大牟田専用貨物~9両編成 その①
今回は9両編成~その①を書きます。
そんなにあったかな?(笑)~って以前書いた件は、只今選別途中ですが確かに多くはありません。
よっぽど、11・12両編成の写真データの方が多い気がします。でもまだ2012年までしか見ていないので、それ以後は9・10両編成が増えてくるかもしれません。いろいろな編成パターンにも年々変化がありましたから、まだまだ先は長いです。なお、選別に相当時間がかかっているため、このシリーズはまだまだ終わりそうにありません。最長編成を紹介出来る頃は桜が散っているかもしれません。
◆なお、編成が長くなる9両編成シリーズからは、写真があれば後方の編成がどうなっているかも合わせてお伝えします。


2011年2月26日 銀水~大牟田 1151レ 海4+銀4+黄1
非常に珍しい場所から撮影しました。この近くが仮屋川操車場(自動車学校のそば)です。



2011年8月12日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀5+黄1
なぜ編成を1枚にばっちり撮影していなかったのか?分割で撮っているので辛うじて編成内容が分かりました。

2011年8月20日 南瀬高~渡瀬 1151レ 海3+銀5+黄1

2011年8月26日 渡瀬~吉野 1151レ 海2+空1+銀5+黄1


2011年8月26日 南瀬高~瀬高 1152レ 銀5+黄1+空1+海2
この頃は、海上輸送コンテナ(海コン)を連結しなければ、9両編成以上になりませんでした。
原則として、銀タンコ積載は6両が上限で、黄タンコ積載も2両が上限のために、海コン抜きでは8両編成が上限でした。
次回は9両編成~その②を紹介します。
なお、時間の都合で出来なければ、先に10・11・12両編成を紹介するかもしれません。
現時点で、選別作業が2012年夏までしか終わっていない影響があります。これがまた大変なわけで(笑・汗)。
でも、選別作業中はなかなか面白いですし、意外な発見があって楽しいです。ブログ未公開ネタもたまに見つかるし。
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振り向いて編成後方を狙おうとしたら~併走スタート
2010年8月29日 鹿児島本線 銀水駅
大牟田専用貨物~8両編成より長い編成特集は、只今膨大なデータの中から選別・編集中です。
選別中に見つけた写真より

8両編成特集で紹介した銀水駅を通過する1151レ
このあと振り向いて編成後方を狙うのですが

右側からいきなり視界に入ってきた、西鉄特急8000形~大牟田行き下り

いきなり併走スタートですよ!さてどっちが勝つか!!
最高速度では西鉄特急に歩があります。
かたや大牟田専用貨物は、時々DE10のムド回送のために最高速度は85km/hに抑えられています。

西鉄特急は大牟田駅の一つ手前の新栄町駅に停車するため、この先の伝説の3並び付近には減速する見込み。
かたや大牟田専用貨物1151レは、できる限り急いで大牟田駅に駆け込みたいところ。
なかなか見られない、同一方向列車の後方からの併走シーンはわくわくしながら見送るものです。
これは当時どんな風に記事にしているのだろうか。あとで振り返ってみましょうか。
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速報 次の線路撤去箇所&大寒波の宮浦操車場の思い出
2016年1月24日は、大牟田が前例がないほどの大寒波(吹雪・降雪・路面凍結)だった。
猛吹雪になっても撮影を続行しましたが、(市内在住なのに)帰宅困難になりそうな不安だったので、(閉門時間まで)最後まで見届けられませんでしたが、良い思い出の一つになったと思います。
◆6年前にもこの異常気象下での宮浦操車場での記録を投稿しましたが、今回はその際に使わなかった写真で思い出を語りましょう。お届けする10枚の写真の時間は、まだ吹雪いていないので大寒波の割には全然大したことないと思われ仕方仕方がありません。

