検重車視点の宮浦操車場の様子 その1
検重車にスポットを当てた、宮浦操車場の様子(風景・歴史)~その1
2009年3月29日 私が三井化学専用鉄道の宮浦操車場を発見した日、気になる車両を撮影した中に、偶然「検重車」が写っていることを後になって知った。当初は炭鉱電車やコキ200など貨物の世界を知らなかったレベルだ。
大牟田に2008年10月に引っ越してきて半年間は、積極的に探検しなかったため、宮浦操車場の発見が遅れた。街中にレールと国道を塞ぐ踏切があるのは知っていたけれど、そこをどんな列車が走るかなど全然知らなかったし、興味も湧かなかったのが当時の状況だ。

2009年3月29日
部品取りか廃車か分からなかった炭鉱電車の奥に、水色の貨車が見えた。あれが検重車なのだ。いつからか、この場所にずっと保管されていた。

その2ヶ月後に再び宮浦操車場を訪れたら、あのカーブの先の炭鉱電車や検重車が居なくなっていた。
(また当時はここの電気機関車を炭鉱電車と呼ぶことは知らなかった)

宮浦操車場を見回したら、向かって左の線路上に移動していました。
当時は「検重車」が何かを具体的に知りませんでした。

近づいてみましょう。この時、急に興味が湧いてきたのです。2両あることにも初めて気づきました。

検2 自重15トン

検1 自重25トン
2両とも、平成8年(1996年)8月に全検を受けているようです。この次の年の3月末に、三池炭鉱専用鉄道が廃止になっています。三井化学専用鉄道では、タキやコキの運用なので、重量を量る必要がないので(校正する必要もない)使い道がありません。
つづく
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もうすぐお別れ?日本最後の検重車
国内最後の検重車は三井化学専用鉄道にある2両だそうです。他では聞いたことがありません。
三井化学専用鉄道になった、1997年以降~2020年廃止の間に使用された様子はありません。(確証はありませんが、石炭車が運用されていた時代に必要だった)
先日、この検重車が、大牟田の鉄道ファンら曰く「解体線・譲渡線」に移動したと報告がありました。
解体線と言っても、私の知る限りその線路上での解体実績はありません。
譲渡と言えば、2020年3月下旬に貨車のハト、保線用モーターカーが群馬県の某所に運搬されたことがあります。
今回もそうなったらいいのですが。どうなのでしょうか?動きがあればまた連絡貰えるので、報告します。
そもそも検重車って見たことがない読者様のために、その2両を紹介します。

2009年5月24日 宮浦操車場 検1 自重25トン

2009年5月24日 宮浦操車場 検2 自重15トン

という鉄の塊で、秤量所(写真上の小屋)の前にある車両の体重計みたいな装置の「はかり」が正常か否かを判定・校正する車両だと聞いています。人間の体重計が正常なのかどうか、25kgのおもりを載せたら針・表示が25kgを指すか否かというもの。

では?こんな車両、いままでどこにあったの?と思うかもしれませんが、2009年6月以降は、線路の終端部に追いやられていました。何のために留置していたのかは存じませんが、よくまあ今まで残っていたものだこと。

三坑町3号踏切(車庫横)から線路終端を眺めた写真。一番奥の右側に水色の車両が写っていますよね?
これを知っている人は少ないでしょう。知名度が低いですからね。

2020年5月に三井化学専用鉄道が廃止になった後は、写真の様に使わなくなった保線用レール運搬車と一緒にされ、場所もちょっとだけ移動しました。

2021年1月11日撮影 ずっと動きはありませんでした。

そして先日、写真の手前のモーターカーが留置してある線路上に検重車と保線用レール運搬車を移動しました。
レール運搬車は、数人がかりで押す人力での移動をして、検重車は22t電車を入れて牽引したそうです。
さび付いて動かないと思いましたが大丈夫なんですね。
写真は記事の説明用に掲載(2010年1月30日撮影)

