仮屋川操車場の今昔 その①
2021年12月の仮屋川操車場の今昔より
一気に書くと大変なので、何回かに分けます。
仮屋川操車場の回が終わったら、次の区間に進みます。

仮屋川操車場の入り口付近(JR線との接続付近)は、架線も架線柱もすっきりなくなっちゃいました

2015年9月21日
仮屋川操車場を出発する宮浦行きの貨物列車を引く45t電車19号機

仮屋川操車場がいっぱい写るように撮ってみました。こんなに広かったのか~

2014年10月11日
当時は狭そうな雰囲気でしたね~DE10構内貨物列車と、宮浦行き貨物列車(三井2便とも呼ぶ)の頭の並び

脱線ポイントなど、装置は残されています

2016年2月7日
ここで何度も待ったんだよね
懐かしい出発シーンの動画をどうぞ~(2015年8月30日撮影)
その②へつづく(更新日未定)
◆それでは読者の皆様~よいお年をお迎えください。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑩
今回は大牟田専用貨物~8両編成その⑩を書きます。

2014年3月15日 瀬高~南瀬高 1151レ
海2+空+銀5の編成です。なぜ空があるのか?要は海コンの積載量が減ってきているのです。
以前はコキ200×4両で8個だったのが、2両で4個まで減りました。コキ200が余りますね。

2014年3月15日 銀水~吉野 1152レ
銀4+黄1+空+海2の変な編成です

2014年3月23日 銀水~大牟田 1151レ
その翌週も空はありました。

2014年7月12日 瀬高~南瀬高 1151レ
下りは銀6+黄2でしたが、

2014年7月12日 荒木駅構内 1152レ
同じ日の上りでも銀6+黄2の編成なパターンは、だんだんと珍しくなってきました。毎日当たり前だった黄タンコ積載がなくなってきたのです。
1日で2度美味しいとはまさにこのこと。珍しくなるほど輸送量が僅かに減ってきたと感じた。
次回は8両編成~その⑪を書きます。
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福岡県入りしてからあちこち寄り道
2012年12月
福岡県北九州市内のホテルにチェックインしたのは、夜の11時過ぎだった。
大牟田には真っすぐに行かず、あちこちに寄り道しながら向かった。
今後はこのパターンが標準になるだろう。いや廃止になってからはそうだったに違いない。
今回はダイジェスト版で、いずれ細かく紹介したいです。
まあ色褪せるネタではありませんから、大牟田以外は少々後で詳細語っても大丈夫でしょう。

小倉駅新幹線口から徒歩15分くらいの場所にある「高浜跨線橋」と踏切。
ここはいつも新幹線の車窓から見渡せるのですが、一度も足を運んだことがないので宿から散歩がてら行ってみた。
しかし、この時期は夜明けが遅い影響で7時ごろまで真っ暗な状態で、とても写真撮影はまともに出来なかった。
次回は夏とかに来たいですね~ようっしゃ!再訪確定(笑)

途中の川岸で奇妙な鉄道遺構(鉄橋の橋台)を発見!!昔は一体どんな貨物線があったのだろうか?
後日、鉄友達に聞いてみたところ、小倉港の市場線の跡だったという。
こりゃあ廃線跡の遺構をもっと確認してみたいね~再訪確定(汗
(グーグルマップ、ストリートビューである程度は確認済)

小倉駅のすぐ東にある立体交差になっている長浜通り踏切
鹿児島本線・日豊本線が複雑に交差しているこの場所に来るのも初めてだ。
ここで下から見上げた貨物列車を狙ってみたいですね~再訪確定(笑)

北九州貨物ターミナル
おそらく2年ぶりだろうか~黄タンコを見つけた。コキ200に2個載っています。
久しぶりだね元気してた?~仲間も多く解体されて今は何個残っているのか?
お気に入りのタンクコンテナが、あんなに遠くに見えました。嬉しくて感動しました。
黄タンコ(液化塩素)は現在でも週三回ほど、日豊本線貨物で連結されているそうです。
Youtubeでもその模様がアップロードされていますね。
南延岡~超遠いなあ~いつか再訪!!の予定(ちょっと難しいですね。せめて西大分)

門司機関区も覗いてみた
二休車になった(運用落ち)EF81-502が状態で留置されていた。
今後も運用落ちする機関車が増えていくのだろうね。
12月半ばにEF81-717も運用落ちしたと聞きました。
また先日、EF81やED76の代替機となる、EF510-301がムド回送されたそうですね