東泉町2号踏切は真っ白だったけれど~、マイカーで通過して1番乗り~ってな感じでした。

宮浦操車場の線路は真っ白でした

レールの上面も木まくらぎも、バラストも降雪で真っ白です。
こんな幻想的な光景を眺められるなんて!
◆◆◆そんで、タイトルの「 速報 」とは何かと言いますと
東泉町2号踏切付近でも軌道撤去ではないかと思われる資材や工具類を設置してあったことで、近いうちに東泉町1号踏切~東泉町2号踏切の線路が撤去されると思われます。また、宮浦操車場は数ヶ月以内に線路撤去されるそうです。
なお、すでに化学工場への引き込み線路は見える箇所では撤去完了しているのが分かりました。

仮屋川操車場に向かう45t電車が出発です。

18号機

サイドビュー

後方狙い

レールの上に積もった雪は45t電車18号機が踏みつけていった~イエーイ!一番乗り~

実際はこの日、このレール上をすでに1往復しているんだけどね

老体には応える寒さと着雪じゃわい!!
この後、仮屋川操車場から45t電車が貨車を引いて現れます。
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悲報~旭町信号所(駅事務所)解体完了
2022年1月22日の大牟田からの報告によりますと、旭町信号所の解体が完了したとのことです。

(上)2014年5月24日、(下)2016年7月20日(※旅立ちの日)

本ブログでは「旭町信号所」ではなく、「旭町駅事務所」って書いて参りました。
人によって書き方が違います。確かに言われてみれば「信号所」のほうがしっくりきますね。
私は今までなぜ「駅事務所」呼んできたのだろうかと(笑)。
今回は、三井化学専用鉄道視点から見た「旭町信号所(旭町駅事務所)」を
私が大牟田市在住時に撮ったものを集めてみました。

2009年9月12日 仮屋川操車場行きの第1便
こんな遠くの位置から撮っているあたり、きっと目標の撮影場所に間に合わなかったのだろう(汗)。でも間に合わなかった分だけ珍しい位置からの撮影になって良かったですね。黄タキ時代の編成と絡めた(意識して絡めたわけではない)記録にもなりました。

2010年7月10日
信号所へやって来た職員が階段を上って2階に入ります

そして第1便を迎えます
◆西鉄側から撮っています。撮影の立ち位置が分かる方は、「よくそんな位置から撮れたね~」って驚くか呆れるか。

2011年3月15日
単機回送です
この撮影位置は現在ファミリータイプのお洒落なアパートが建っていますが、撮影当時はただの駐車場でしたから、市道のクルマを気にせずに炭鉱電車を安全に撮れましたね。

宮浦操車場行きの便です。
職員さんは旭町信号所へはバイクで来る人、クルマで来る人がいます。
使い分けは分かりません。ただそれぞれの駐車位置が線路に近づきすぎると、電車の構図に入りやすくて困ったこものです。トリムすればいいのですが。

2012年1月15日 この先の進行OKを合図する旗振り
仮屋川操車場に向かう時は場内放送が聞こえますが、宮浦操車場に向かう時は旗振りが見られます。

2012年3月18日
仮屋川操車場に向かう単機回送時~寒いから窓を閉めていますね。場内アナウンスがあるから大丈夫。

2013年9月22日 この写真だけはクリックすると大きく表示されます
この写真は、2階にいる職員がどこかに電話しています。宮浦駅事務所への定時報告でしょうか?信号所下で撮影していると、電話のベルが聞こえてきまして、何かを話しているのを覚えています。

2014年3月16日 かな~りレアな瞬間を撮ってしまいましたね(笑)。
炭鉱電車で配達でしょうか。お弁当なら喝!!「カツ弁当」だったりして・・・なんて冗談はさておき、何か大事な道具などを運んで貰ったのかな。気分はまるでタブレットキャッチャーです(笑)。

2014年3月21日 西鉄下り特急・4093レ鹿児島貨物・炭鉱電車単機回送宮浦戻りが同時走行で並ぶ瞬間のボツ
いつも旭町信号所下のお気に入りの立ち位置から狙いました。
2013~2015年頃は、暇さえあれば並び、3並びを狙いました。ほとんどは写真の様に崩れるのです。
たまにお友達や遠方から来た同業者さんとその瞬間を楽しんだことがあります。

