専用鉄道の昼と夜 東泉町2号踏切~第4便
今回は、東泉町2号踏切で撮った昼と夜ですが、いっぱいあるので
懐かしき夜の第4便到着も交えてご紹介します。

2020年2月29日 9:35
第4便の宮浦操車場到着を奇跡的にひとりぼっちで撮影(笑)。
この日から専用鉄道のあちこちに、多くの葬式鉄が集まりだしました。
葬式鉄はどこから湧いてきたのだろう?って、それはまた別の話。

2011年11月26日 18:00 日もどっぷり暮れて・・・
ひとりぼっちで第4便を迎え撃つ・・・第3便単機回送の出発シーンはボロボロの出来でした(涙

2011年11月26日 18:05
日が暮れてから第4便が宮浦操車場に到着するという珍事。
今思えば、第3便を旭町1号踏切で動画撮影とかすれば面白かったのになあ~と思ったり。撮ってすぐに宮浦操車場に戻っても十分時間はあったでしょうが、昼と違って見通しも悪いですから、あんまり急ぐと思わぬ事故に遭いそうですね。

編成中の黄タンコ(コキ200積載)

翌日の27日にも黄タンコさんやってきました(笑)。連結頻度高いな~。

銀タンコさんは連なっている効果で、大型ロケットみたいに撮れました。
なお、この夜の撮影設定はオートで(笑)、F5.6、SS1.3秒、ISO-3200、焦点距離31mm 露出補正なし
でも、私はこの撮影結果には満足しています。
◆この頃は動画撮影をしていなかったし、夜の流し撮りなんて高度な撮影スキルは持ち合わせていなかったので、このような撮影になりました。思えば、夜に動く列車の撮影自体、この日が初めてだったのかもしれません。せめて動画・・・と言っても光源が少ないので真っ暗な出来映えであっただろうと思います。
なお、この珍事について詳しくは2011年11月26日の記事を一通りご覧になって頂ければよく分かります。
管理人の非常に長い大牟田の1日を綴っています。お暇なときに検索してみて下さい。
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専用鉄道の昼と夜 旭町1号踏切
今回は、旭町1号踏切での昼と夜です。
旭町1号踏切の夜景は何度か撮っていますが、出来映えは晩年の方が良いですね。

2014年3月2日 夜の構図と同じとしたら、昼間はこんな感じ(9:30ごろだけど)
ちょっと離れた位置から撮った場合。私はこの程度がお気に入り~編成美が感じられます。

2015年11月28日
遮断ワイヤーに近づいてみた。迫力はあるが、ここだと編成美軽視になるんだよな。

2011年11月3日
さらに近づいてみた。

2019年9月1日
電車待ちです(笑)。
手前に安全バーが立ちました。

2016年5月28日 21時半過ぎ
まだ大牟田に住んでいたころは、三脚立ててじっくり撮っていたものだった。

2020年3月21日 その夜の様子(23時ごろです)
もう踏切を横断するクルマも来なくなりましたが、時折近づいてくるクルマをチェックしては、光の流れを狙います。
夜景特集は連続で書かなくても良いのですが、書く気があるうちに書きまくります。写真を集めるのは大変ですが。
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専用鉄道の昼と夜 東泉町号踏切
今回は、東泉町1号踏切の昼と夜。
そんな地味な踏切まで昼と夜を押さえてあるの?って自分でも驚きです。

2019年4月21日
なかなかこちら側から撮っている写真は少ないのですよ

2014年8月13日
お気に入りの写真。炭鉱電車と三井化学私有消防車。赤と赤の対峙(笑)。
この時は救急運転じゃ無くて良かった。まるで電車優先に見えるよ。

2020年3月20日
昼でも夜でも全くクルマが来ない瞬間はあるもので
これ一体何時に撮ったのか?23時前だった(汗 。そりゃクルマ来ないわ。
他の踏切もいずれ紹介しますね。他って・・・あそこしかないよね。京町踏切の夜は多分撮っていないからな~。
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専用鉄道の昼と夜 宮浦操車場正門
今回は、宮浦操車場の正門です。
この位置での撮影はどちらかと言えば開門状態の方を数多く撮っているでしょうね。
だから閉門状態はあまり撮っていません。夜は閉まっているから撮れるでしょうが、過去には開いていたこともあります(笑)
今回は、ほぼ同じアングル・構図で撮ったものだけ4枚集めてみました。もっと時間をかければいろいろな作品が出てくるかもしれませんが。

2014年6月22日 年次ウヤが明ける頃
ウヤ明けはまだか?~炭鉱電車はまだか?