2021年7月30日撮影 写真の中央下の車止めが見える線路上です
◆さてさて、私が2009年3月29日に三井化学専用鉄道の宮浦操車場を発見して13年になろうとしていますが、これまで撮った膨大な写真の中から、検重車にスポットを当てた記事が書けるように写真を探し出しました。過去に記事にしたショットもありますが、これはさすがにボツにしたのでは?と思うような、または記事にせずお蔵入りしている写真も探しました。これから徐々にその模様を記事にしていきます。枚数は大してありませんが、ご期待下さい。
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大牟田専用貨物~11両編成 その①
今回は大牟田専用貨物の11両編成~その①を書きます。
長編成になるほど、オールコキ200編成の均整の取れた、フル積載がとても絵になり見応えがあります。

2010年2月13日 南瀬高~渡瀬 1151レ 海2+空2+銀6+黄1


2010年3月20日 瀬高~船小屋(当時) 1151レ 海4+銀6+黄1
※筑後船小屋駅はまだありません。


2010年3月27日 南瀬高~渡瀬 1151レ 海4+銀6+黄1

2010年3月27日 渡瀬~南瀬高 1152レ 銀6+黄1+海4
次回は大牟田専用貨物の11両編成~その②を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その⑨
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑨を書きます。最終になります。

2014年3月29日 銀水~吉野 1152レ 春らしい季節になりました。
釜次位~銀6+黄1+・・・

コキ200の空1+海2の編成です

甘木山頂から春の俯瞰を頂きました。オールコキ200編成の大牟田専用貨物はいいなあ。

2014年3月30日 銀水~吉野 1152レ 翌日は地上から沿線で桜の咲く場所で
編成内容は29日と同じでした

もう少しローアングルで撮ったら良かったかな?

2014年4月6日 銀水~大牟田 1151レ 海1+空2+銀6+黄1

急に海コンの積載が落ちたりと安定しません。輸出量の関係でしょうね。

2014年11月29日 銀水~大牟田 1151レ 銀3+銀5+黄2
私の記録では10両編成になった機会はこの日が最後になりました。

もう黄が2両連結になる事は滅多になく、1両どころか連結の無い方が珍しくなくなりました。
◆またこの先11両編成以上の紹介もしていきますが、先の2014年11月29日以降、10両編成にも満たなくなります。
その1:晩年は海コンの両数がコキ200で2両になる(最大3両)
その2:銀タンコの輸送量が5両になる(最大6両)
その3:先程記述した黄タンコの状況です
そうなるとなかなか長編成になりません。
皮肉にも、コキ200積載問題の変則編成期間中の方がよっぽど長編成になるという汚点が。
次回は大牟田専用貨物の11両編成~その①を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その⑧
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑧を書きます。

2013年8月4日 瀬高~南瀬高 1151レ 海3+銀6+黄1
ついにオールコキ200の編成になりました。やっぱりこのカモレはコキ200が似合います。しかし・・・、

2013年9月22日 大牟田駅に午後1時に到着の1151レ

釜次位の海コンは

コキ200+コキ200+コキ106+コキ106に合計6個積載になっています。
またコキ106の連結があります。これは一体!?
きっとコキ200の検査などで絶対必要両数が足りないのでしょうね。

編成は海4+銀5+黄1でした

2013年11月30日 吉野~渡瀬 1152レ
銀6+空2+海2
まだコキ106が繋がっています。

2013年12月1日 瀬高~南瀬高 1151レ
海4+銀6

まあ、コキ106がなくてコキ200ならこの編成は9両になっているでしょうが。

2014年1月19日 瀬高~南瀬高 1151レ
海コンの積載量が7個になりました。コキ200問題解決後では最大積載かな。
それでもコキ200+コキ200+コキ200+コキ106なのは残念。オールコキ200なら8個積載いけたのに。それですき間なしの完全満載になるのに。

ちょっと変わった、海4+銀4+黄2の編成でした
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑨(終)を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その⑦
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑦を書きます。

2013年3月30日 基山駅 1152レ 銀6+黄1+空1+海2
久留米よりも先に基山の通過写真を~

2013年3月30日 久留米駅 1152レ 銀6+黄1+空1+海2
久留米駅のは編成の後方をはっきりさせるための写真です。
久留米駅で撮影後、上り列車で一足先に基山駅に行ったわけです。