2014年4月6日
信号所と45t電車19号機

2014年6月7日
信号所と年次ウヤ期間~草がぼうぼうになってきたね

2014年7月21日
信号所と45t電車

2015年9月10日
知る人ぞ知る編成をばっちり眺められる・撮影出来る位置から~信号所の屋根が右の木立の奥に見えます

2015年10月31日 8時前の信号所建物
これから1151レを撮る前に何を思ったのか記録した一枚。こういう何気ない1枚を撮るか撮らないかで後に影響してくる。

2016年3月6日 信号所と市道の間を縫うように撮影
こんな狭い市道ですが、結構クルマを駐車して沿線撮影に勤しんだものです。

2016年6月20日 この日は錆び取り運転が行われます。職員さんがやって来ましたね。

記念すべき?45t電車と今は亡きマイカー。こんなに体格差がありますね(笑)。
次回大牟田を訪問した際は、信号所跡は更地になり、風景が一変するでしょう。
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悲報 旭町1号踏切~踏切小屋(番舎)解体!
2022年1月18日
大牟田からまたしても悲しい知らせが届きました。
旭町1号踏切(遮断設備撤去済み)の踏切小屋(番舎とも呼ばれる)が、本日解体されました。
またひとつ、三井化学専用鉄道の建物・設備が消えました。

2009年8月15日
在りし日の踏切小屋

2009年8月15日
実のところ、踏切小屋は滅多に撮りませんでした

2009年10月31日
電車が来るよ!旗振りの作業です。

2012年11月4日
踏切小屋脇の「止まれ ふみきり」の標識。誰も止まらないよ。

2013年11月4日
電車はまだかな?
待ち人3人

2014年4月20日
あの頃は一瞬だったけれど賑わったなあ~

2014年4月20日
電車が来たよ!貨物列車が来たよ!格好いいね!!

2014年5月31日
全ライダー集結!総選挙か!?(笑)

2014年8月14日 空が青いなあ~
後ろのホテルに比べて、踏切小屋のなんて小さなことでしょう(笑)

2015年1月31日
電車が来たので遮断器を下ろした

2015年1月31日
旗振りだよ

2015年9月10日
また電車が来たよ

2015年10月4日
今日の作業はおしまい

2016年6月2日
踏切小屋VS22t電車
どっちが大きいかな?大きさ比べだよ!(笑)

2016年6月2日
今日は錆び取り運転だ!22t電車がここを通過するのはレア
(パンタグラフを上げて走っている光景も相当レア)

2020年5月24日
踏切小屋の役目が終わってしまった

2020年5月24日
もうこの中で作業することはない

2020年5月24日
もう電車は来ないよ

2020年10月24日
レールは錆びて、踏切小屋も時間とともに朽ちてゆくのを待つ

2021年12月
ここに踏切があったなんて、もう分からない寸前まで撤去が進みました。
踏切の名残というべき、踏切小屋がぽつんと残る。
◆そして、今日2022年1月18日 踏切小屋は解体されてしまいました。割とあっさり片付いたそうな。

18日現在、旭町信号所も解体中です。今週中には更地かな?

その次は、宮浦操車場の駅事務所でしょうか。
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さよなら仮屋川操車場分岐
2022年1月16日、大牟田からホットな報告が入りました。
なんでも以下の場所で、とある軌道変更工事の準備が行われているとのこと。
専門用語で「ききょう」。レールにコンクリートまくらぎをつなげてある状態を指す言葉らしい。
それの状態が全部で3組置いてあるそうな。写真を見せてもらって、それが何を意味して
これからどうなるか一発で分かってしまった。
大牟田の鉄仲間には今後どうなったか(私の予想通りか)を、引き続き観察をお願いしてあります。
2015年11月8日撮影
場所はこの動画のエリアです。動画はわずか10数秒ですが、今回の記事の場所がよく分かります。
大牟田方面の下り電車の最後尾より~
何も動画じゃ無くても~って方には、久留米方面の上り電車前方から撮影した写真で説明します(2014年8月31日撮影)。