2020年3月20日 宮浦操車場の今日はオシマイ

2016年2月9日 夜の宮浦操車場の正門

2020年3月20日 不思議な気分になりそうだ
◆撤去が始まっていなければ、まだ同じ風景は撮れるはずだ。信号機は電源OFFになっているから全く同じのは撮れないが。
近くの皆さんは夜の記録もたまにはいかが~?
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専用鉄道の昼と夜 見渡せる線路風景
今回は、専用鉄道の東泉町2号踏切から見渡す景色
景色と言っても、ごみごみした街中や工場地帯の風景である

2010年3月14日
まだ大牟田川の流路(河川)切換えが終わっていない頃。奥の鉄橋がないでしょ?

2016年7月18日 私が大牟田を出て行く3日前
専用鉄道はウヤ明けしてもウヤが多くて、ご覧の通り、レールが錆び錆び状態です。まるで廃止後みたいな風景だ。

2020年2月29日 雨の宮浦操車場
雨で線路が上手い具合に濡れてくれた。まあまだ毎日走っていた頃ですから、レールは錆びちゃいませんが。

2020年3月20日 夜の見渡す夜景
廃止まで50日を切った頃、昼間は大勢の葬式鉄が押し寄せましたが、夜は至って静か。工場のうなる音が聞えるだけ。
さすがに夜も撮影しているのは、私だけでしょうか。こんなタイミングで撮り鉄と会うのはやだな(笑)。
◆これらの見渡せる風景ですが、立ち位置が定まっておらず、みんな同じ立ち位置の写真は探しきれていません。
◆なお、読者の皆さんはお気づきかと思いますが、この昼と夜シリーズの風景写真、よくまあ記録しているな~と感心する反面呆れると思われます。そう、呆れるほど撮っています。特に明るい時間帯の動いていない間は、風景や設備、職員さんの動き、動かない電車や貨車など、余すこと無く撮りまくりました(他の撮り鉄さんはまず撮りません)。それでもネタに困ります。膨大なデータの中からこのシリーズを書いていますが、なかなかGoodな写真が見つからないこともしばしば。あとから見つかったら追記するか、各パート2で紹介するしかありませんね。
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専用鉄道の昼と夜 宮浦全景
今回は宮浦全景の昼と夜ですが、なかなか昼と夜の風景がマッチしないんですよね。
というか、夜の風景と合致した昼の風景がこれまたないのです。

2015年5月17日 ちょうど年次の長期ウヤ中

2014年2月16日
第1便が出発するシーンは幾らでも撮っていますが、あれは列車・変性重視な写真なので、似た構図の風景写真は少ないんですよね。もっと時間があれば探すのに(笑)。

2020年3月20日 宮浦の夜
まあこの程度でしょうか。他に良いのがあればパート2でも。探すの大変だ(笑)。
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専用鉄道の昼と夜 銀タンコその1
今回は「銀タンコ編成の昼と夜」です。黄タンコだけのパターンはまたいずれ。

2013年12月8日 第4便の到着の様子

2020年3月20日
F5.6、SS1/2秒、ISO-16000、焦点距離18mm 露出補正なし
この日の昼間は大勢の撮影者がつめかけ、さながら激パに近いほど大賑わいだが、夜は流石に静かなものだ

2010年10月21日
F5.6、SS1/2秒、ISO-16000、焦点距離18mm 露出補正なし
これは照明が点いているから撮影が楽なバージョンです
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専用鉄道の昼と夜 お休み中の45t電車
45t電車の昼のお休み中、夜のお休み中
◆続いては、当たり前のように撮ってきたはず・・・な、お休み中(留置:朝9:45~翌朝8:00)の様子を昼と夜で、さらに同じ場所から撮影した場合とおまけです。

2019年12月15日 昼間の45t電車19号機

2020年3月20日 夜の45t電車18号機
F5.6、SS1/2秒、ISO-8000、焦点距離35mmで真っ暗!!