2013年3月31日 銀水~大牟田 1151レ 海2+空1+銀6+黄1
海コンの輸送量が芳しくありませんでした。常にコキ106の空コキがありました。

銀タンコのコキが6両もあると長いと感じます。

2013年4月7日 瀬高~南瀬高 1151レ 海2+空1+銀6+黄1
海コンの空コキが常にありますが、これはいざ増えたときに貨車がなかったら話にならないから、大牟田貨物が貨車を常にキープしているのかと考えます。

銀タンコのコキ6両はやっぱり見応えありますね。2013年以降、黄タンコのコキが2両になることは滅多にありませんでした。

2013年4月21日 銀水~大牟田 1151レ 海2+空1+銀6+黄1
海コンの空コキはコキ106ですが、中央に1個しか積載できないので、この編成では5個が上限かと。3両とも全部コキ200にすれば6個まで積載できますが、なかなかそうはなりません。2014年1月まではこの状態が続きます。コキ200が不足していたのかもしれませんし、それで運用は十分だったのかも。

銀タンコのコキ6両はやっぱりいいね。あと1年半程度は6両連結が見られました。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑧を書きます。
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またまた専用鉄道と春の花
昨年の今頃にも似たような投稿をしていますが、今回はあえて撮影日時やカットが昨年のと被らないようにしました。
スタイルは変えず、1年に1枚としています。

2009年3月29日 宮浦操車場
初めて宮浦操車場を発見した記念すべき日は東泉町2号踏切脇にたくさん菜の花が咲いていたが、残念ながらこの頃はウヤが続いていました。大牟田に住み始めて半年が経とうとした頃になって専用鉄道線の存在を知った訳です。再びこの鉄道に炭鉱電車や貨車で賑わうまで、まだ3ヶ月近く先になります。

2010年4月4日 宮浦操車場
いつ行っても9号機が活躍していて、他のナンバーをあまり見かけなかったころもありました。

2011年3月27日 宮浦操車場
記録を漁っても菜の花が写ったカットが少なく、きっと東泉町2号踏切脇で咲く量が少なかったのか。
それ一輪のボケの撮影練習でもしていたのかな?

2012年3月17日 宮浦操車場
それから4年間はまた咲き乱れました。

2013年3月31日 宮浦操車場
朝の出発準備中~この後に推進運転が始まります

2014年3月22日 宮浦操車場
12号機をぼかしてみました

2015年3月29日 宮浦操車場
仮屋川操車場から戻ってきたカモレ
この年が一番咲き誇ったと思います

2016年3月12日 宮浦操車場
そして以後、東泉町2号踏切脇には咲き乱れることはなくなりました

2017年3月20日 旭町1号踏切付近
ホテルの上から俯瞰撮影。炭鉱電車と桜なのですが、見えにくいですね。
専用鉄道線沿いに桜が咲いていたのは、ここだけだったかな

2018年4月1日 仮屋川操車場
2017年の脱線事故以来、仮屋川操車場の手前から操車(誘導)係がステップに立つようになった。
基本街の中や工場沿いを走るため、菜の花や桜の花などはほとんど無かった記憶があります。仕方がありませんが、年ごとに咲いたり咲かなかったりと探すのも楽しかったです。
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今思えば~そうだったんだ 部品取り車両の移動の理由
2009年3月29日に、私が宮浦操車場を発見した(訪れた)とき

45t電車20号機、シーメンスの20t2号機・4号機が、工場引込線路の途中に留置されていたのはご存じだろうか?

