炭鉱電車ラストランイベント開催(2021-7-31)
ついにこの日が来た。正確にはもっと前に予定されていたが延期され、その後どうするのか密かに注目されていた。
炭鉱電車ラストラン(読売新聞ニュース2021-6-30))上のアドレスをクリックすると、ウェブ新聞が閲覧できます。
宮浦操車場の中に入れる、最初で最後のイベントか~。炭鉱電車5両が並ぶのか~すげえ。
私有貨物専用鉄道でここまで開催してくれる三井化学さんに大感謝です。
きっと炭鉱電車をとても大事に、愛してやまないからこそ有終の美を飾ろうと思ったのでしょう。
今は詳しく書けませんが、7月31日に期待しましょう。
イベントは所定の運営会社にメールでの応募制で抽選もあり得るそうですが、果たして廃止になった鉄道のイベントにどれだけのファンが集うのだろうか(応募するのだろうか)。そこがちょっと気になるところです。がらがらはないよね。
例え抽選に漏れても柵の外から撮影できるので、炭鉱電車並び撮影が真正面が斜め(通常)のハンデがつく程度になる。是非真正面は撮りたいけれど高倍率抽選なら運を天に任せるしかありませんね。宮浦操車場の中に足を踏み入れてみたいよね~。
管理人は、残念ながら7月31日(土)は仕事(出勤)日なんだよね~。どうするよ(笑)。
その前に、昨夏の様な悲惨な冠水害に再び遭わないことを祈るばかりです。
大牟田からの情報によると~それを想定した対策訓練みたいのが行われた模様。炭鉱電車を冠水しない高所の工場線に避難するということで、自走可能な22tだけに出来る対策ですね。
無事に7月31日が訪れますように。でも~晴れたらすごい暑いよ!感染対策も重要ですが、熱中症対策のほうが大変。
雨天中止かな?長梅雨だ心配だな~6月はまとまって降らなかったからな(管理人の自宅周辺の話)。
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2009年 大牟田駅の跨線橋からの眺め
〇年 大牟田駅跨線橋からの眺めシリーズについて
一応は、大牟田貨物関連風景(眺め)で固めます。たまに他の列車や単に風景も掲載する予定です。
大牟田貨物関連とは、仮屋川操車場を行き来する構内貨物列車も、機関車の機回し模様も含みます。
また大牟田貨物とは、ほとんどが1151レ・1151レですが、年代によっては4175レ・4172レだったり
8151レ・8152レの場合があります。もう区別が面倒なので、基本列車番号は省略します。
前の記事でも触れたように、年代別なので、撮影枚数に多い少ないがでてきます。
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2009年 大牟田駅跨線橋からの眺め

2009年7月19日
初めて跨線橋から眺めての撮影です

この上から撮影する人って他にいるのだろうか?なんて考えたことは全然ありませんでした。

私だけしかやらない秘密のアングル(公にしていますが)

もうすでに編成後方を狙う習慣はばっちりでした。

2009年9月21日
機回し中です。DE10-1208国鉄原色~いいね。
2エンド側(手前に向かっています)

すぐさま1エンド側を撮影。跨線橋の中でドタバタです。そりゃ揺れるわ(笑)。

2009年12月3日
黄タキの終焉が近くて、何やら運用がおかしかった頃

最後になりそうな予感がして、集中的に撮影した記憶が

この1週間後に半月ほどウヤになって、黄タキは引退した。

2009年12月27日
代わりにデビューした黄タンコ(黄色いタンクコンテナ)を一生懸命撮影するもうまくいかない。
まあこれから幾らでも撮影できるから大丈夫大丈夫(笑)。
大牟田貨物の編成が、黄タキ時代と黄タンコ時代で連結位置が逆さになった。
撮影は殆どがホーム上からの眺めだったから、跨線橋からのは少ないがそれでも撮っているところが私らしい。
2010年につづく(現在多忙なので、更新時期未定)。
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大牟田駅の変化 その8
大牟田駅の変化 その8
いよいよこのシリーズも終わりです。しか~し・・・。

2020年2月15日
私がその跨線橋をダッシュするだけで、かなり揺れましたから恐かったですね。
耐震補強も出来ない、またはするなら新しく作った方がマシだったほど老朽化していたのでしょうか。

