仮屋川操車場の終端部から廃線跡を眺めてみた
2022年4月24日 仮屋川操車場の終端部から廃線跡を眺めてみた
文中の撮影日付がない写真は2022年4月24日撮影となります。

一番奥がJR鹿児島本線や西鉄大牟田線が走っている

2015年12月28日 仮屋川操車場の終端部から見たときの線路配置

昔の様子を知らないと、とても当時を想像出来ない

2012年8月11日 コキ200積載問題のころは操車場の線路いっぱいつかっていましたね

仮屋川操車場も変わったけれど奥に見える建物の風景も随分変わった

2010年5月1日 今はなきスーパーの看板が見える。まだ高層マンションは見当たらない。

右脇のコンクリートの土台部分には、かつて車止めのコンクリート塊があった。

2009年8月8日 45t電車がスイッチするために終端部までやってくる瞬間
右端に車止めのブロックが見える

あんなに大きな車止めは取り外され(置いてあるだけだったと知った)、跡だけ残っている。

2010年5月1日 そう言えば車止めの真後ろから撮影も出来ましたね。45t電車18号機の真正面ドカンです。
仮屋川操車場は将来住宅地になるのかな?ろくなアクセス道路がないから住むには大変だと思います。まずは道路整備かな?
これにて三井化学専用鉄道の廃線状況は一通り報告できました。あとは、順次解体・撤去の連絡待ちでしょうか。
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仮屋川操車場の中心地点から廃線状況を見てみた
2022年4月24日 三井化学専用鉄道の仮屋川操車場だった場所を今昔でお届けします
文中の撮影日付のない写真は2022年4月22日

仮屋川操車場の貨物列車編成が並んでいた場所はもうレールがなく、まくらぎもはぎ取られています。このさきずっとこんな状況でした。

2015年10月25日 左から爆走中の815系下り電車、DE10構内貨物列車(待機中)、宮浦行き第4便(出発済み)の3列車が状態は違えど、並んでいる瞬間を捉えます。西鉄もいたらもっと賑やかでしょう。

住宅地の駐車場の中から仮屋川操車場だった場所を撮らせて頂きます。
架線、架線柱、そしてレール・まくらぎが撤去され、まくらぎが山盛り状態で廃棄を待っています。

2014年9月7日 かつてはこんなに貨物列車が並んでいた壮大とは言えなくても見応えがあった場所でした

2015年10月18日 機回し中の45t電車も朝日に輝いて、とても良い景色でした

8両編成停車位置札が見えます
まくらぎはしばしの眠りに就きました。
次の用途が鉄道用でありますように。

2010年11月3日 10両編成停車位置札と仮屋川操車場越しに見えるリレーつばめ
この5ヶ月後には見られなくなるつばめ特急電車が大牟田に向けて走り去ってゆく。

12両編成停止位置札と廃まくらぎの山

大牟田行きの813系電車が行く~廃まくらぎの山を眺めながら

仮屋川操車場入り口付近を望みます

2015年11月12日 宮浦から第1便貨物列車がやって来た頃の風景

西鉄電車が通過するだけ

もっと広角気味に仮屋川操車場を

2014年2月16日 とても同じ位置だっとは認めたくないけれど、これが現実なんだと
次回は仮屋川操車場の線路終端側から見てみましょう
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愛称はまだない。そのうち銀タンコと呼ばれるようになるってさ。
◆今からちょうど13年昔の2009年5月24日 三井化学専用鉄道 宮浦操車場
三井化学専用鉄道とはよく知らずに、お休みの日に大牟田市内をサイクリングを楽しみながら、3度目の宮浦操車場を訪れたあの日、私は奇妙なものに出会った。まだこのブログを始めるまで約2ヶ月のあの頃、私とアレの出会いは衝撃的ではなくても、運命、いや必然であったのだろうか。

5月9日に来たときとそんなに違いは分からなかったのですが

よく見たら、当時さっぱりだった「検重車」がこんな場所へ

宮浦駅石炭記念公園から宮浦操車場を見渡していると・・・、見慣れない銀色のタンク?が貨車に載せられているのを発見しました

なんだこれ?濃硝酸ってなんだ?