いつもの構図の写真の様に、これまたおかしな場所に放置されたいた。
なのでレアな部品などの盗難や損壊が問題になっていたようだ。

2009年5月9日撮影時も居たのだが

2009年5月24日撮影時に忽然とそれは消えてしまった


どこに移動したのかウロウロしたら、車庫の脇にいた。
3月29日の宮浦発見時には車庫前に行った覚えも写真も無いので、この部品取りが留置されている線路は元々あったのかどうかは分かりません。きっとこの時のために敷設したと考えられます。

5月31日には工場引込線が一度解体されて、新しい線路を敷設する工事が始まっていた


そしてお馴染みの急カーブ引き込み線が設けられることになる。
当時は、その引き込み線脇から車庫脇に部品取り様の電車を移動した理由が、
①コキ200の貨車を入線させるためにカーブの曲率半径を緩くする軌道改良工事のため邪魔になった
②部品盗難や損壊の問題を解決するため防犯装置のかけられるエリアに移動したかった
と思っていました。
◆でも、今になって~よーく考えてみれば
>
2010年9月8日 小さな鉄橋がショートカット大牟田川に架けられた(完成)
冒頭の部品取り用の電車を車庫脇に移動させたのは、この写真の様に大牟田川のショートカットを建設する土木工事の邪魔になる(新しい川の掘削で留置場所を移動する必要があった)からだと、今頃になって気づいた。②の部品盗難などの対策も一緒に出来るので一石二鳥であろう。

2009年5月24日撮影 留置場所が変わってから1年は何も変化は見られませんでしたが

2012年6月3日撮影 2010年の年次ウヤ期から徐々に塗装が施され始めます
これを当時ブログで発信するとかなりの反響がありました。
最終的に3両とも塗装されましたが、それ以上の動きはなく・・・。

2016年6月6日撮影
やはり再塗装は車庫の中に入れて行っていましたか。屋外作業だと降雨では塗装が出来ませんし、それなりに設備も必要ですからね。
まあそういうわけで、今頃になって何を考察していい気になっているの!?って読者様から突っ込まれそうですが、今書かないでいつ書くの!?と思いまして、今回書きました。
おしまい
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2011年3月13日の三井化学専用鉄道
2011年3月13日 晴れ 三井化学専用鉄道にて

長溝川踏切はまだあって、立体交差化事業が着々と進んでいた頃
第1便貨物列車が現れた。乗務員と目が合ったような(汗

長溝川踏切付近はごちゃごちゃしているが、この期間限定の風景だ。
完成したらもう見られなくなるし、踏切も廃止されると確信していた。

単機回送で宮浦に戻る45t電車19号機が長溝川踏切を横断していきます。

宮浦操車場に来た。空がとても青いです。

ホワイトバランスを弄ったようです。仮屋川に向けて45t電車発進!!

仮屋川操車場から貨車を引いて戻って来た格好いいシーン

22t電車は11号機の出番でした。午前中の工場入場を撮影。

この日は珍しく午後も参戦。銀タンコ(工場入場中)がいなくてもなかなか賑やかな宮浦操車場の真昼です。

午後の工場から出てくるシーンを。

電源車(バッテリーカー)だけ流れました。
今後もちょうどあの頃は語るつもりです。
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大牟田専用貨物~10両編成 その⑥
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑥を書きます。

2013年1月5日 大牟田~銀水 1152レ 銀4+空6
コキ104・106に銀タンコがびっしり積載されているところがいいですね。

2013年1月12日 瀬高~南瀬高 1151レ 海3+空4+銀3
この日は全検あがりの機関車狙いだったような記憶があります。綺麗な内に撮れと。コンテナはなかなか綺麗になりません。

2013年1月12日 吉塚駅 1152レ
吉塚駅で撮るならこうだ!って何度も通っている内にどこで撮ったら自己満足か?と追求したら、いつの間にかこんなホームの後端に立つことが多くなりました。

2013年2月24日 瀬高~南瀬高 1151レ 空4+銀6
空コキが必ずあるコキ200積載問題の最終週な期間の編成

2013年3月30日 瀬高~南瀬高 1151レ 海2+空1+銀6+黄1
コキ200積載問題が解決して1ヶ月~海コンはまだコキ200に戻りきれず。
機関車次位より、コキ200+コキ106+コキ106+コキ200×7両となっています。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑦を書こうと考えていますが、只今過去データ選別作業が滞っているため次回更新は未定です。最近、このシリーズばかり書いてきたので、真新しいコメントに困っているのは別の話(汗
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大牟田専用貨物~10両編成 その⑤
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑤を書きます。