2014年3月22日 1152レ 出発待機中
海コンの上は撮らなかったなあ~
銀タンコ、黄タンコ、コキ200ならたくさん眺めました。
もちろん、通過中のDE10やELなども撮りましたね。
上から眺めるって地上での撮影よりも楽しいときがあります。

2020年1月19日 1152レ 跨線橋下に最後尾(出発待機中)
この跨線橋の開け閉め自在の窓があったおかげで

こ~んな撮影もし放題でした。
コンテナ好きな撮り鉄さんは結構居ると(増えてきた)思いますが、コンテナの上側を撮る方はそんなにいないでしょう。

2014年8月24日 1152レ 出発待機中
この日は確か編成がいつもより2両長かった(銀が8両)けれど、最後尾の9両目の黄タンコが窓から見下ろした位置ではなく、ちょっとだけ離れていましたね。

2011年3月20日 1152レ 出発待機中
この時は基本の8両編成の頃だったかな?それとも異常の9両だったか?

今春見たときはこうでしたが

次回来たら、ここに跨線橋があった痕跡は残っていないでしょうね。
その際は、その模様と西鉄大牟田駅の改札口前付近がどうなったかを報告したいと思います。
なお、次回いつ大牟田に行くかは未定ですので気長に待って下さい。
そもそもこの跨線橋についてのブログ記事を検索しても見当たりません。
誰か書いてくれないかな?書いてもここまで詳しく細かく記事にされる方はいないだろうね。
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で、この大牟田駅の変化シリーズですが、その8をもって「変化」に関しては終了します。
このシリーズの随所に大牟田専用貨物列車が出てきましたが、それでも全体のほんの一部なので
この際だから、「跨線橋から眺めたシリーズ」でも書こうかなと、過去写真を漁っている内に
時間切れになりました。多すぎるので、年代別に分けた方がいいのかと考えています。
まあ、年代別にすると撮影枚数が多い少ないは出てくるし、写真を見つけきれない恐れもあります。
とりあえずは、2009年から書きますが、この年は黄タキ最後の年でもあり、あるブロガーさんから
しっかり記録するように言われていたので、投稿写真チョイスにまた時間がかかりそうです。
全部紹介しても良いのですが、シリーズが長続きするとしんどくて、メリハリがつかなくなり
途中から質が落ちそうになるので、深くは語らないようにします。
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ちょうど11年前の今日 2010年6月23日
ちょうど11年前の今日 2021年6月23日は水曜日だった。
平日の水曜日・・・土日祝日しか休めない私にとって、平日撮影はかなり新鮮・・・と思いましたが
撮影時刻は18:53(笑)。職場からゆめタウン経由で宮浦操車場を見に来たのかな?カメラも持参で?(笑)。
マイカーに常時カメラは乗せていないので、何か理由があるようですね。
それにしても空が明るいですね。夏至を過ぎたばかりですし、更に大牟田の夕方は長いですから、こんな夕方の撮影も暫くは余裕でした。

まだウヤ明けして1週間ほどなのか、編成が短いです。銀銀銀銀黄黄の3両か。

コキ200がいっぱいです。海コン運用再開はもうちょっと後ですね。

45t電車は18号機でした。
この日の撮影はこの程度でした。ウヤ明けの確認に来たのかな?
ちょうど○年前の今日~という記事は、これからも気が向いたり、同じ日付の撮影写真があれば書きたいですね。
同じ日付が存在するのが、当時それだけ多く撮っていたという証なのだ。今回みたいに平日なのに撮影している辺り、私は当時相当大牟田の鉄道に毒されていたことになる。液化塩素は毒だけに(笑)。
ちょっと今多忙なので、大牟田駅の変化シリーズはまたの機会に。
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大牟田駅の変化 その7
今はなき(無くなったという前提で)、西鉄JR連絡用跨線橋を懐かしみましょう!

2010年8月18日 撮影
JR側の跨線橋より、奥の連絡跨線橋のほうが一回り断面が小さく見える

反対に、西鉄JR連絡跨線橋からJR側の跨線橋方向を見る

2016年7月18日 夜はこんなに明るい
◆ところでお気づきだろうか?この連絡用跨線橋の壁面にいろいろなペイントが施されていることに。
年代や制作者の記録はしていないが、おそらく近隣の高校の美術部の人たちが描いたのではなかろうか?