のちに「銀タンコ」と呼ぶようになる、濃硝酸タンクコンテナがコキ200に2個積載していました。
いつ、何の目的で来ていたのか?当時はさっぱり分かりませんでしたし、特に追求することもなく。
動いている様子もないのでこれ以上の撮影や探求はしませんでした。

2009年5月9日撮影
工場引込線は、以前はこんなに急カーブで、2軸の炭鉱電車やコタキなら問題なく走行できました。

でも5月24日に宮浦操車場を訪れると、工場引込の線路が改良工事中でした。

どうやら、コタキで入線出来たところに、4軸のコキ200を入線させるために、曲率半径を緩めたのかもしれません。
R200をR400に変えたかとか。

2009年6月7日撮影 工場引込線はお馴染みの光景になりました

線路改良しても、コキ200通過時は外側のレールと車輪が軋む音がありました。これ以上は無理という状況ででした。
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仮屋川操車場入り口付近は消えた
三井化学専用鉄道の廃線跡 仮屋川操車場入り口付近

2022年4月24日 仮屋川操車場に入る線路や分岐器がすべて撤去された。

2015年3月28日 仮屋川操車場を出入りする線路や分岐器があった賑やかな風景

2015年7月11日 三井化学専用鉄道の第1便貨物が仮屋川操車場に入って来た

2013年6月16日 DE10牽引の構内貨物が仮屋川操車場に入って来た

2022年4月24日 仮屋川操車場の入り口風景はもう過去のモノとなった

2014年10月11日 仮屋川操車場の入り口はなかなか面白い線路構造だった

2015年7月11日 仮屋川操車場を出て行く45t電車~第2便単機回送

2015年9月27日 仮屋川操車場を出発したDE10牽引構内貨物~大牟田駅戻り

2022年4月24日 仮屋川操車場に入るための上り線から下り線に渡る分岐器や渡り線は完全に撤去され、鹿児島本線を通っていく列車は静かになった。

2015年12月27日 その渡り線は1日1度だけ使われていた

2015年7月25日 DE10構内貨物がその渡り線を通って、仮屋川操車場に向かってきます。
こうして、完全撤去後の風景、運用時代の風景を比べるとなかなか味があります。でも寂しいね。
次は仮屋川操車場の中程から全体を眺めましょう。
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見慣れたあの風景・建物がありませんね
2022年4月24日 三井化学専用鉄道の廃線跡~旭町信号所付近

あるべきモノが、あって当然だった建物が消えました

2021年12月11日撮影 旭町信号所があった頃

それが現在はこんな更地になりました。跡形もないね。

廃止まではこの場所で頻繁に撮影しましたね
私のお気に入りお立ち台~と言っても何か登ったりせず、踏み台は使わずにシャッター切っていましたね。

2014年7月26日撮影 1151レ
大牟田専用貨物の下りは、瀬高方面でもよく撮りましたが、ここは当時の自宅から近かったのでよく通いました。
ネタモノの時は、出勤前に撮ったりと無茶していました。懐かしい!

2014年3月8日 大牟田駅に戻る構内貨物列車
ここでDE10の本線走行が見られるなんて~実際は線路閉塞で走っているのですが楽しかった。

2014年3月2日 西鉄特急下りと、鹿児島貨物4093レが同時に下って来て併走シーンが撮れたり
伝説の3並び写真もこの場所で撮りましたね。

すっかり線路が剥がされて何もなくなりましたね

2014年5月6日 第1便貨物列車 仮屋川操車場行き
構図に旭町信号所を入れるか、入れないか、縦撮りにするかといろいろ悩みましたね。

途中に置いてあるバリケードは、ここを踏み抜く恐れがあるという目印か?

2021年1月10日撮影 元々は小さな川を渡る橋があったのです。JR側は暗渠になっています。

2019年10月6日撮影
最後に旭町信号所の記念すべきシーンを。
写真ではよく分かりませんが、これはパンタを下げて駐機しているのです。
私は全然知らなかったのですが、毎月1度(平日)は信号の点検とかで、旭町信号所脇に炭鉱電車を駐機させていたそうな。この撮影時は、よく分からないけれど1ヶ月近く毎日駐機していたので、土日でも撮影出来たのです。ラッキーでした。
次は徐々に仮屋川操車場方面に向かいます。
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京町踏切は今どうなっている!?
2022年4月24日 京町踏切は今どうなっている!?

2020年2月16日 雨
京町踏切を通過する45t電車単機回送

2014年9月21日
京町踏切を通過する第一便貨物列車
銀タンコと黄タンコが懐かしい

2021年12月11日 京町踏切改良前
まだ線路が5本あった頃ですが、専用鉄道のレールは左側で切られています。

2022年4月24日撮影
京町踏切は、三井化学専用鉄道の線路は完全に除去されて、線路のあった部分はアスファルト舗装されて、さらに踏切の横断距離が縮小され、東側の警報器や遮断機の位置が変わった。