2016年2月9日 夜の45t電車19号機
F4.0、SS1/4秒、ISO-6400、焦点距離33mmでこれなんよ!!

2010年10月21日 22:00頃 18号機
場内の照明が撮影を助けてくれます。
F5.6、SS1秒、ISO-800、焦点距離37mm

2016年5月28日 21時ごろ
場内は真っ暗闇で、となりの化学工場の淡い照明が頼りですが
F5.6、SS3.2秒、ISO-6400、焦点距離18mmで、昼間のようだ。
SSを倍にするともう夜とは思えない絵になります。
大牟田在住時代は、それなりに準備や時間的余裕もあったので、夜間撮影で工夫をするようになりました。
三脚の使用、シャッタースピードをかなり稼ぐとか。
まあそれでも決定的なシーンは撮れなかったと思います。私は所詮この程度です(笑)。
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専用鉄道の昼と夜 出発信号機
信号機の昼の姿・夜の姿
◆専用鉄道にいくつかある信号機より
宮浦操車場の出発信号機

2016年3月5日 昼

2020年3月20日 夜
昼と夜で撮る角度が全然違いますが、昼に夜のような撮り方をしても色がはっきりしなくて(汗
夜に昼のような撮り方をしても良かったのですが、意外と撮っていませんでした(残念

宮浦操車場の出発信号機(写真左側)
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専用鉄道の昼と夜 急曲線
急曲線の昼の姿、夜の姿
◆2020年3月20日・21日にかけて、三井化学専用鉄道の沿線で、これでもか!と思う位じっくりと夜間撮影を行いました。
ただ単に夜間模様を記事にするのは少し味気ないので、「昼と夜」と題して、ほぼ同一箇所・構図の対比用に10回ほど書ける資料を準備しました。なお、昼の方は2009~2020年の中から探した(笑)ものですが、必ずしもバッチリという対比になっていない回もあります。
まずは、「急曲線」です。
急曲線って何?と思われますが、線路半径が400m以下を指すのかな?とにかく急カーブ(曲線)なんですよ。
三井化学専用鉄道には、急曲線と呼んで申し分ない箇所があります。それは、宮浦操車場から工場内へ向かう線路です。宮浦操車場の東泉町2号踏切からすぐに急なカーブになり、工場境界門扉を経由し、浅牟田108号踏切があった付近までがそれに該当するはずです。(管理人がそう思っている)

2015年10月4日 昼間

2010年12月22日 夜間
照明の効果を利用した撮影なら誰でも撮れるよ

2020年3月20日 夜間
照明の効果を利用せずに撮影したらハードルが高くなった(汗
◆下はオマケです

2010年4月25日 朝7:00
UT13C-8089・8090 液化塩素(黄タンコ)
朝入場シーン(急曲線上)
まあこんな感じです。もし昼か夜に複数写真があれば掲載します。
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私の初めてのカーブ撮影地~元村カーブ その4
◆最初に書くべきでしたが、元村という地名はなく、現在は吉野です。
なんでも今から150年ほど昔は「元村」という地名(村)が存在して、その合併などを経て現在に至るようです。
でも今は踏切名と交差点の名前でしか「元村」を見ることはありません。
紹介している元村カーブですが、JRの踏切は本村、西鉄の踏切は元村の字を使っているのは間違い防止だとか。変なの。
さて、元村カーブですが
最新が2020年3月20日となります。でもこれが私が元村カーブで撮影した大牟田貨物の最後の姿になります。