このペイントはお気に入りだった。なんか~10代半ばの自分を昔を思い出すなあ~(笑)。

2020年5月23日 せっかくの夜だから、小窓から大牟田駅の夜景を撮りました。
この時、すでに大牟田貨物は廃止されていましたから(HD300はまだいたけれど)、この小窓から撮りたいものはありませんでした。ここからの夜景撮影は初めてでした。

2010年8月8日
その現在封鎖された壁の左側には今から10年昔にエレベーターが設置されました。
写真はまだ階段があったころの様子です。

こちら側の階段があった頃は、大牟田貨物をホームで撮って、跨線橋に登って小窓から撮って、またホームに降りたりと忙しかった???という記憶はあまりありません。そんなに頻繁に跨線橋の小窓から撮影していたわけじゃありませんからね。

2010年10月16日 エレベーター設置工事が始まりました。
左側に大牟田貨物1152レの姿を写しています。やるね~。

2010年10月26日 跨線橋の階段がなくなりましたね

2010年11月13日 このエレベータ工事の頃から、現在の状況を計画していたのだろうか?
翌春の東日本大震災で、耐震性能や補強などがかなり問題になったからね。
この連絡用跨線橋は2016年の熊本地震でガタが来たのだろうか?

2010年12月30日 エレベーター完成
跨線橋に登るのが楽になりました。なんてね。
その8につづく
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大牟田駅の変化 その6
大牟田駅のJR線上の跨線橋はこれからも利用される。
西鉄連絡用の跨線橋だけが解体されるようだ。
私が思うに、その解体される部分の跨線橋は老朽化と、耐震補強の面で問題なのだろう。
(私がかつてダッシュでこの跨線橋を移動したとき揺れたなあ)
丁度良い機会にお隣に連絡橋がリニューアルされる計画があがったからそちらと繋ぐ形で
改札口を新設して、さらに古い跨線橋を撤去することになっていたのかもしれない。

解体されそうな跨線橋の構造を眺めると分かる点がひとつある。
JR側の跨線橋に継ぎ足した状態で強引に作っているようだ。同じ高さ寸法でないのは、内側は分かっていたけれど、外観は気にしたことがなかった。やはり以前は駅連絡橋からの眺めが良くなかったから気づかなかったのだろう。

話を戻して、大牟田駅の連絡橋改札口から入ってみましょう。

改札機の左側の小窓から跨線橋を覗いてみましょう

狭い通路の跨線橋だったのは覚えている

いままでお疲れ様。私もいっぱい利用したよ。

改札口を通ってJR跨線橋に来て振り返ったところ。
連絡橋のほうが若干高いので、ここまでスロープになっている。
走って移動する人は狭いし転倒しそうで危険な気がします。

JRの跨線橋は広いですね。西鉄側への連絡跨線橋はこの広さ幅ではなかった。

現在は大きなベニヤ板で塞がれている。将来はどんな壁に様変わりするのだろうか?
この先の通路については次回懐かしもう!

2013年9月22日
実は、今回解体される西鉄連絡跨線橋以外で、JR1・2番線路の真上付近の窓からでも、大牟田貨物の編成を眺め、撮影できるのであった。ホーム屋根が邪魔で全部は見えませんが、当時いろいろ試したのですね。
その7へつづく
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大牟田駅の変化 その5
跨線橋が解体?されているということは、

JR大牟田駅西口は一体どうなっているのでしょう?
当然閉鎖されているでしょうが。

2016年7月18日 西口改札口(年月とともに合理化で無人改札口になっていった)
西鉄との乗り換えにはどうしてもJRの改札口が必要だった。
もしかなかったらJR九州のサービス低下になるであろう。

バリケードで閉鎖されている。床面の表示も削り落としたかな。
将来は西鉄大牟田駅の改札口前が広くなって、待合席も増えるのだろうか。
コインロッカーの増設・移動をしたいですね。どうなることやら。

2021年3月20日に閉鎖になったようだ。割と最近だ。

撤去作業中なのか、資材がいっぱいだった。
あの奥に跨線橋へ繋がる階段がある。その階段に登る前の踊り場からJR大牟田駅が見渡せたので

2013年7月20日
よく大牟田貨物の編成後方を狙った撮影をしていました。
写真は仮屋川操車場から戻ってきたDE10牽引の構内貨物列車です。

2014年7月12日
JRのホームで一連の流れを撮って、跨線橋の上から撮って、ここで撮って、西鉄ホームに入って撮って、新栄町駅に移動して1152レの通過を撮って・・・って、そこまで頻繁に利用したわけではありませんが、晩年はよく利用しました。
その6へつづく
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大牟田駅の変化 番外編
西口の路面電車の真上に建てられた屋根が気になって・・・このは回は番外編とします。

この屋根はどなたが建てたんだろうか?