2012年11月25日 南福岡~笹原 1152レ 銀4+空6
この西鉄天神大牟田線と立体交差するカーブの場所、笹原駅から徒歩10分程度の場所だったか。昔、大牟田貨物などで一緒に賑わした筑後川鉄橋さんのホームだった。割と有名なカーブなのだが、編成全部を写しにくい欠点もあった。

2012年11月25日 瀬高~南瀬高 1151レ 空4+銀6
この沿線は雑草がぼうぼうに茂ることがなかったので、車輪までばっちり写せたな~と。

黄タンコがない、銀タンコのコキが6両という単純な編成。残りは空コキ4両。

2012年12月9日 瀬高~南瀬高 1151レ 空4+銀6
そんな損な編成がいつまでも繰り返して続いているような錯覚が(汗


2012年12月16日 瀬高~南瀬高 1151レ 空4+銀6

全然覇気がない記事になってしまったが、空コキが多い編成を見ていてもまともなコメントが思い浮かばないのだ(汗
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑥を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その④
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その④を書きます。

2012年6月17日 南瀬高~渡瀬 1151レ 空2+黄1+空4+銀3
おかしな編成は変わらずで、長期ウヤが明けた

2012年7月28日 銀水~大牟田 1151レ 海4+空4+銀2
これはこれでまたおかしな編成である。海上輸送コンテナが4両のコキ106に1個ずつ積載とは。

銀2ということで10両編成となる

2012年11月3日 銀水~大牟田 1151レ 空4+銀6
文化の日、年に1度しか大牟田遠征ができないお友達がこの虚しい編成を眺めてどんな感想を持って帰っただろうか。
もし私が逆の立場だったら、ガッカリだろうね。

銀6なのは爽快なのだが~

2012年11月23日 銀水~大牟田 1151レ 空4+銀6
勤労感謝の日。このシーズンは日曜祝日の海コン連結がなかったのね。

コキ200積載問題が解決するのは、この3ヶ月先なのだが、当時はいつまでも続くのかなと嘆いていた。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その⑤を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その③
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その③を書きます。

2012年1月8日 渡瀬~南瀬高 1152レ 空2+銀2+空4+黄2
銀タンコの積載位置が3・4両目になっています。1・2両目だったりと変化が見られます。
これは三井化学専用鉄道の宮浦コンテナ載せ替えの事情があるのでしょう。

2012年1月22日 渡瀬~吉野 1151レ 空2+黄1+空4+銀3

銀タンコの積載両数が少ないと、返しの1152レの編成が撮るに値しなくなる(空コキ率が高くなるから)ので溜息しか出てきません。

2012年4月22日 銀水~大牟田 1151レ 空4+銀6
これは銀タンコ最大積載の下りパターン
それにしても機関車のお顔真っ黒。タンクコンテナはこんなに汚れませんね。

コキ200積載は様になっているのですが~。

2012年5月8日 渡瀬~南瀬高 1152レ 銀4+空6
先程の4月22日の逆で、銀タンコ最大積載の上りパターン
後方の空のコキ200が6両が写っていませんが、もう分かっていたので撮らなかったのかも。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その④を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その②
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その②を書きます。

2011年3月15日 筑後船小屋駅 1152レ 銀5+黄1+海4
九州新幹線 鹿児島ルートが全線開業して新設開業された筑後船小屋駅で最初の撮影でしょうか。
旧船小屋駅は閉鎖され、南へ駅が移動しました。真新しいホームから颯爽と現れた1152レを激写して

なかなか良い感じに撮影出来たら、振り返って後方の編成狙いもインカーブをばっちり確保です。下り電車さえ来なければなかなか上手い具合に後方が記録できます。今後もひいきにするところですが、新幹線ホームからだともっと面白い画で狙えることが分かったのは収穫でしたね。新幹線ホームからの撮影はまたの機会に。最低入場券が必要なのは両駅とも同じですが、沿線からの撮影は標準としては瀬高~筑後船小屋が北端でした。筑後船小屋以北は電車利用でしたから。
それにしてもコキ200だけで組成されている編成は見事でした。この頃がピークだったと感じます。
次はまたまた間が大きく開きました。なかなか10両編成が実現せず、コキ200積載問題期間に突入しました。

