c
別の方向には朱色のコキ200がいました。コキのことはまだ無知でしたから、何をする貨車かよく分からずで。
私にとってはこの日が、コキ200を知った記念日でもあるのです(笑)。

◆とにもかくにも、この頃は貨物関係は知識不足でして~線路がいっぱい並んで、背後に大きな煙突が立っていて
 赤い凸型電気機関車が2両居て・・・ってそんな発見と出会いでした。

◇この3ヶ月あとに、ブログ眠れないマクラギを数えてのブログが開始されます。

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◆祝!通算4,000記事目 桜が咲く頃に~三井化学専用鉄道編

◆12年目のブログはついに通算4,000記事を迎えることになりました。
特にこれといったお祝い記事は考えつきませんので、前回予告した内容をお届けします。

20140330宮浦 (42)c
2014年3月30日 丘の上の公園に桜が満開
ここで背景が桜の貨物列車撮った事がないのですよ~当時はそういうセンスや芸術勘がなかったのです

20150328宮浦桜 (220)c
2015年3月28日 宮浦神社の桜より
桜をぼかして黄タンコに焦点・黄タンコをぼかして桜に焦点~いろいろ試したけれどなんかいまいちでした

20150328宮浦桜 (230)c
上の同じく
桜の咲いている高さ位置と、宮浦操車場までの距離が撮影には不向きだったのかと思ったが
そうじゃない!単に私の撮影方法がダメダメなんです(笑)

ここまで、大牟田在住時代はこんな程度でした。
次は大牟田遠征編です。遠征の時のほうはよく気づいて撮っています。

20170319 (10)c
2017年3月19日 旭町1号踏切
踏切脇に咲いていますね~でもその桜を背景に貨物列車や炭鉱電車は撮っていないのですよね。
仮に撮ったとしても、桜の木が小さすぎて絵にならないのですよね。
やるなら炭鉱電車を大幅にトリムしたような格好で、桜の木を強調するような撮り方をするとか。
なかなか咄嗟の判断では撮影できなかったです。遠征でしたから(汗

◆なお、この桜の木は2020年には伐採されていました。残念。

20170319 (385)c
2017年3月19日 泊まったホテルから旭町1号踏切と桜を見下ろして
地上で撮るよりも前に、ホテルの6Fから見下ろして撮ったときに桜の木を発見していました。

20180331 (122)c
2018年3月31日 宮浦操車場
化学工場側の崖?に咲いている山桜?を背景に、間違って大牟田に来たと言われている青枠黄タンコを撮影

20180331 (123)c
青枠黄タンコが宮浦に来たのはおそらく今回が最初で最後。そんな時期に桜とコラボできたのは奇跡です。
しかし、コラボしたとは言え、桜が盛大に咲いているわけではなく、この程度ではコラボって言えるのか?
ちょっとねえ~(汗、な作品ばかりでした。駄作だと思われても仕方がありません。

◆現状、これ以外の日時で桜コラボ、桜の木を撮影した鉄道写真は見当たりません。
 望みは薄いですが、もし他に桜コラボ関係の写真が見つかったら追記しておきます。
 やはり意識して撮らなかったのと、そもそも三井化学専用鉄道は工場地帯、市街地を通るだけあって
 沿線には手頃な樹木がほぼありません。

◆次回からも気ままに、のんびりと更新していきます。

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桜の咲くころに撮った大牟田貨物

過去10年に撮影した桜のシーズンを振り返って、大牟田貨物1152レに注目してみました。
なお、大牟田市内で線路際での撮影は1か所だけで、あとは甘木山からの俯瞰撮影になります。

20120408桜1152レ (31)c
2012年4月8日 唯一の線路沿いの桜と大牟田貨物
なかなか構図に迷いました。あまり出来はよくありませんが、当時の私にはこれが精いっぱい。
見つけただけでも良かったです。

次は2014年3月29日に大牟田市内の甘木山から俯瞰撮影したもの
20140329俯瞰1152レ (17)c
銀水駅を通過した頃で、桜が点々と咲いています。
市街地の通過なので思い切ってトリミングかけました。