大牟田市が屋根設置と電車の内部改装を行ったそうで、老朽化した車体を守れます。
カフェの事業者は公募して選んだそうです。

立派だな~。雨宿りには最適だろうか。
カフェは、このご時世ではテイクアウトオンリーだった。

飲食店だから、今までなかった電気・通信配線の引込、調理のための水道引込、洗い物による排水など設備設置がありますね

通気は良い方でしょうか?テイクアウトオンリーならそれほど気にならない?

今年の3月にオープンしたとか。1月に来たときは全然その気配はなかったけどね。

路面電車の紹介です

歴史年表です

2020年5月23日
まだ屋根がなかった頃の夜景

上に同じく
この頃は、路面電車の活用術がまだ見いだせていなかったのか、カフェ開業の準備段階だったのか分かりません。
次こそ、その5へつづく
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大牟田駅の変化 その4
前回は衝撃的な跨線橋の解体?模様を見てしまいまして、ちょっとショックを受けました。
リニューアルされた連絡橋は先に紹介したように、低めの壁面や透けたガラス壁でトレインビューには問題がないので、これから楽しむ人たちには敷居が低くなる。跨線橋の小窓は大人の目線の高さにあったので、大牟田貨物などのトレインビューは私だけの撮影スポットと言っても過言じゃなかった。廃止直前には駅での撮影者も多くて、私のおかしな撮影をわざわざ真似て撮っている人もいましたが、一般的にはあそこまでして撮ることはなかったでしょう。やっぱり異常な光景を見たかったから、あの小窓からレンズを向けました。

2019年4月21日 大牟田貨物1152レ 機関車の機回し中
連絡橋の続きです
階段のを降りる前に西口が見渡せる窓が残っています。エレベーター付近の踊り場は昔と変わっていませんね。

その窓からの風景は一変していた。静態保存の路面電車の真上に屋根がある!!
これは一体!?まあ、あとで降りて見てみるとしますか。

西口に向かって階段を下ります

階段の踊り場からの風景も前は撮れなかったから開放感あるなあ

大牟田駅のホームが見渡せます

こりゃいい

向かい側(ホーム)から見たら連絡橋の階段部の壁面が低いのがよく見えますね

2014年8月30日
あ~、こんなシーンがもう少し高い位置から撮れたんだろうな

2015年9月12日
やっぱり地面から撮るのと、ホームから撮るのと、もう少し高い位置から撮るのと、跨線橋の上から撮るのとでは、面白みがそれぞれあっていいなと思う。
その5へつづく
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大牟田駅の変化 その3
前回、リニューアル工事完了後の連絡橋の途中に出来たJRの改札口を見て思った。
なぜ改札口を増やしたのだろう?それも連絡橋の途中に。西口改札口はどうなった?
その理由はすぐ分かった。

ところでこの連絡橋の壁面はところどころに透明な部分があるのだが

外から見たあの部分がそれにあたるのだ。これなら小さいお子さんでもトレインビューが楽しめるってわけだ。
あ~大牟田貨物が健在の頃に完成していて欲しかったなあ。1年遅かった?

壁面がそもそも低いので、大人の目なら壁面越しの線路風景が広がる。
これは実に楽しそうな風景だ。昼間にこのアングルで楽しめる列車って、今なら鳥栖~熊本の臨時SL列車くらいでしょうか。まあ別に夜景も楽しめますが。それはまたいつか。
次の光景はショッキング(驚いた)でした。

跨線橋の方を眺めたら、その屋根と壁面・窓がなくなっている!!

これは解体中なのか?