久留米方面の電車に乗って大牟田駅を出発して、しばらくして右側から三井化学専用鉄道線路が合流してきて

上り線から下り線へ渡る、自動転てつ機とポイント(分岐帯)が2つあります。

さらに下り線から仮屋川操車場に入る、自動転てつ機とポイント(分岐帯)が1つあります。
◆今回はどうやらこの3つの分岐帯が撤去されて、それぞれ1本の線路なるようです。
場所がよく分からない方のために、お手製の線路略図を添付します。

略図の方がわかりづらいかな?右上が大牟田駅、下の方に仮屋川操車場。
赤色の四角の部分が、先程写真で紹介した3カ所の自動転てつ機(ポイント)を指します。
今回は関係ないけれど、左側の上半分が宮浦操車場、下半分が三井化学大牟田工場内(推定)のそれぞれの線路略図。

仮屋川操車場の線路略図
赤色の四角の部分が、先程写真で紹介した3カ所の自動転てつ機(ポイント)を指します。

2015年9月22日撮影
その分岐は鹿児島本線から仮屋川操車場に入ったり出て行くためのものです。

2009年5月9日
まだ長溝川踏切があった頃の、件の分岐がまっすぐ延長上に見えたときの風景

沿線から見た鹿児島本線の上り線から下り線に渡る部分
◆この分岐を撤去して、一般の軌道に差し替えるのです。
理由として考えられるのは
その① このまま分岐器を残していても保線上の弱点箇所が消えないから、一般の軌道に改善するのが望ましい
その② この分岐器上を列車が通過すると、レールの継ぎ目が多いため結構やかましいから、継ぎ目がないレールにする(改善する⇒通過時は静かになる。沿線住民への配慮も兼ねる)・・・また①の効果にも繋がる

2015年8月13日
DE10構内カモレが3カ所の分岐を通過して仮屋川操車場に入っていくシーン

2015年7月25日
上に同じく機関車正面に撮った側

2015年9月12日 仮屋川操車場で出発を待つ大牟田駅戻りのDE10構内カモレ

2015年9月23日
仮屋川操車場を出発して、鹿児島本線下り線に入るシーン

同じくその後方
近日中に、この使用しなくなった3つの分岐器が消える見込みです。
電車の窓から撮影して往事を偲ぶのもあと僅かとなりました。
何かの理由で仮屋川操車場に列車が入ることなどもう二度とないのは非常に残念です。
まるで動脈を切られた感を思うでしょうね。まあ仕方がありません、廃止されたのですからね。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑮
今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑮(最終回)を書きます。
いやぁ~、8両編成っていっぱいありましたね。振り返れば8両がメインでした。予想通り!

2016年1月9日 渡瀬~吉野 1151レ 海3+銀5
朝日が当たらず山の影が入ってしまいました。残念だ~。

2016年1月16日 瀬高~南瀬高 1151レ 海3+銀4+黄1
朝日の光線が弱々しいのは、朝日が東の山の雲に遮られているからこんなになるのです。ほかは雲一つ無いのに。列車の通過後に晴れ渡りました。いつものことです。

2016年1月16日 大牟田~銀水 1152レ 銀5+海3
当たり前なので書くことはありませんでしたが、写真の一番手前の三井化学専用鉄道の線路と鹿児島本線の下りを、今日のべ2度もこの編成は走っているのです。そう考えると面白いですよ。3度も同じ編成が狙えるのです。牽引機はみな違いますが。

2016年3月19日 大牟田~銀水 1152レ 銀5+黄1+海2
私が撮影した最後の8両編成の姿です。
私はこの4ヶ月後に大牟田(九州)を離れて暮らすことになり、海コンは2017年2月を最後に運用が終了するまでは分かりませんが、その後通常では2度と8両編成にはならなかったと思われます。
**************************
最後にオマケですが、