黒崎の専用線は線路が完全に撤去されていました。
10月頃に訪れた知人はまだ線路が残っていたと言っていましたが、私が見る限り撤去工事はつい最近のようです。

折尾駅の立体交差化事業は佳境を迎えようとしています。つまり完全に完成間近ということです。
新しく敷設された?線路の整備の真っ最中でした。この付近はずっと見てきたわけではないのでよく分かりません。

そして、のんびりと昼の3時過ぎになって、宮浦操車場に到着(先に仮屋川操車場や踏切を見てきた)。
門扉の中の操車場は7月31日のラストランのイベントの時から何も変化がありません。炭鉱電車は車庫前に移動していました。
(ただし、東泉町2号踏切より先は変化あり)
◆なんか疲れちゃったよ(笑)
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑨
今回は大牟田専用貨物8両編成~その⑨を書きます。

2013年9月16日 銀水~大牟田 1151レ
ここで撮影して、宮浦操車場に行けば専用鉄道の撮影にも間に合ったものです。

2013年11月10日 大牟田~銀水 1152レ
橋口町踏切は歩行者・自転車専用で、踏入脇に公衆トイレがあるので、撮影待ちの時は重宝しました。

2013年12月15日 銀水~大牟田 1151レ
この頃もまだ海コンの積載がおかしかったです。
この編成は海4+銀4ですが
コキ200+コキ200+コキ106+コキ106+コキ200+コキ200+コキ200+コキ200で
結局海コンはコキ200に2個積載でコキ106には中央1個積載という、妙なやつ。
そんなら3両でコキ200に6個積載で良いのに、コキ200が不足していたのかな?

2013年12月22日 渡瀬~南瀬高 1152レ
昼にもモヤがかかっていた田園地帯。珍しい自然現象だった。

2014年1月5日 吉野~渡瀬 1152レ
ここから見渡せる築堤を下ってくる様子は好きでした。2020年以降は住宅が建ち並んで同じ風景は撮れないはずです。

2014年1月12日 銀水~吉野 1152レ
この地帯も、2020年頃の遊水池の完成でだいぶ景色が変わりました。
市街地で数少ない平地から編成全部を撮れる場所でした。
次回は8両編成~その⑩を書きます。
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夜の大牟田の街(鉄道関係)
2021年12月 大牟田駅東口・西口、その他
夜の大牟田の街を歩いてみた。もちろん鉄道関係施設だけどね。

日が暮れる頃、レンタサイクルを返却しに大牟田駅に戻ってきた。ふと駅舎を見上げると、いかにもイルミネーションと思わしき、炭鉱電車パネルとジャー坊パネルが目に入った。

日が暮れてイルミネーション点灯

東口には、大牟田動物園の動物のイルミネーションがあり

西口には、路面電車のイルミネーション

さらに旭町1号踏切まで歩いて

次来たときはもう踏切自体が完全に消滅しているであろうということで、最後の夜模様を

さらに真っ暗な道を歩いて、三井化学の工場と東泉町2号踏切の夜景を~
三脚は持ってきていませんから、当然上手く撮れません。
今回は、大牟田の街の夜景色をダイジェストで~いずれ詳しくお伝えするつもりです。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑧
今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑧を書きます。

2012年4月1日 瀬高~南瀬高 1151レ
いくら銀釜牽引だったとしても、この虚しい編成には慣れないんだよね

2012年8月26日 瀬田~南瀬高 1151レ
こんな100%空コキ有り編成が当たり前になって、間もなく1年になろうとしていた。
1151レ・1152レの撮影欲が全然湧かない。

2013年2月10日 瀬高~南瀬高 1151レ
大牟田専用貨物が長編成になって撮りやすいという輩が現れ始めたのはショックだった
私は短い編成に慣れていたので、長編成は撮りにくいなあ~。贅沢な悩みですね。

2013年3月2日 銀水~大牟田 1151レ
やっと空コキ100%編成貨物列車の汚名を返上
ネット上では、元の短い編成に戻った大牟田専用貨物にガッカリしている撮り鉄がいることにショック
彼らは永遠に大牟田専用貨物のコンテナ並びの美学は分からないだろう(笑)

2013年3月16日 瀬高~南瀬高 1151レ
コキ200が復活しても、海コンはなかなか元に戻らない。それどころか海コンは奇数積載になり、わざわざコキ200を使う必要が薄れて、コキ106が混じる編成が続いた。なんかかっこ悪いな(笑)。