今まで何度も歩いたり、窓を開けて大牟田貨物編成などを何度も撮影した、あの跨線橋がなくなるようだ。

2014年7月12日 跨線橋の窓より撮った、大牟田貨物1152レの編成を上から。
なかなか気持ちの良い眺めだった。もちろんこんな撮影をするのは私くらいだったはず(廃止直前除く)。
西口に続く跨線橋についてはまたいずれ特集することにして(そんなところも撮っていた)、先に進もう。
その4へつづく
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大牟田駅の変化 その2
大牟田駅の連絡橋の続きです。
今回は、大牟田駅東口から連絡橋に登ってみましょうか。

2016年6月26日 大牟田駅連絡橋の中を写した唯一の写真
ここから先は現在のリニューアル工事完了後の中の様子です

東口の階段を登って

以前と違って高欄から線路がはっきり見えます。スモークガラスはなく、このご時世のためなのか~通気は万全です。でも横殴りの大雨が降ったら連絡橋の中はびしょ濡れだろうな。

さらに西に進むと

その1の最後に紹介した、連絡橋と跨線橋が繋がっている部分にたどり着けます

なるほど!!新しい大牟田駅の改札口「連絡橋口」があります。
しかし新たに改札口(連絡橋口)を作った理由はなんだろうか?

振り返るとこんな感じ。とてもきれいで、明るいです。風もきもちいいです。
さらに西口へ進みましょう。
その3へつづく
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大牟田駅の変化 その1
ある日、久しぶりに大牟田駅を訪れると、大牟田駅連絡橋などの変化にたいへん驚いた。
今回はその変化ぶりを以前と比較しながら何回かに分けて書いていこう。

2018年12月23日 大牟田駅着の1151レの背景に見える、大牟田駅連絡橋
私も大牟田在住時は何度か利用することがあった、重要な渡り道(跨線橋)であった。

そんな連絡橋は、撮り鉄のためには邪魔な存在であった(笑)。できるだけ写らないよう、写さないように心がけたが、構図の都合でどうしても写ってしまうのだ。
また壁面ガラスにスモークが入っていて、トレインビューなんて夢のまた夢であった。通気口に這い上がれば撮れないこともないが、メリットが感じられなかった。いつ建設された連絡か分からないが、両側をスモークガラスで仕切られて圧迫感が高く、通気が悪く、ところどころ雨漏りしていて、殺風景であった記憶があります。陳腐化・老朽化が懸念されていたのか?
そしてついに今から2年ほど前からリニューアル工事が始まった。どんな風になるか楽しみで、遠征する度にその変化具合を記録してみた。2021年春に完成したので、その模様をつづってみる。

2020年2月15日 さすがにこのアングルで工事開始前の様子は撮っていないと思うが、とりあえずビフォーの代表としよう。

改札口を通っての跨線橋と、誰でも通れる駅の連絡橋前後のホーム屋根が撤去された。
この時点では、なぜホーム屋根を撤去していたのか全然分からなかった。
足場でも欲しかったのかな?足場が立てられている状況を見ることは無かったです。

コンクリート製の架線柱が1本立っているところが、2・3番線ホームで、連絡橋の左側のホーム屋根が見当たりません。

別アングルから撮影。ホーム屋根が途切れていると、雨の日に左側のホーム屋根下まで濡れたり、傘を差す必要がある。
仮設用でもいいから屋根が欲しかったなあ。

2021年4月 完成後の様子(上の写真と対比するとよく変わる)
ホーム屋根が撤去されていた理由がよく分かる。
屋根は設けられているが、あの上に構造物がある。

なんだこれは!連絡橋と跨線橋が繋がっているじゃないか!!
これにはびっくり!どうなっているのか早くみたいものだ。
その2へつづく
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並べる準備と片付けには
2021年6月3日(木):宮浦操車場にて、5両の電車がランダムに並べられる
2021年6月7日(月):同じく片付けられる(三重連が2回)
5両も並べるのだから、出来るだけ楽に短時間で作業したいと考えられる。
また、宮浦操車場の設備は昨夏の冠水の影響で電源喪失しているため
電機転てつ機、架線電源供給、踏切装置がダメになっているそうだ。
従って、転てつ機に関しては手動で工具を用いてハンドルを回すとのこと。これは大変だわ。
踏切の警報器や遮断機が使えないということは、何度も走らせると自動車との事故に繋がるおそれがあるので
少ない人員でできる限りの安全対策(見張り・監視)を講じていることだろう。
架線に電気が来ていないから、45トン電車は自走できないのだ。誠に残念。
22tはバッテリーから電源供給だろうが、1両ずつ走らせるとエネルギーがもったいないのかも。
だから、22t電車12号機が、45トン電車18号機・19号機の2両を、22t電車11号機・9号機を2両引いたのだろう。
つまり「三重連」の様になっていると騒ぎになった(Twitterより)。
Twitterでは、7日の片付けシーンの三重連お片付け動画が公開されている。私も見たかったなあ。
当然ながら準備するときも、同じような作業になったと思われる。
◆なお、45トン電車と22t電車を連結して動く姿は、車庫付近なら何度かあります。