20140329俯瞰1152レ (23)c
一番好きな俯瞰場所。EL+10両の編成全体がすっぽり入ります。ここも桜が点在しています。

20140329俯瞰1152レ (29)c
民家の陰に見え隠れするシーンと点在する桜が見えます。

20140330桜1152レ (62)c
2014年3月30日 2年後に再び線路沿いの桜へ
さすがに2年前とは違い、構図も視点も考えて撮ったようです。

150329堂面川桜 (182)のコピー
2015年3月29日 堂面川の桜並みの場所
本当はここで狙ってみたかったのですが、線路手前の白い欄干の橋が邪魔でした。
写真の貨物は1063レで、大牟田貨物1152レの20数分後に下る貨物列車です。
データが見当たらないところから、別の場所で桜コラボなしで狙ったようですね。

次回は、三井化学専用鉄道沿線での桜コラボを振り返ってみましょう。

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菜の花の咲く頃に~

今の季節、沿線に菜の花が満開だと思われます。
早いところは2月から、遅いところは4月上旬まで咲き誇っているでしょうか。
三井化学専用鉄道の沿線にも、3月ごろ菜の花が咲いている場所がありました。
今回は主に宮浦操車場に絞って、2009~2020年の菜の花コラボと参ります。

なお、遠征時期の都合で菜の花コラボが無い場合は、宮浦以外の年もあります。
大牟田在住時代はそれとなりに撮影しまくっていましたが。

2009-3-29宮浦操車場 (45)
2009年3月29日 東泉町2号踏切
私が三井化学専用鉄道の宮浦操車場を発見した日でした。でも謎のウヤでした。
思えばこの日から伝説が始まったのです(笑)。

2010-4-4宮浦pm (48)
2010年4月4日 東泉町2号踏切
銀タンコのコキを工場から出してきたシーンです

20110416宮浦 (69)
2011年4月16日 東泉町2号踏切
黄タンコを引いてきましたね。これから工場に入れるのかな?

20120325宮浦 (92)
2012年3月25日 東泉町2号踏切
流し撮りにチャレンジです

20130317宮浦 (72)
2013年3月17日 東泉町2号踏切
黄タンコと黄色い菜の花を絡めたコラボレーション
この頃から黄色いやつが気になり出します。黄色い新幹線には無反応でしたが(汗

20140322宮浦 (62)
2014年3月22日 東泉町2号踏切
炭鉱電車をぼかしてみました。徐々に遊び方が上達?

20150329宮浦pm (204)
2015年3月29日 東泉町2号踏切
おそらくこの年が1番多く咲き誇ったと思います。
なので菜の花コラボの撮影回数がダントツで多い年です。

20160410宮浦 (253)
2016年4月10日 東泉町2号踏切
なぜかこの年から菜の花が咲かなくなりました。除草剤を散布されたみたい。
踏切以外の操車場周りにはちらほらと咲いていましたので、ハトコラボとか。

20170319 (82)
2017年3月19日 東泉町2号踏切
工場側に咲いているので、45t電車の到着に合わせてみました

20180401 (77)
2018年4月1日 仮屋川操車場
この年は宮原操車場での菜の花撮影が見当たらず。
代わりに仮屋川操車場入り口付近で。

20190420 (139)のコピー
2019年4月20日 東泉町2号踏切
全く咲かなくなったのか、私の大牟田訪問が遅すぎたのか?
唯一菜の花コラボの撮影が見当たらない年だった。

2020-03-20 (265)
2020年3月20日 東泉町2号踏切
踏切脇で成長しした菜の花の塊がありました。

今年はまだ撮影に行っていませんが、リンク先の「炭鉱電車が走った頃」~には
最近の東泉町2号踏切の菜の花模様が投稿されていますね。

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大牟田貨物がなくなり、次は特急有明がなくなり

2021年3月12日朝の大牟田駅発の便をもって、特急有明は運用廃止になってしまった。

昨春、大牟田から専用貨物列車が消え、そして今春特急有明が無くなった。
そのくらい衝撃的な歴史のある2つの列車が立て続けに無くなっていった。

前者はもう鉄ちゃんの記憶から消えて久しいが、後者は多くのファンから惜しむ声が多い。
まあそりゃあ、乗れない利用できない貨物列車よりも、乗った利用してきたお世話になった
旅客列車の方が思い入れが大きいのは納得できる。

私は、中京圏の貨物列車からDD51の定期運用が無くなっても、特に思い入れはないが(DE10派だからか?)、
住んでいた沿線でお世話になった馴染みのある車両や列車が見られなくなる方がよっぽど残念に思う。
(個人的見解・主観が入っています)

今回は、惜別有明・・・とはいかないが、大牟田貨物と交えた思い出でも書こうかと思う。787系も含めてネ。
明日はダイヤ改正だし、日付が変わるまでに・・・いや明日は朝早くから出掛けるので(笑)。どこに行く?