2013年7月21日 銀水~大牟田 1151レ
だんだんマシな編成美に戻りつつある
今回の記事は珍しく1151レばかりになりました。
次回は8両編成~その⑨を書きます。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑦
◆今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑦です。

2011年3月20日 久留米駅構内 1152レ
雨が降っていたので、軒下の濡れない場所から撮ったので柵が映り込みました。
この頃のダイヤでは現在の1063レにあたる下り貨物列車が直後に下ってきたので、柵が写らないように前に出ると非常に危険でした。

2011年3月26日 大牟田~銀水 1152レ
鉄橋が映り込む前に撮ったほうが良い場所

2011年4月9日 大牟田~銀水 1152レ
この辺りまでは徐行(加速しない)なのだが、理由は分からない

2011年4月10日 銀水~大牟田 1151レ
いつまでもこんな編成が見られると思っていたのだが、2011年3月10日にコキ200脱線事故が成田線で発生してから、半年後におかしくなった。日豊本線でも脱輪したなあ。
ここまでは、銀6+黄2のオーソドックスな編成美なのですが、次からはコキ200積載問題の都合で、しばらくの間お預けです。

2011年11月3日 銀水~大牟田 1151レ
空4+銀4の8両編成~なんて醜い貨物列車なの!!

2011年11月6日 渡瀬~吉野 1151レ
空4+銀4の8両編成~なんてかっこ悪い貨物列車なの!!

2011年11月21日 瀬高~南瀬高 1151レ
空4+銀4の8両編成~なんて虚しい貨物列車なの!!
絶対に空コキがある編成なんて~ちっとも撮影意欲が上がらないじゃないな~。
この先、2013年2月下旬までこんな変テコな編成が続きます。
次回は8両編成~その⑧を書きます。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑥
◆今回から2011年撮影の大牟田専用貨物8両編成~その⑥です。
まだまだ銀6+黄2の最長編成美が続きます。シリーズで一番記事が多くなりそうな予感。
なお、本記事でカテゴリ「大牟田専貨」が通算1,000記事となりました。

2011年1月10日 南瀬高~渡瀬 1151レ
曇の日なら上り線側からでもばっちりですね。でも架線柱が邪魔なんですよね。

2011年1月16日 銀水~大牟田 1151レ
雪が降ったのでしょうか?ED76-58のお顔に白いお髭が(笑)
タンコたちにもやや雪化粧の感があります

2011年1月16日 渡瀬~南瀬高 1152レ
ここは近くの踏切道から撮っていますが、列車が来るまで待機していたら危ないので、近くの道路に路駐して警報器が鳴るまで待機です。障害物がない場所なので特別列車走行時は撮り鉄を多く見かけますが、大牟田専用貨物の走行時は撮り鉄が全然居ません。まあ、そんな程度でしたから。

2011年1月22日 羽犬塚駅構内 1152レ
羽犬塚駅で撮影したのはこの時くらいだったかな?上り列車としては、駅構造が銀水駅と同じで撮りづらいのですが、ホームにさしかかる前に1番線の端っこから狙えば~とロケハン(笑)して狙いました。

2011年1月23日 瀬高~南瀬高 1151レ
気象条件の悪さと撮影設定を間違えて撮りました。出来映えは真っ黒。仕方が無いのでフォトショップで編集して明るくしてみました。当時はブログにはアップできない写真だったかな?それにしても朝日が弱かったんだな。

2011年1月30日 銀水~吉野 1152レ
大牟田市内でこんなに俯瞰撮影が出来るところがあったとは!我ながら撮影した後に感激したものです。以降もここで俯瞰撮影したものですが、気象条件が悪いと霞が酷いときもあり、一長一短でした。この日はたまたま条件が良いほうで、遠く銀水駅ぐらいから1152レを狙いました。眼下のサイドビューは8両編成のコンテナが整った美しさを表現できました。
次回は8両編成~その⑦を書きます。
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さようなら~東泉町1号踏切
東泉町1号踏切の完全撤去工事に伴い、あの道路が2021年12月15日~17日にかけて全面通行止めになっていると、炭鉱電車保存会のメンバーさんからお知らせがありました。今晩中には線路がなくなり、明日には掘削・整地して新しい舗装を行ない、最後は痕跡を残さない様に看板・標識の変更・撤去・設置やライン引きが行われるのかな?
今回はそんな東泉町1号踏切のお別れ記事でも。寂しくなりますね。