2011年11月12日 大牟田~銀水 1152レ 銀2(6個)+空2+空3+空1+黄2⇒銀2+空6+黄2
ややこしい編成で両数を数えるのが面倒です。
コキ200に積載できるタンクコンテナは2個ですが、空荷の濃硝酸(銀タンコ)タンクコンテナはコキ104・106に3個積載する特例があります。液化塩素(黄タンコ)タンクコンテナは、コキ106中央1個積載が自重の影響で制限されています。

銀タンコ6個が3両のコキ200で大牟田に運ばれ、返却時はコキ200が空になります。コキ104・106には銀タンコ6個を2両に分けて積載します。黄タンコ2個が1両のコキ200で大牟田に運ばれ、返却時はコキ200が空になります。2両のコキ106に黄タンコを1個ずつ積載します。なのでこんな可笑しなバカみたいな長編成になるのです。

2011年11月12日 吉野~銀水 1151レ 空7+銀3
これはなかなかはっきりした10両編成です。
空は3両が海コン用、残り4両が銀タンコ積載の返却用のコキです。海コン用のコキに荷が載っていないと、こういう空コキだらけの虚しい編成が完成します。

2011年11月20日 銀水~大牟田 空2+黄1+空4+銀3
もうホントに何を引いてきたのか、撮影していて虚しくなってしまいます。

目の肥えた読者様なら気づくと思いますが、何故か三井化学専用鉄道のレールが真っ赤に錆びていますね。
まあ、私有の貨物専用鉄道なのでウヤとかは希にあるのですよ。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その③を書きます。
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大牟田専用貨物~10両編成 その①
今回は大牟田専用貨物の10両編成~その①を書きます。
10両編成も9両編成と同じく、撮影記録がすこぶる少なかったです。
じゃあ一体全体的に何両編成が多かったのか~それは今後の投稿で分かるでしょう。
投稿がいつまで続くか分かりませんが、今暫くお付き合い下さい。
万が一投稿がずっとされない場合は何か起こったということで。

2010年4月11日 渡瀬~吉野 4175レ 海4+銀5+黄1
随分とへんてこな場所で撮っていますが、これはきっと撮影ポイントに間に合わなかったのかもしれません。

朝の7:50前に大牟田市内を通過する4175レ(後の1151レ)は、私の生活リズム内では結構早いと感じることが多く、初期は結構寝坊などにより撮影に間に合わず、こんなへんてこな場所からの撮影で我慢することがありましたね。でも後方狙いで編成内容だけは何としてでも記録しているあたり、意地が感じられます。

2010年12月25日 南瀬高~渡瀬 4175レ 海4+銀5+黄1
海コンが4両ですが、全盛期は5両だったそうです。それでも4両も連結していれば、結構安泰なんじゃと当時は思っていました。

海コンは、4175レ(1151レ)はコンテナの中が空で、4172レ(1152レ)でコンテナ内を出荷のドラム缶で満杯にしているのです。逆に濃硝酸と液化塩素のタンクコンテは4175レ(1151レ)で充填されて運搬し、4172レ(1152レ)で中身が空っぽで返却されます。なので、往復ともにどちらかに荷が入っている状態です。なんて効率が良いのやらと思いました。専用貨物ってのはコンテナの中身の有無に限らず、いつもコンテナだけは積んだままですから、意外と中身の事情を深く知ることがありません。

2011年2月19日 瀬高駅構内 4175レ 海4+銀5+黄1
瀬高駅では今は亡き2番線に停車中シーンを1番上りホームから撮影したことはありますが、こうして駅の外からわざわざ撮影していたことがあります。マイカーはどこに駐めていたのやら。

九州新幹線が全線開業してから2022年で11年になります。開業後は大牟田専用貨物の下りは瀬高駅を通過するようになりました。
次回は大牟田専用貨物の10両編成~その②を書きます。
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