ではランダムに~参りましょうか(おそらく既出の作品かと思います)。

20160720hotel-view (5)c
2016年7月20日 有明4号と有明6号のための送り込み回送かな?
思い切って両雄の並びを狙ってみた

20160312瀬高南1151レ (19)c
2016年3月12日(ちょうど5年前かよ!!) 瀬高~南瀬高
今も忘れない大牟田貨物1151レの勇姿

20151218瀬高南1152レ (110)c
2015年12月18日 瀬高~南瀬高
光線なんぞ気にしない~撮れたらそれだけで満足だった 大牟田貨物1152レ

130224瀬高南 (10)c
2013年2月24日
大牟田貨物1151レが来るまでに試し撮り扱いな有明~でも撮ったら気持ちよかった朝

110625瀬高水鏡 (12)c
2011年6月25日 瀬高~南瀬高 有明6号
上りの列車で強引に水鏡

140629瀬高南1151レ (21)c
2014年6月29日 瀬高~南瀬高 1151レ
大牟田貨物も水鏡に挑戦したよ

ここからは有明の枠を超えて~787系全般から

10-4-25市境 (17)c
2010年4月25日 渡瀬~吉野
なんだか大牟田貨物だけではもったいないから、787系特急も撮ったなあ。

110226 1152レ出発前 (239)c
2011年2月26日 大牟田駅
左から787系(有明かも)、1152レ、西鉄2000形
3列車とも消えたことになりますね~

140429大牟田団臨787 (61)c
2014年4月29日 
大牟田駅で構内貨物列車を撮っていると、787系の団体臨時列車が2番線に入線
これは絡めて撮影しないと!千載一遇の大チャンス!!

140429大牟田団臨787 (70)c
大牟田貨物と787系列車先頭

110226特急 (253)c
2011年2月26日 大牟田駅 
九州新幹線全線開業直前~787系有明かリレーつばめ
ふいに目にしたのは、窓ガラスに写る黄色いモノ!!(笑)
実際写っているのは、黄タンコと西鉄電車。窓に映る片方は来なくなった。ぐすん。
リフレクトビューって、こんなに古くから撮っていたのだね。自分でも感心するわ~。

挙げたらキリかが無いほど撮っていますが、この辺にしておきます

*****************************************************************

それにしても・・・、大牟田貨物が消え、有明が消えたら次は何が無くなるのか?
次は大牟田駅折り返しの列車や6両快速列車がなくなって、2番線ホームと側線が撤去されて
常に2~4両の電車しか来なくなって、ただの停車駅となった大牟田駅は無人駅になるかも。
おいおい、なんか現実味があって恐い想像だな。元大牟田市民がなんて爆弾発言を!!

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廃線になっても

2020年5月24日 三井化学専用鉄道(廃止後)
三井化学専用鉄道が廃止になって、全国的な緊急事態宣言が解除された5月23・24日と大牟田遠征した。
といっても、廃止になったあとなので見るものは限られてくる。
これまで撮ってこなかった、いや見逃しているかもしれない風景などを撮る最後のチャンスかもしれない。

この日の遠征では
①大牟田駅に残っていた常駐機HD300(過日記事化完了)
②専用鉄道の夜景撮影など(過去記事完了)
を楽しみ、翌24日も朝から宮浦操車場に来ていた。

今回アップする写真はクリックすると多少大きく表示されます。
なにせ対象物が小さいものですから、大きくして見せたいもので(炭鉱電車は大きく表示する意味はありませんが)。

20200524 (56)c
ばっちり順光な45t電車18号機のサイドビュー撮影をいろいろな位置から撮っていたら

いきなり、駅事務所から職員さんが出てきて、無言で私の前を通り過ぎていきました。
もちろん会釈はしましたが・・・。

20200524 (65)c
一体これから何をするのだろうか。いつものようにバイクにも乗らず(バイクは廃車になったのかな?)、
線路の外側の公道を、東泉町2号踏切方向へ歩いて行きます。何か点検かな?と思いました。
宮浦操車場での撮影は終了したので、これから仮屋川操車場に向けて、沿線から線路設備・風景を
眺めてみようと思いました。