2009年7月12日
在りし日の東泉町1号踏切


車道と交差する部分にレールは残るが、前後は寸断された

2014年8月13日
炭鉱電車45tと三井化学の私有消防車が共演した踏切も

今はない。ここに踏切があったことなどもう知る人は少ない

2009年8月2日
ゆめタウン側から見た東泉町1号踏切
偶然クルマが来なかった

2020年3月22日
宮浦操車場行きの貨物列車が通過した
やはりクルマが来なかった~とてもラッキー

2015年8月15日
宮浦操車場へ伸びる右カーブの先は見えない

2020年3月1日
カーブの先から現れた45t電車に鳥肌が立ったよ

そのカーブ途中の小さな鉄橋の前でレールが切断された

2015年8月15日
いかにも貨物専用鉄道線路だという雰囲気と匂いが確かにあった

2020年3月1日
雨の朝、45t単機回送がやって来た~あの線路は

そこに線路があったのかと疑問に思うほど、あっさり姿を消した

小さな鉄橋のある専用線と踏切

2016年1月23日
45t電車18号機が往く

2010年11月13日
45t電車19号機が往く

そして線路が寸断された

2020年3月1日
踏切注意の標識は電車デザイン
炭鉱電車が走るから何も間違っていない

踏切装置が撤去されお役ご免になった標識には黒いカバーが掛けられた

撤去工事が告知された
いよいよ東泉町1号踏切の最期の時がきた

道路と線路が交差していたと物語る証拠を残す三井金属の案内看板は残るだろうか
さようなら、東泉町1号踏切
また時間があったら、詳しく思い出すね(そういう記事を考えています)
◆12月15日 踏切にカッターが入れられた ・・・ 容易に踏切道は剥がせただろうか
◆12月16日予想 線路設備や路床・路盤の掘削・整地
◆12月17日予想 最期にアスファルト舗装、白いラインを引いて、歩道に縁石ブロックを設置
次に目にした時は、面影は残っているが普通の道路になっているだろうね。一時停止はもう必要ない。減速しないから危ないよ。
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速報~悲しみの廃線状況
2021年12月上旬
大牟田の三井化学専用鉄道が廃止になってから、もう1年と7ヶ月が過ぎた。
新型コロナウィルスの騒動や災害など諸事情で線路施設の撤去工事は進まなかったが、大牟田からの報告によると今夏のラストランイベントが終わってから急に始まったという。旭町1号踏切の踏切装置などの撤去作業は、大牟田の鉄っちゃんらが見守る中、真夜中に行われた。そのほかは平日の真昼に行われたらしいが、詳細は不明であった。今回は廃線跡を観察してきました。たくさん撮ってきましたが、在りし日頃の比較となると準備が大変なので、とりあえずは「今、どうなっているのか?」を簡単に説明し、後日詳しく記事していきます。大牟田専用貨物記事は急がないので少し不定期にします。

はい、まず1枚目・・・・、ってこれどこよ!?って驚くと思います。
仮屋川操車場跡です。架線と架線柱などが全部消えました。
でも線路は残っていますね。器用に撤去したな~と感心してしまいました。
JRとの線路は繋がっていますが、分岐器などは永久的に繋がらないように機械的にロックしていると思います。
仮屋川操車場の持ち主はJR九州らしく、将来完全に撤去して更地にするのか否か、さっぱり分かりません。

2枚目、ここどこ?ってなりますよね(笑)
はい、旭町1号踏切跡です。
辛うじて線路と自動車用の踏切信号機は残っています。
架線や踏切遮断装置などは完全に消え、名残は標識程度でしょうか。
来年には完全に線路撤去と言われています。

3枚目は、ゆめタウン従業員専用跨線橋から旭町1号踏切方向を向いた線路跡です。
もう線路がありません。遊歩道にでもしれくれないかな?と思うくらいです。
この区間がいち早く撤去工事が始まったそうです。

4枚目は・・・、東泉町1号踏切跡です。
こちらも早々に設備撤去され、前後の線路もカットしています。

5枚目は、東泉町1号踏切の完全撤去工事の告知看板です。
12月15~17日に、ここに踏切なんてあったかな?っと人々の記憶から消え去るように道路工事が行われるようです。

6枚目は、工場引込線・・・もう完全に撤去完了です。
つい最近行われたようです。ここの線路撤去は昔一度見たことがありましたが、あれはコキ200を入線させるための線路改良工事でしたね。工場の中の線路はおそらく更地になっていることでしょう。