2017年9月10日 原田~天拝山(テンハル) 1152レ 銀6(大牟田専用5両+小名浜専用1両)
銀タンコ積載で6両連結が叶った最後のシーンです。往年の緑枠の大牟田専用で6両では無く、何か見慣れない銀枠銀タンコの編成が誤ってか分かりませんが編成に組み込まれています。一体何があったのか?
この編成に黄タンコ積載が2両付いたら8両編成の再来ですが、この頃はもうすでに液化塩素の需要・供給がかなり落ちているようで、黄タンコが連結される日も週2~3回になったそうです。
◆この3年後にはもう走っていない貨物列車になるとは、この時は想像もしませんでした。
次回は9両編成~その①を書きます。
でもそんなにあったかな?(笑)
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑭
今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑭を書きます。
2015年は8両編成になる機会はありましたが、2014年よりは圧倒的に少なく、その⑭でおしまいです。

2015年8月14日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀4+黄1
先月運用落ちしたEF81-502が牽引でした。
この頃は、海コンがずっと運用されていました。全盛期は5両だったようですが、それは2008年以前の様です。

2015年8月15日 大牟田駅 1152レ 銀4+黄1+海3
珍しく大牟田駅の出発シーンです。大牟田駅のすぐ北側にある「有明町踏切」は、とにかく道路幅員が広くて、歩道もゆとりがあるので、踏切での撮影がすごく楽でした。出発シーンに限らず、到着シーンや機回し中でも悠々と撮れました。ただ、西鉄も共用しているため、開かずになる時間帯がありました。

2015年8月16日 銀水~大牟田 1151レ 銀3+銀5
この年のお盆休みは実家に帰ることが出来ず、ずっと撮影していました。
一般貨物がウヤな中で唯一運用している大牟田専用貨物を毎日撮って過ごすというなんと贅沢な日々であろうか。
翌年の8月はもう大牟田に住んでいなかったワケで、この贅沢な日々が大牟田での思い出の鉄活の1つとなった。

2015年9月20日 鳥栖駅 1151レ 銀3+銀5
珍しく鳥栖駅に行って撮ってきました。
下りは1151レだけ通過します。なので初めて撮りに来た人は焦るでしょう。
鳥栖駅はホームからでも撮れますが、やっぱり駅の外から撮った方が格好いい(主観)。

2015年10月4日 銀水~大牟田 1151レ 銀3+銀5
余談であるが、当時は海コンの側面に書かれている社名の読み方や何の略とか全然知らなかった。
というか知ろうとしなかったと言っても過言では無い。お恥ずかしい限りであるが、黄タンコ銀タンコより興味が薄かった。
OOCLはオーバー・オーシャン・コンテナ・ライン
TRITONはトリトンではなく、トライトン
などなど

2015年10月17日 瀬高~南瀬高 1151レ 海3+銀4+黄1
この場所にはよく通いました。田園地帯なので春は麦畑、夏秋は稲作でとても絵になりました。
大牟田を離れてからは一度も立つことが無かった場所です。
南瀬高駅から徒歩でも行ける距離でしたが、どうもその気になれなかったのです。

2015年12月23日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀4+黄1
令和になる前は、この日が祝日だったので朝から撮影出来ました。
年末は何かと忙しいですが、大牟田専用貨物は年末なんて関係ないので、運用に携わる人たちはスケジュールなどで苦労されたことでしょう。
次回は8両編成~その⑮(最終)を書きます。
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「三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車」~「島秀雄記念優秀著作賞」
このたびは、受賞おめでとうございます!!

2020年5月に発売された「三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車」(著:藤原義弘)が
このたび、「島秀雄記念優秀著作賞」の単行本部門を受賞したというニュースを知りました。
「島秀雄記念優秀著作賞」ニュース(JRCサイト)私は「島秀雄記念優秀著作賞」という賞を今日初めて知りました。
「鉄道出版物に贈られる賞としてはトップクラスのものではないか」と賞賛される方もいるほどです。
私は、とても名誉な賞なのではないか!と思いました。
◆当ブログでは本書の紹介を2020年5月29日に投稿しているので
ご存じで無い方は、そちらもご覧下さい。
ブログでの本書の紹介 2020年5月29日◆なお、本書は2022年1月13日現在、書泉オンラインショップで通販されています(在庫有り)。
詳しくは検索して下さい。
書泉オンラインショップ『三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車』
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑬
今回は大牟田専用貨物~8両編成 その⑬を書きます。
ここからは2015年に撮影したものからスタートです。