20200524 (72)c
先程の職員さんは、東泉町2号踏切を通り過ぎて、赤錆びた廃線を仮屋川操車場方向に歩いていきます。

私がこれから向かおうとしている方向へ歩いて行くなら、丁度いいや(笑)、追いかけてみよう!
と気づかれずに50mほど距離を保ちながら(汗)、何カ所かでその模様を撮影。
気分はまるでストーキング。なんか変な気分だな~現役時代にも似たような撮影していたのに。

20200524 (77)c
東泉町1号踏切~旭町1号踏切
ゆめタウン従業員用跨線橋下付近を歩きます

ふっふっふっ、遠くから撮られているとも知らないで・・・(笑)。通報されそうだけど、
端から見た私の姿は、ただ単に廃線の撮影をしている物好きなおっさんです。

20200524 (86)c
旭町1号踏切は道路を横断したのかな?あそこは横断禁止なんだが。

どういうわけか旭町1号踏切脇には、私と同じ撮り鉄(廃線跡や踏切撮影が目的みたい)が1人いた。
物好きな人が私以外にも居たんだ~。
廃止の翌日からは、あんなに大勢居た撮り鉄は居なくなりましたから、天国と地獄みたいです。
まあこちらとしては、あんな激パで廃線跡の撮影はしたくありませんからね。
廃線の激パって(笑)。あったら恐いわ。

20200524 (87)c
ボーリング場のところ
晩年に撮影したかった場所でしたが、当時は思いつかなかった。
ここだと激パにならなかったというか、誰もいなかった。
(2020年3~4月は管理人は緊急事態宣言のため身動きが取れなかったので
SNS情報や大牟田の友達からは専用鉄道の激パが半端ないとは聞いていた)

20200524 (91)c
京町踏切も通過。
これは廃線の見回りかと思いきや

20200524 (96)c
旭町駅事務所に登っていきました。
何をしているのかな?さすがに分かりません。
しばらくすると降りてきました。仮屋川操車場方向には向かわず、宮浦操車場方向に歩き始めました。

20200524 (109)c
帰って行きます。

20200524 (113)c
小さくなって見えなくなるまで見送りました。

これにて職員さんの謎行動のストーキング終了です(笑)。
これ定期的に歩いているのかな?良い運動になりますね。
もう電車も貨車も動かないから、時間はたっぷりあるのでしょうか。
そう考えると、とても寂しく、そして虚しくなってきます。

このあと、仮屋川操車場方面の撮影をして大牟田駅に戻り、マイホームへの帰路につきました。

◆この日はレンタサイクルを利用しています。

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珍景踏切に紹介された旭町1号・東泉町2号踏切

◆今回も本の紹介です。
  「決定版 日本珍景踏切」という本が、昨年6月に発売されていました。
決定版 日本珍景踏切

 私は最近その本の存在を知りました。本屋でちょっと立ち読みをしました(購入はしていません)。
 「三井化学専用鉄道」の旭町1号踏切、東泉町2号踏切が1ページに写真2枚で紹介されていました。
 
 まさか2つもエントリーされるとは驚きました。旭町1号踏切はエントリーされなかったら苦情レベルです(笑)。

 だけどね~また管理人は見つけちゃったんだよね~間違いを(笑)。
 これはもっと早くに知っていたら訂正を求めたかったなあ。発売されて半年以上も経ったから今更なあ。

◆問題の個所は・・・その間違いに飽きれてモノが言えません。いや笑いたくなってきます。

 20200229 (156)c
 東泉町2号踏切を通過する22t電車が(工場へのタンクコンテナのコキ出し入れをしている状況)写真で

20200229 (132)c
 「パンタグラフが低すぎる」と・・・。オイオイ!!