2009年10月18日
車庫前に留置は車庫の線路長さ(車庫の長さ)の制約上、前の電車が後ろの電車を引いたり出したりするので、このような異種電車同士の連結が見られた。動く姿はここでなら見たことあるが、その移動距離は僅かなものです。

2015年8月24日 台風の暴風対策
宮浦操車場の中での異種電車連結の姿
これはこれで興味深いが、残念ながら準備中や片付けのシーンは見られなかった。

2017年9月10日 22t電車の重連
18号機の脱線から復旧までの短期間で見られた運用。
結局、ランダムに5両並べた理由は一体何だったのだろうか?何も発表がないのは気になる。
少なくとも車庫や電車の解体作業ではなかったので一安心だ。
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5両の炭鉱電車が並んでいる
大牟田・荒尾にお住まいの鉄道ファンから聞きました(その後Twitterで写真発表)。
なんでも昨日辺りから、宮浦操車場に5両の炭鉱電車がランダムで並んでいるそうです。
写真を拝見すると、電車は横一列や縦一列ではなく、各車が少しずれた状態で留置しています。
(Twitter写真参照:キーワード「炭鉱電車」で検索)

2011年6月24日 全般検査明け直後の45t電車18号機

2010年1月10日 時間経過で車体が色褪せ難い45t電車19号機

2015年10月17日 22t電車12号機

2019年11月9日 22t電車11号機

2014年12月29日 22t電車9号機
こんな夢みたいな状態を撮影できる人たちが羨ましい。
夜の撮影も設定次第では(三井化学大牟田工場の照明を利用)面白い画が撮れそうなんだが。
今の時点では緊急事態宣言もあるので、今すぐに遠征するわけにはいきません!
◆◆全車が並ぶのは非常に素晴らしい事ですが、やっぱり走っている状態の方がいいですね。
◆三井化学専用鉄道は廃止されて1年1ヶ月になります。
今回の並びの理由は分かりません。
以下は私の勝手な予想です。多分どれも大外れだろうね。何の根拠も無いから(笑)。
その1:昨夏のような冠水から逃れるため、高い位置へ移動(車庫や事務所付近は低地)
その2:車庫(機関庫)の解体が始まるから脱出した
その3:電車を用いた線路の撤去ショーがある(45t電車は自走不能)
その4:荒尾市への動態保存推進アピール(静態保存は表明した)
その5:大牟田市への最後通告(笑)
◆この炭鉱電車のランダム並びがいつまで行われるか、全く情報がないので分かりません。
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専用鉄道の昼と夜 いつもの場所で佇む22t電車
今回は、宮浦駅事務所の下で佇む22t電車の昼と夜

2020年5月23日
アップ
22t電車はウヤなどで操車場が動いていないとき(写真は廃止後)や、全く出番のない時間帯は常にここにいましたね。

ワイド
電車とバッテリー車を、背後の宮浦石炭記念公園の大煙突を入れて広々と撮ります。

2010年10月21日
夜間保守工事のため操車場内の投光器が煌々と輝いている

アップ
こうなったら撮るべきものは撮っておかないと損です。
しかしこの頃は、例え明るい条件でも撮影が下手でした。残念!

ワイド
フェンス越しに22t電車を昼間の構図で撮影します。ぶれまくりです。
(フォトショップでぶれ軽減はかけています)

2016年2月9日
真っ暗な中でもワイド撮影に挑戦

アップだと真っ黒な車体に変化

2016年5月28日
だんだん夜間撮影に磨きがかかってきたかな?もう投光器なしでも、工場のあかり頼りで、シャッタースピードを稼ぎまくれば~ホラ、この通り!まるで夜だと感じさせない夜(笑)。
専用鉄道の昼と夜のネタはまだまだありますが、そろそろ写真集めに進まねば、あと1回も書けないような感じです(汗
やっぱり夜に撮った写真は面白いですね。昼間見せない顔や空気が伝わって見えます。
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◆「専用鉄道の大小の鉄橋(仮題)」特集も考えています(笑)。なんじゃそりゃ~!!ですが、準備はしています。
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