黄色のない銀タンコ積載だけの4両編成

元村カーブへ入ります

さらにカーブを往く姿を陸橋の橋脚の間から拝められます。
4両編成だからこの間にすっぽり収まります。なんだかな~(笑)。
元村カーブでの撮影記録(思い出)については、またいずれ書こうと思います。
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私の初めてのカーブ撮影地~元村カーブ その3
元村カーブの撮影 その3

2009年9月21日 4172レ
この頃から後方撮影にはまっていのですね(笑)
下りは黄タキが最後尾にならないので上りで撮ります。

2011年7月17日 1151レ
黄タキがなくなり、黄タンコになってからは常に黄タンコが最後尾になり、どちらでも後方狙いはできましたが。

2011年2月11日 1063レ
16両ほどあるこの一般的な貨物列車だと後方迄ばっちり編成が写ります。
大牟田専貨も一時的に空コキを引っさげて運転していた時代がありましたが、撮影欲が湧きませんでした。

2010年1月23日 1152レ
甘木山からの俯瞰撮影を~写真の1152レが走っている一帯が元村カーブです。ちょうど黄タンコの位置に本村1号踏切があります。

2011年2月11日 本村1号踏切
当時は第四種踏切で遮断棒がなく危険でしたが、現在は第一種踏切です。歩行者用ですが、自転車でも抜けられます。
その4に続く
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私の初めてのカーブ撮影地~元村カーブ その2
元村カーブの続きです
◆今回は地面から撮った場合の写真です
2009~2010年はここで撮ることが多かったですが、同業者にはほとんど会いませんでした。理由としては駐車する場所が満足になかったことでしょうか。一応跨線橋下にはありましたが、知る人ぞ知る場所でしたね。
ご実家がこの近くだとおっしゃる、ed731003氏と踏切脇で撮りあいっこしたのが懐かしいです。キャパないから(笑)。

2009年10月4日 4175レ
よく通ったもんだな~
でも晴れると編成の後方が暗くなってしまいます

2009年9月23日 4175レ
編成が短すぎると様になりません。
大牟田専貨は、銀タンコは常に6両ほど連結ありましたが、黄タキは日によって0~4両とバラバラで。

2009年9月26日 4175レ
跨線橋の南側からだとカーブを往くシーンがずっと見てられます。動画向きかと。

2009年9月21日 4172レ
上りを撮ろうとすると、陸橋の奥には行けないので、このように手前の本村1号踏切から撮る必要があり、ズームをしなければ対象が小さくなります。
その3へつづく
◆上からや下から以外に撮る方法はあるのか?
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私の初めてのカーブ撮影地~元村カーブ その1
大牟田で撮影を始めた頃、銀水~吉野のやや開けた場所で撮ることがありました。なんたって自転車でも行ける場所でした。そのなかに跨線橋と交わる場所にある「元村カーブ」(本村1号踏切あり)は、大牟田専用貨物を撮るのにはとても都合の良い場所でした。今思えば、短編成な大牟田専貨にはもってこいのカーブ撮影地だったと思います。私にとって初めてのお気に入りカーブ撮影場所になりましたが、晩年は諸般の都合でほとんど行かなくなりました。
撮影日時の2009年は、列車番号が4175レ・4172レの時代でした。
九州内の運転で4000番台は専用貨物と言われていました。
なので大牟田専用貨物、略して「大牟田専貨」と呼んでいました。
その後、1151レ・1152レと高速貨物化されてからは、
「大牟田貨物」と呼ばれるようになり、私も呼び方に困りました。

2009年8月30日 4172レ
記録上で、大牟田専用貨物の沿線撮影はこれが初めてのようです。
背景の左の黄色い廃墟(元ボウリング場)と、右側のアパートは数年後に解体されました。この場所の背景はかなり変わりました。
◆この構図では撮った記憶がほとんどありません。やはり背景と架線処理に悩んだか。行きづらいからか。

2009年9月12日 4175レ
黄タキと銀タンコがいっぱいなにぎやかな編成
◆右奥の新築アパートの紅白幕が目立つ。以降この構図で撮るのはプライバシーの観点から遠慮がちになる。