 はっきり言って、筆者もしくは出版社はこの鉄道車両について何も知らない・お勉強不足だ!!と言える。
 無理して書かなければ良かったのに~って指摘したい。

2010-01-09宮浦12号機定位置充電
 最大限迄上げていたらこんな状況だけど

121008宮浦pm (58)
 上げて走っているのを知っていて、低すぎる(下げている状態)シーンを見たことがないなら仕方ないけれど
 充電以外で、パンタを上げて走っている姿を日常的に見慣れていることはなかなかないはず。

20200229 (127)c
 工場引き込み線はなぜ非電化なのかを知っていたら、「パンタが低すぎる」なんて書かないはず。
 バッテリー駆動しているって知らない鉄道ファンは意外といるもんですよ。
 ハイブリッドだとか、ディーゼル機関車だとか誤解している書きこみも見たことがあります。

20200229 (86)c
 東泉町2号踏切を通過する雨の日の第4便貨物列車
 ひとりぼっちで気楽に撮影していたあの日~心地よいリズムの打鐘の音色もすべてが懐かしい。

◆旭町1号踏切
20200524 (176)c
国内最後の第二種踏切+有人操作式遮断装置昇降踏切だったのだろうか(正確な根拠や資料がない)

20190901 (166)c
管理人は旭町1号踏切での撮影頻度が、東泉町2号踏切に比べると雲泥の差が出るほど少なかった。

◆東泉町2号踏切
20200523 (118)c
この踏切脇に何度立って撮影しただろうか

20200523 (119)c
廃止後も踏切注意ってのがいい。本来なら踏切廃止の表示に回転されるはずだが。撤去の日までこの状態かな。
動態保存が叶う日に再びその音色を奏でてくれると嬉しいのだが。

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貨物列車特集なのに~特集しない鉄道雑誌

◆今回も鉄道雑誌の紹介です。(2/3冊)

 2月15日に発売された「鉄道ダイヤ情報3月号」には
 特集「令和時代の貨物列車 JRだけじゃない私鉄系にも注目!」とあり
 廃止された三井化学専用鉄道について5ページ書かれている。

 鉄道ダイヤ情報2021年3月号

 でもね~、せっかくの「貨物列車特集¥なのに・・・貨物列車がほぼ出てこないとは・・・。
 炭鉱電車や炭鉱専用鉄道の歴史をつづる内容ってどうかしていると思う。ガッカリだよ。
 個人的には特集から外れたと言っても過言じゃ無いと思える。

20160220宮浦 (9)のコピー
2020-03-21 (63)のコピー
 管理人としては上のような亡き風景が掲載されると期待していました。

 ●こうなった背景に理由が2つ考えられる。(あくまで管理人の見解なので賛否はあると思う)

 ①大牟田・荒尾の貴重な歴史的財産・至宝とも言える、
  炭鉱電車の知名度を改めて上げる必要がある良い機会

  ・良い機会・好都合だと思いますが、この号のこの特集に入れたのは間違っていると思う
  ・この千載一遇のチャンスを逃したら、炭鉱電車の価値は鉄道専門誌には特集されないかも
  ・今読者が知りたいのは、当時ではなく、現状と今後では無かろうか?
  ・取材には炭鉱電車保存会も協力しているという影響

 ②いくら特集と言っても貨物列車はすでに運用を終えている。
  または発表できる手持ちの貨物列車写真を持ち合わせていない。

  ・昔の懐かしい写真を掲載すると、廃止されているのに・・・って苦情を恐れたか?
  ・タンクコンテナは企業ロゴが入っているので、廃止後にそれらをはっきり見せるのは不味かったか?
  ・単にデータを持ち合わせていないから、内容を調整したのか?それは哀しい。

 以上、想像の域は出ませんが、三井化学専用鉄道が複数ページで特集されることは
 この先はまず考えられないでしょう。

 だけど・・・、以下に述べる件についてはちょっとねえ(汗)。
 今更訂正は求めません。私が知りすぎている、細かすぎるからかもしれません。
 粗探ししているようにも見られます。気になるのですよ~(笑)。
 ブログ読者様がこの本を手にされていたら、以下の私の指摘について心の中で賛否して下さい。

その①:炭鉱電車と呼ばれるようになった由来が書かれていない
(冒頭から炭鉱電車と書かれても、知らない人は分からないし、
炭鉱列車だろ?と誤解する。機関車では?と思う人も絶対にいる)

その②:35ページの写真説明について
写真4・写真5は水災害で架線設備損壊後の状況だと前もって注意書きが無いと、

・写真4の11号機は現役時も日常的に架線に電気が流れていないから電源車の電力で走行している。
 パンタグラフは何故必要なの?・・・と誤解されそう。

・写真5の19号機は現役時から自走出来なかったのか?自走できない理由が分からない。
 故障?架線に電気が流れていないのにどうやって走っていたのか?・・・思われそう。

36ページには昨夏の水災害による架線給電設備の復旧が必要・・という文章はありますが、
 写真4・5の説明は不十分に感じます。
そりゃ私たちは事情は分かっていますけど。

その③:1ページ目に炭鉱電車・貨物牽引の写真の掲載が無いのは非常に残念。
    廃線だから、冒頭には相応しくないと判断したか?