2015年1月24日 吉野~渡瀬 1152レ 銀5+黄1+海2
編成バリエーションが豊富になりますが、銀タンコ積載に変化が見られるようになりました。
そうです!6両にならなくなりました。5両以下の日が続きます。

2015年1月31日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀5
かろうじて8両になっています。

2015年2月8日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀5
海コンはまだこの頃までは「OOCL」以外に「CAI」など複数の会社所有のコンテナが載っていました。

2015年3月14日 西牟田駅 1152レ 銀5+黄1+海2
桜とコラボできる珍しい写真です。
西牟田駅で、羽犬塚を出発した上り列車を坂の下から追って撮影するとなかなか面白いです。
10パーミルの坂ですが、ズームで圧縮をかけた風景にすると急勾配に見えます。

2015年3月29日 瀬高~南瀬高 1151レ 海1+空1+銀5+黄1
春は沿線に菜の花が咲くこの場所は人気があります。しかし咲き乱れる年とそうでない年があり、この年は不作でした。

2015年7月25日 瀬高~南瀬高 1151レ 銀6+黄2
この日を最後に、銀タンコ積載の6両は見なくなりました。
理由は、このタンクコンテナを他の用途に利用し始めたことや、別運用が始まったことがあげられます。
①大牟田市内で陸送している内容物は濃硝酸以外で、UT13C-8033・8034が充てられました
②UT13C-8063~8066の4個は、大牟田運用から外れて小名浜行きに充てられ、改造まで受けました。後に呼ばれる銀枠銀タンコの登場です。
こうして、全38基の銀タンコは6基が大牟田専用貨物列車から離脱し、32基に減りました。32基ということはコキ200の16両分で、3サイクル運用になっている大牟田貨物では上限5両となります。元々38基で19両分でしたが、6両を超えた事はなく、常に6両×3サイクルを上限としていたようです。(イレギュラー除く)。
次回は8両編成~その⑭を書きます。
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仮屋川操車場の今昔 その②
2021年12月の仮屋川操車場の今昔より その②
今回は末端部(線路終端側)から参ります

2009年9月26日 宮浦から貨物第1便がやって来ました

45t電車の機回し後、鹿児島行き4093レ貨物が下りました。
賑やかなひとときでしたね
2015年1月11日の第1便 仮屋川操車場到着シーンです

2021年12月 同じ仮屋川操車場とは思えない寂しい景色です

2009年9月21日 末端部の線路が1本になる場所はスプリングポイントが2個あった。末端部まで来た車両はここでスイッチする。

DE10は45t電車ほどは末端部まで来ずに停車して、中線と呼ばれる機回し線にスイッチする

2021年12月 線路だけは残っている
2015年1月11日 末端部での45t電車のスイッチシーンです。あっという間でした。

2016年1月31日 DE10牽引の構内貨物の到着です。またまた賑やかになりました。

2021年12月 虚しく線路だけは残っている。西鉄の台所電車が通過していくのが見えました。

2010年5月1日 線路終端部まで来た18号機を真正面で狙った

最後にスプリングポイントが動いてから何年経っただろうか
仮屋川操車場の部は終わりで、次回から宮浦に向けて徐々に進みます。到着はいつになるやら。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑫
今回は大牟田専用貨物~8両編成その⑫を書きます。
2014年撮影分はついに終わりです。

2014年11月1日 久留米駅構内 1152レ 銀5+黄1+海2
久留米駅の5番線に入線する1152レ。このアングルがお気に入りでした。
大牟田専用貨物の上りは、2011年のダイヤ改正から久留米に毎日停車になりました。
通過していた頃の撮影は殆どありません。

2014年11月23日 銀水~大牟田 1151レ 海2+銀5+黄1
陽が短く弱くなってくると、仮屋川操車場入り口付近で撮りたくなりますが、なかなか上手く撮れません。下手なだけですが。