最後に、宮浦操車場です。
こちらは手つかずで、何も変化はありません。
ただ、宮浦駅事務所がいつ解体なのか?その辺りは情報がありません。
解体の時は関係者一同が見守る中で行われるのでしょうかね~。辛いわ。
以上、最近の三井化学専用鉄道の廃線の状況速報でした。
また撤去が進行したという情報が届いたら、追記します。
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炭鉱電車ミニ辞典の紹介(宣伝)
2021年11月30日、大牟田市内と東京神田の書泉グランデにて「炭鉱電車ミニ辞典」の販売が開始されました。
すでに手元にあるかたもいらっしゃると思います。突然発売されていてびっくりされた事でしょう。
初めて「炭鉱電車」という言葉を知る人も、聞いたことある人も、鉄道ファンでよく知らない人、よく知っている人でもとても分かりやすい構成になっている冊子です。本のサイズは官製はがき2枚分で、お値段はワンコインで僅か¥500ナリ。
私も一般会員として所属している炭鉱電車保存会の理事長より、(会員全員に)本の宣伝を依頼がありました。でも、著作権があるので中身を写した記事を書いて良いのか否かの紹介の判断が難しく、私も多忙で、ずるずるとブログでの宣伝が遅れました。結局発売から10日余りかけて、参考資料(なか見)を頂きましてここに書くことになりました。ひょっとしたら、もう売り切れ絶版になっているかもしれません。急いで行ったらもう在庫無かったときはすみません。

こちらが本の表紙です。炭鉱電車の車体の色とそっくりです。
以下の「なか見」資料で、大体の内容を掴んで頂ければ幸いです。

炭鉱機関車ではなく、電気機関車とも呼ばない。炭鉱電車の名前の由来は~?とか

45t電車が何故戦時型って呼ばれるのか~?とか
そんな細かい事柄から22点の内容盛りだくさんな本にまとめられています。
ミニ辞典の売れ行き次第では、増補改訂版の発行を視野に入れているとか。
現在、ミニ辞典は1,000冊製本され、800冊程度の販売を予定しているそうです。
その内、書泉には200冊を納品済で、最大の販売依頼冊数は300冊の予定。
と、炭鉱電車保存会からの情報です。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑤
◆今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑤を書きます。
5枚の写真は、ともに銀6+黄2の編成です。

2010年10月3日 銀水~大牟田 1151レ
この日は日曜日でした。線路沿いに撮りに行かなかった理由は覚えていませんが、きっと寝坊です(笑)。
そして慌てて撮ったから設定もミスったのかと。

2010年11月27日 大牟田~銀水 1152レ
変な塗装の1013号機が引きます。ローアングルでない2号踏切から狙います。

2010年12月12日 渡瀬~南瀬高 1152レ
冬期の真昼の光線具合は最悪なのに、頑張って線路際に立ちます。こういうときはサイドビューがマシなのですが、まだまだ撮影方法や基準は滅茶苦茶な時期でした。

2010年12月19日 銀水~大牟田 1151レ
弱い斜光線が寒い朝だと伝えてきます。

2010年12月23日 鳥栖駅 1152レ
黄タンコのデビューから1年が経過しました。
鳥栖駅からでも撮影出来ると立証してみました(笑)。かなり無理がありましたね。
今回で2010年撮影分は終了です。
次回は8両編成~その⑥を書きます。
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大牟田専用貨物~8両編成 その④
◆今回は大牟田専用貨物~8両編成 その④を書きます
2011年春のダイヤ改正までは、大牟田専用貨物の釜運用はED76でした。その後はEF81となり、代走でED76が入ることも多々ありました。九州でしか走っていないED76の記録が出来たのは良かったですが、途中から大所帯なEF81も記録できる様になって良かったです。2021年秋に、これらの国鉄釜の取り替え用となる九州仕様のEF510の投入が発表されました。今すぐ消えることは無いでしょうが、量産され始めたら1両ずつ墜ちてゆくのかもしれませんね。大牟田専用貨物を引いてきた数々の電機が、そう遠くないうちに見られなくなると、寂しくなりますね。これまでいろいろな編成美の大牟田専用貨物について書いて参りましたが、同時に様々な九州の電機を見せてきました。編成美紹介がメインの記事ですが、ついでに九州の電機たちの記録でもあります。
今回は、4枚目の写真以外は、銀6+黄2の編成美です。4枚目はちょっと変わった編成bでした。

2010年9月5日 銀水~大牟田 1151レ
この頃は、鹿児島本線が特急街道だったので、大牟田専用貨物と特急列車との離合などを撮ることが多かったです。なのでまだこの5線路区間で、西鉄電車との同一方向への並走については気にしませんでした。