07第2便 宮浦到着c
こんなシーンでも

03第1便京町c
何かしら冒頭に紹介写真が欲しかったなあ。

◆この雑誌に完璧を求めてはダメです。そもそもこの雑誌のメインはダイヤの情報ですから。
 今回の特集に「大牟田の鉄道」を盛り込んでくれた~よくやった!と多少は褒めるべきでしょう。
 誰だって間違うことはありますから、よほどの事じゃない限り目をつぶるべきでしょう。
 あんまり目くじら立ててばかりいると、このブログが要注意・ブラックリストに登録されるよ(笑)。
 要は、私の期待と求めるレベルが極端に高すぎるのです。
 そんなに完璧を求めるなら自分で作ったら?と言われそうですね。

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日本の知られざる廃線に加わる

◆最近発売された鉄道雑誌について紹介します。(1/3冊)

「南正時の知られざる廃線」という、国内の廃線を紹介した鉄道本が2月15日に発売された。
本の紹介PDF→南正時の知られざる廃線

私は知らなかったのですが、南正時氏は鉄道写真家なのですね。
私は意外と鉄道写真家や鉄道ライターに疎いようで(^^)

◆で、本題に戻りますが、
 この本で「三井化学専用鉄道」が2020年5月に廃線になったことが1ページで紹介されています。
 廃線を綴った鉄道本としては最新版と思われますので
 今回、「三井化学専用鉄道」が最も新しいクラスの廃線ではないかと。
 廃線の歴史に新たな1ページが刻まれた(加わった)ということです。なんか虚しい。

 鉄道写真家の南正時氏は、三井化学専用鉄道が現役の頃に訪問して撮影をされたと思います。
 よく知りもせずに書くのもなんですが、プロの鉄道写真家がこうして大牟田・荒尾まで足を運んだのは
 一定の評価があります。ただ、文章は前身の「三池炭鉱専用鉄道」寄りの書き方になっており
 ひょっとしたらその頃に訪問された可能性もあります。

 三井化学線用鉄道は現役時代、特に廃止が発表された2020年2月末までは、
 各種鉄道専門雑誌などで大々的に紹介されることはなく、知名度の低い地味な貨物専用線でした。
 晩年は現役としては国内最古の炭鉱電車に興味が注がれましたが、新型コロナウィルスや緊急事態宣言の
 影響なども有り、脚光を浴びたもののあっという間に話題から消えました。非常に悲しかったです。

廃線写真1
このレールが再び光ることはもうない

廃線写真2
もしあるとしたら、レール撤去の時に22t電車が走るとき

 乗ることの出来ない鉄道ですし、貨物専用線ですから仕方がない一面もあります。
 現役時代に大々的に紹介されていたらどうなっていたでしょうね?
 大きく騒がれたかな?鉄ちゃんが押し寄せたかな?
 それだと私は大牟田在住時にろくに撮影できず、このブログは無かったかもしれません。
 エゴですね。贅沢な悩みですが~もう終わったことです。私は知名度が低くて地味な鉄道線で良かったと思います。

廃線写真3
あの日から動きの無いポイント
浸水災害で電気系統がダメになったそうだが

廃線写真4
最後の日までそう遠くない
廃線でも興味のある方は撮影お急ぎ下さい。
  
炭鉱電車保存会と、大牟田・荒尾両市の今後の保存に向けた動きに注目です。我々が願うようになるとは限りませんが。
 
◆なお、管理人はこの本は購入していません。税込¥1,980はないわ~(笑)。


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大牟田駅構内貨物のDLの今~DE10-1560

かつて大牟田駅構内貨物列車として駅構内に常駐していたDE10(晩年はHD300)は、門司機関区所属の本線用・入換動車が3ヶ月周期で交代しながら活躍していました(HD300は岡山機関区所属)。大牟田のDE10の晩年は、検査切れまでの日数を延期できる入換動車ばかりになりました。数々のDE10は入換動車として検査切れ間近まで活躍して、ほぼ廃車になっています。しかし、今でも残っているナンバーがいます。1560号機です。