2009年9月13日 4175レ
まさかの連チャンとは驚きです(笑)。
やはり朝陽を浴びたこの構図がいいですね。でも12日のと違って編成全体は上からの表現になります。
◆私の知る限り、この背景はそんなに変化がありません。
その2へつづく
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銀タンコさんに初めて会ったときのこと
三井化学専用鉄道を知って最初に出会った車両・コンテナは、炭鉱電車45t、22tであるが、その次は一体何かというと、意外にも黄タキではなく「銀タンコ」だったのである。当時は専用貨物の事情など全く知らなかった私で、コキ200てそもそも何?状態であったから、今振り返ると笑わずにはいられない。私も最初はこうだったんだ~。
で、今回のお題「銀タンコさんに初めて会ったときのこと」とありますが、
◆そもそもデビュー当時から銀タンコって呼んでいません。あれは、液化塩素(黄タンコ)が登場したときに、今で言う銀タンコとの区別呼び方どうしよう?と考えて呼び始めたので、濃硝酸タンクコンテナがデビューしたときは何て呼んでいたのかな?

2009年5月28日 宮浦操車場 UT13C-8065・8066

年次ウヤの真っ直中に突然現れた。
いきなり見慣れないタンク車(当時はタンクコンテナって分からなかった)がいるから驚いた。
コキはコンテナなどを載せる貨車で、タンクコンテナはタンク車とは違うという当たり前の知識を得るまで、まだ半月ほど要します。それほど貨物には詳しくなかった私が、この2ヶ月先にはこのブログを開設しているのですから、結構勉強したのですよ(笑)
◆どうして年次ウヤ中にわざわざ運ばれてきたのか?当時このニュースをリアルタイムで報告できず、後日特集したと思います。
理由は定かではありませんが、線路改良が行われた工場引き込み線への入線確認(試運転)をしたと思います。
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電車シンメトリー
既出の写真(作品)です

2009年11月8日 旭町1号踏切 第4便
旭町1号踏切脇に建っているブライダル店の窓ガラスを利用して、45t電車を鏡に映して撮影~。
鏡の世界へご案内~(2009年11月9日ブログ記事
当時は、鏡の世界へご案内~ってタイトルであった、シンメトリーという言葉を知らなかったようだ。
でも建物のシンメトリーと違って、走っている鉄道車両をシンメトリーと表現しても、ちょっとねえ(汗
また、当時は「若干陽が強くて、写真が暗くなってしまいました。この記事の写真は再加工が必要かな~。」と書いていますが、その後は結局何もしていないのですよ。今ならフォトショップなどでいろいろ弄れますからね。今回の記事の写真はちょっとだけトリミング加工と明るさ補正をかけています。昔は上手く出来なかったので、何も加工編集せずブログで写真載せていました。
◆写真をクリックすると、若干大きく表示されます。
○今思えば
①自分で手持ちの鏡を持ってきて、それを使って撮影したらもう少し大きく撮れたかも・・・でも鏡は誰が持つの?
②晴れの日に撮ってやろうと思い、結局暗くなるのであれば、曇や雨天時に撮っても良かったんじゃね(笑)
③動画撮影したら面白かっただろうな。
まあ、いろいろ後悔する点もありますが、今となってはどうしようもうもない。もっと研究すれば良かったかな?
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今回のようなシンメトリーを目的に、再度ここでの撮影にチャレンジした筈なんだが・・、どうしたかな?また探してみます。
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2人ともどこを見ているの?
今まで数え切れないほど大量に撮ってきた、大牟田の鉄道写真。
ブログで公開してきた写真は、まともな作品で、失敗作や無意味なもの、よく分からない写真はほとんど使わなかった。でも今になって改めてそのお蔵入り同然の写真をよ~く眺めていると意外な発見があるもので、今後そういうネタも発掘していこうと思う。また、過去に使ったことがある写真でも、見方が変われば別の風景・様子が垣間見られるので、それも楽しい。
次の写真は今までに使用したことが無いと思っていたが、どうやら履歴が残っていた(笑)。
改めて見ると面白いことに気づいたので、今回は「2人ともどこ見ているの?」と題して軽く書いてみた。