2010年9月5日 大牟田~銀水 1152レ
この構図も微妙に位置が異なります。
ここには同じ名称で第1~4号までの踏切がありました。私はいつも1号か2号のどちらかか撮っていました。
この写真の様にローアングル気味になるのが、1号のほうでした。3・4号は架線柱が邪魔でしたね。

2010年9月5日 銀水~吉野 1152レ
銀水駅を過ぎると手鎌川を渡るために線路が少しアップダウンします。大牟田専用貨物列車が、アップダウンしているシーンを狙うのもまた面白かったです。ただいろいろ障害物もあったので、思い通りには撮影が難しかった記憶があります。

2010年9月19日 大牟田~銀水 1152レ
これは、銀6+黄1+海1の8両編成になっています。海コンのコキが1両になる事はかなり珍しいです。
こちらもローアンの1号踏切から狙っていますね。

2010年9月25日 大牟田~銀水 1152レ
こちらは2号踏切から狙っています。

2010年9月26日 渡瀬~南瀬高 1152レ
みやま市内で撮るなら、1151レは瀬高~南瀬高、1152レは写真の場所での撮影が目立ってきました。
でもそれじゃいけないと、第二第三の撮影場所を開拓しまくりましたね。しかし、マイカーを駐車する場所の確保が難しかったです。
次回は8両編成~その⑤を書きます。
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大牟田専用貨物~8両編成 その③
◆今回は大牟田専用貨物~8両編成その③を書きます。
今回の6枚とも、素敵な編成 銀6+黄2となっています

2010年7月25日 渡瀬~吉野 大牟田市内 1151レ
朝日を受けて走る素敵な撮影地なのですが、沿線の樹木が気になります。
編成の一部がどうしても隠れてしまいます。仕方がありません。切ってくれ~と願うばかり。

2010年8月16日 銀水~大牟田 1151レ
大牟田市街での超お気に入りのお立ち台ですが、真冬と真夏は写真のように建物の影がはっきりするので、郊外に行きたくなります。でも出勤前の撮影はそういう訳にもいかないので、我慢して撮影していました。この日は夏期休暇中明けの出勤日だったはず。暦は月曜日でした。

2010年8月22日 肥前旭を通過 トスアサカーブの直前 1152レ
九州新幹線の建設前、トスアサカーブはテンハルと並ぶ有名撮影地だった。現在でも撮る人はいますが、好んで撮る時は新幹線高架橋を避けるようにします。この写真も似たような構図です。お馴染みの後方狙いをしていると高架橋が写ります。写っても良いのですが、せっかくの編成美が台無しです。高架橋を抜けて下ってくる1151レもなかなか絵になりますが、高架橋の影がくせ者です。

2010年8月28日 大牟田駅で出発待ちの1152レ
大牟田駅ホームで出発待ちを撮るとき、仮屋川操車場から戻ってくる「DE10牽引の構内貨物」の時間から撮るなら、それなりに編成の前後をばっちり捕獲できます。しかし、三井化学専用鉄道宮浦操車場で11時頃まで粘って撮って、大牟田駅に戻ってくると、写真のような編成後方からしか編成を記録できません。曇や雨天の時は良かったです。
◆宮浦操車場で様々な撮り鉄さんと会いましたが、10時過ぎた頃が丁度悩みどころで、
「22t電車による工場へのタンクコンテナ入場」シーンの5~6往復を全部撮るか?
大牟田駅へ戻って「DE10牽引の構内貨物」「大牟田専用貨物の出発準備~ELの機回し」を狙うか?
両方は無理なので仕方がありません。私も編成内容によって行くか留まるか決めていましたし。

2010年8月22日 渡瀬駅を通過する1152レ
今思えばですが、1152レの撮影は、沿線撮影も駅撮りもそれなりに多かった気がします。
ずっと昔に紹介したかもしれませんが、大牟田~小倉のすべての駅で下車して、1152レの通過・停車を撮影すると壮大な目標を立てて、かなり進めた記憶があります。2016年7月に大牟田を離れることで、数駅は未達成でしたが~まあいいか。

2010年8月29日 銀水駅を通過する1151レ
逆に1151レの駅撮りは意外と少なく、ほとんどが沿線撮影でした。理由は朝早いからです。
1151レの駅撮りは、最北が博多駅で、次に鳥栖(それでも駅の外から撮影)、久留米、九州新幹線開業前の瀬高、銀水くらいでしょうか。
次回は8両編成~その④を書きます。
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