2014年12月20日 銀水~大牟田 1151レ 海3+銀4+黄1
海コンが3両6個積載になりました

2014年12月27日 吉野~渡瀬 1152レ 銀4+黄1+海3
上りも海コンが3両6個積載。銀タンコが少なくて8両編成に留まりました。

2014年12月29日(月) 銀水~吉野 1152レ 銀5+海3
月曜日なのに上りで海コン連結があったんだ
次回は8両編成~その⑬を書きます。
2015年以降は8両編成になりにくくなります。果たしてどのくらい写真あるだろうか。
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大牟田専用貨物~8両編成 その⑪
今回は、大牟田専用貨物~8両編成その⑪を書きます。
一体どこまであるんでしょうね?8両編成。まだ2015年以降もあるし。

2014年9月13日(土) 銀水~大牟田 1151レ 海2+銀5+黄1
当時の想いが通じたのか、ついに空がなくなりました。オールコキ200のフル積載の編成美が戻ってきました。

2014年9月20日(土) 銀水~大牟田 1151レ 海2+銀5+黄1
海コンは年ごとに連結する日が変わりました。土日曜はなかったり、土曜はあったり、上りはあっても下りは無いとか様々なパターンがあり、それらが全体の編成数に影響します。

2014年9月20日(土) 吉野~渡瀬 1152レ 銀4+黄2+海2
何かの雑誌に影響されたのか彼岸花を入れた撮影にしました。今まであまりこういう撮影はしなかったので、どういう心境の変化なのか。
ところで、この9月20日は(土)で、上りも下りも海コン運用がありました。無い年もあったのですよ。

2014年9月27日(土) 瀬高~南瀬高 1151レ 海2+銀5+黄1
私が普段からマイカーで撮りに来る北端は「みやま市」で、瀬高~南瀬高がメインでした。
なので、田園の稲や麦で季節を彩る大牟田専用貨物列車が記録できたのです。

2014年9月27日(土) 太宰府信号所通過の1152レ 銀5+黄1+海2
マイカーで撮りに行った最北端はテンハルではなく、太宰府信号所でした。

2014年9月28日(日) 銀水~大牟田 1151レ 海2+銀5+黄1
なんと日曜日も海コン運用がありました。この頃は個数は少なかったが、1週間の運用回数は多かったと思います。
でも日曜日の上りや、月曜の下りには連結がなかったと思います。
次回は8両編成~その⑫を書きます。
2014年撮影分は次回で終わりです。
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あけましておめでとうございます(2022年)
2022年(令和4年)1月1日(元旦)
読者の皆様、あけましておめでとうございます。
本年も、ブログ「眠れないマクラギを数えて」をよろしくお願い致します。

鉄道趣味友達向けへの2022年の年賀状のデザインです。
かなり変すぎるでしょう?
コキ200-22の0を1つ消せば、2022年を表現できるという稚拙なネタです。
背景は線路(レールとまくらぎ)に見える様にしていますが、
実は今年の干支である「虎」の縞模様を意識しています。ブログ名とは無関係です。
そういうところは芸が細かいですね(笑)。
◆さて、大牟田の専用鉄道関連の記憶が年々薄れていく中で、本ブログの今後のあり方を考えると
①今後も大牟田関連記事をメインにして、たまには別の鉄道ネタを投稿
②大牟田関連記事は不定期にして、別の鉄道ネタを多く投稿
③大牟田関連はやめて別の鉄道ネタに方針転換を図る
となります。ここでいう別の鉄道とは、私が大牟田を離れた後の鉄活動とかです。さすがに③はないかな。
現時点では、あの頃を振り返る(プレイバック)集大成な「大牟田専用貨物~○両編成」シリーズ、専用鉄道の記憶が消えてゆく中での今昔風景比較などネタは豊富ですが、いつまでも続けられるほどではありません。まだ書いていないネタや未公開写真はやまほど持っていますが、公開時期のタイミングを大きく外しているので投稿を迷っています。
まあ、気長に見て下さい。もし長期に渡って更新が途絶えたら、管理人に何か起こったと捉えて下さい。
ではまた次の記事でお目にかかりましょう!
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