2014年3月2日 旭町1号踏切 第4便がやってくる
踏切にやってくる前のカーブ上を撮ったつもりだが・・・、よ~く見ると運転台の2人がそれぞれ前を見ていない。
◆運転士・・・計器類を見ているのか?正面は向いていない・・・一瞬の出来事でそう見えるのだろうか
◇操車係・・・車体から身を乗り出して後ろを見ているのか・・・貨車が間違いなく引けているか後方確認なのだろう
★写真をクリックすると若干の大きく表示されるので見てみてね。
●なお、管理人はそう見えるのであって、読者の皆さんも同じ気持ちや見え方になるとは限らないので、そこら辺はご了承下さい。
皆さんと私の想いを共感できたらそれは凄く楽しいですが・・・なかなか難しいでしょうね。
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貨物列車を見送る姿
我が子の後ろ姿を見送るような眼差し(見ていないけれど)で、宮浦操車場を後にする貨物列車(第1便)をじっと見つめている職員さん。私は絵になるなあ~と思い、一緒に撮ってあげました(笑)。
だって本当にそういう風に見えたんだもん。
2010年11月6日 宮浦操車場 第1便出発
◆貨物列車の後方から編成を撮る習慣は、黄タキが黄タンコになった頃からつきました。 編成を前から撮るのが一般的ですが、私は前も後ろも両方撮らないと満足できませんでした。私が思うに多くの貨物撮り鉄は、機関車だけ撮ったらカメラを下ろしますが、私は通過しきるまで撮り続けるので、「何撮ってるの?」って同業者から怪訝な顔をされます。でもこれが私の撮影スタイルなので、誰がどう言おうと変えません。現在でも同じです。
☆三井化学専用鉄道、大牟田貨物関係で働いていた職員さん(監視員、踏切番、運転手、整備士、操車係など)を機関車や貨物列車などと一緒に撮ったテキストを沿えた作品は、今後も少しずつアップしていきます。
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一応朝なんですが~宮浦操車場はAM7:00
2010年1月9日 AM7:11 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
大牟田市は冬場は日の出が遅く、夏場の日の入りはとても遅いです。
なので、条件次第では東京や大阪では考えられない時間帯の画を撮ることができます。

この写真、AM7:11だというのにこの暗さは尋常じゃありません(笑)。
一体、宮浦操車場は何が起こったの?夜通し照明を点けっぱなしとか?
まあ確かに・・・、7時前に来たら点いていたからね~いつから点いていたかは分かりません(汗
撮影設定:ISO800、シャッタースピード:1/15、絞りF4.0、焦点距離:55mm
なので、結構明るく撮れると期待していたのですが、思っていたものとは
全然違う画になりました。これはこれで面白いです。
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巡ってきた~5月7日という日
2020年5月7日 三井化学専用鉄道の貨物運用が終わった日からもう1年が経過した。光陰矢のごとし。
正直言って、あの日から1年だ!って思い返せる鉄道ファンってどのくらいいるだろうか?
ひょっとして私くらい?いやまさかね~もう1人は居ると思いますが、それ以上は微妙だ(汗
**********************************************
さて、まだ何ともなかった頃の5月7日を振り返ってみると・・・、2009~2016年の間に撮影記録が1度もありません。
カレンダ過去過去暦を見る限り、第1土曜日が2011年にありましたが、おそらく出勤日だったから撮りに行けなかったと思います。5月6日や5月8日の撮影記録はありました。なお、5月7日が日曜日だった2017年は大牟田には住んでいませんでした。
2011年5月8日 宮浦操車場より

今でも走っていそうな専用鉄道線だな。

本当に惜しい鉄道が消えた。
私が今までに撮影に打ち込めた唯一の鉄道線(場所)だったのに。
今でも、夜寝る時の夢の中ではときどき三井化学専用鉄道らしき風景と貨物列車が出てきます(笑)。
しあわせな野郎でしょ?
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