20210211大阪貨物タ (452)
大阪貨物ターミナルに行くと、何故か九州に居るはずのDE10-1560がいました。
大阪貨物ターミナルは昨年に紺色のDE10が引退して、元大牟田常駐機のHD300-27が就任しましたが、これもいつの間にか愛知の稲沢に回送されて音信不通(汗)。DE10-1560はいつの間にか岡山機関区所属になっていました。
JR貨物の門司機関区は、かつてDE10が担っていた入換え・試運転の運用(幡生の入換えDB500を除く)を現在、ほぼDD200が担っているようで、DE10の出番はほとんど無く(甲種輸送の運転はあるようだが)、所属機も3両まで減りました。最近1748号機も岡山機関区に貸し出されているとかで、門司機関区からDE10が消滅するのも時間の問題かと(2021年2月現在)。

そんな、入換動車のDE10-1560が大牟田で活躍していたころを振り返りましょう。そしてなぜ長生きしているかも説明しましょう。
150712大牟田 (27)
2015年7月12日
大牟田の駅名標とDE10-1560
もちろん狙って撮っていますよ

20150814DE10機回し (39)
2015年8月14日
機関車によって、「入動」の文字サイズは異なりますが、1560号機は文字サイズが大きい方でしたね。

150711大牟田駅 (64)
2015年7月11日
「入動」になると、大体は2年以内に姿を見せなくなります。検査切れですぐに消えたナンバーもいましたね。

150712大牟田 (23)
2015年7月12日
JR貨物塗装機の中では、結構マシな方だったと思います。

140721DE10構内貨2 (88)
2014年7月21日
仮屋川操車場から大牟田駅に戻る復路列車です。尾灯が2灯とも点いていますね。
基本は1灯ですが、

20160111仮屋川操 (18)c
2016年1月11日
点いていなかったり、1灯だったりと運転士によりけりだっと思います。

150712大牟田駅構内 (74)
2015年7月12日
まだ反射板を付けて走っていない時期です。そろそろそのシーンが当たり前になる頃だったかな?

◆入換動車特有?なのか、スカート部分はエアホース1本のみの装備になっています。
 貫通ブレーキホースなどは撤去されています。こうなると寂しく見えます。

140629仮屋川操 (80)
2014年6月29日撮影
仮屋川操車場での懐かしい並び。DE10-1560と三井化学専用鉄道45t電車18号機

次は、2015年10月24日に門司機関区でのイベントの際に、構内で撮影したときのこと。

20151024門司機関区 (54)
めちゃくちゃピッカピカなDE10-1560が展示されていました

20151024門司機関区 (42)
なんでも全般検査を行ったそうで、入換動車の縛りがなくなり、晴れて本線用に復帰だとか。
だから、2021年2月現在でも生きているのですね。しかし、今年秋には検査切れでしょうか?また入換動車措置で延命するかな?

◆それにしても、入換動車が全般検査して本線用に復帰とは驚いたな。前例有るのかな?それとも元からその予定だったのか?

2015年10月、JR貨物の門司機関区所属のDE10では1560号機が最後の全般検査対象となったそうです。
現存している、1559、1745、1746号機は、1560号機より早く検査切れになるのかな?
もう1両ほどDD200が九州用に配置されたら、JR貨物の九州エリアからDE10は消えてしまいそうです。

20151024門司機関区 (28)
これ以上は中に入れなかったので全体が撮れませんでした。

大牟田常駐DE10で、かつ最後の常駐機だった1748号機は、現在岡山機関区でどう扱われているのかな?
資料によると1748号機は2021年2月現在も入換動車だそうだが。機会があったらその勇姿を撮りに行きたいけれど。

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プロフィール

UTXC

Author:UTXC
こんにちは~(^▽^)/
全国の皆様へ~三井化学専用鉄道と大牟田付近で見られる貨物列車等の状況をお伝えします。魅力あふれる元気な炭鉱電車も紹介します。
2009年3月~2016年7月までタンク車に代わるタンクコンテナ(銀・黄タンコ)や海コンらを撮りまくりました。管理人は現在大牟田に住んでいませんが、遠くから我が大牟田の鉄道を見守っています。
なお、大牟田に関わる鉄道は2020年5月をもちまして幕を閉じました。
今後の更新は不定期です。
現在は全国各地の貨物列車のコンテナを中心に撮影しています。面白いネタがあれば紹介します。

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