2021年12月11日 京町踏切改良前
旭町信号所が見えます。30年以上昔は右側に3本ほど線路があったそうな。近くのマンションが建つ前の時代の話ですが。

2022年4月24日撮影
以前線路があった位置と現在の京町踏切の位置関係分かりますか?
以下はすべて2022年4月24日撮影

京町踏切の両脇~線路跡へは完全に柵で覆われて線路内に入れないようになっています

旭町1号踏切側を望む~特に何もありません。線路がなくなったただの空き地っぽいです。
この先に見える街で一番大きなNホテルの建て替えの話があります、線路跡を将来買収して土地を広げるのかな?その辺はさっぱり分かりませんが、放置するよりはマシかと。私は京町~旭町~宮浦まで遊歩道になっていたら良かったんだけどね。

仮屋川操車場方向へ続く廃線跡~こうして見ていると「あ~廃線になったんだな~と実感します」

2015年1月31日 京町踏切を渡り、宮浦操車場に急ぐ第4便貨物列車
朝日を受けた炭鉱電車が眩しい

2010年3月22日 京町踏切を渡る第1便貨物列車
銀タンコと黄タンコの境目辺りが、京町踏切になります。
ばいば~い!
次は仮屋川操車場方面へ~この先のお馴染みの建物がなくなりました。寂しい!
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さよならJ工場
2022年4月24日 三井化学専用鉄道の旭町1号踏切から京町踏切に向かう途中で

解体中のJ工場が見えた
「さよならJ工場」という看板が~

粉じんた破片の飛散事故がないように、建物全体は覆われている

2010年11月6日撮影
45t電車19号機とJ工場

2020年1月18日撮影
22t電車11号機とJ工場
当時から無意識のうちにJ工場と絡めた写真を撮ってきたが、そもそもアングルに必ずと言って良いほど入りますからね。それだけインパクトの大きい建物だったのですよ。
次こそ京町踏切に向かいます
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旭町1号踏切があった場所の現在の風景 詳しく
2022年4月24日 三井化学専用鉄道の旭町1号踏切があった場所~詳しく

踏切番が操作していたワイヤーロープ式の第二種踏切だった旭町1合踏切

現在ではすっきり何もないただのカーブと陸橋が残る道路になった

2016年6月2日 パンタを上げて錆び取り運転中の22t電車が往く

現在は道路のアスファルト舗装の色の違いから以前は踏切があったという唯一の痕跡

その奥の宮浦方面への線路跡は、単なる廃線跡と化している。奥に見えるゆめタウン従業員用の跨線橋より先は、工場の配管工事真っ最中。

2016年7月20日 ホテルから旭町1号踏切を通過する45t電車を俯瞰撮影

そのホテルから見下ろしていた場所に立つ。仮屋川操車場方面を見渡す。

仮屋川操車場方面の線路は京町踏切までただの廃線跡のままだ

線路跡の両側の歩道部はきれいに整備されています

こちらの歩道部も整備されていますすが、左端が未完成と言ったところか。
今後、踏切だった両側の廃線跡との封鎖はどのように行われるのか分かりません。
放置していたら草ボウボウになったり、ゴミが捨てられたりと荒れそうです。
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速報~宮浦操車場の架線撤去始まる!(2022-5-9)
2022年5月9日 大牟田の鉄道仲間から「宮浦操車場の架線撤去が始まった」という連絡が来ました。
ついにこの日が来たな~いや割と遅かったのですが、いざ撤去が始まると寂しいものですね。

2022年4月24日撮影
この吊り下げタイプというか、スパンの長い架線柱・梁が消えるときが来ましたか。

以下の9枚の写真は2021年7月31日撮影(ラストランイベント開催のため、柵の中からの撮影も有り)
まずは架線から切っているそうです。

架線は簡単に切ることが出来るようで、ポトポト線路に落ちて行っているようです。
そんな光景を間近で見ていたという鉄仲間の心中は穏やかではないでしょうね。
私だったら泣きそうです。

鉄骨架線柱のてっぺんに取り付けられている風速計も消えるんですね。最後までお役目ご苦労様!
2020年7月の大牟田大水害の影響で、宮浦操車場が冠水したため変電設備は壊れてしまいました。
そのため、架線に電気を流すことも、信号や分岐器を動かすことも出来なくなりました。
撤去解体のこの日まで、架線には一度も電気が流れることもありませんでした。
なお、ラストランイベントの炭鉱電車22tは、バッテリー駆動のためパンタグラフからの充電でなくても大丈夫なので、大丈夫だったそうです。

ご存じの通り、宮浦操車場を正門から眺められるこの広々としたお馴染みの風景も、あの鉄骨支柱と長大スパンの梁が支える架線設備があったからこそです。全部で5組ありました。

これが近代的なコンクリートの電柱型だったら、ゴミゴミしすぎた、撮りにくい操車場だったかもしれません。
長大スパンの架線設備に感謝ですね!

宮浦駅事務所から車庫方面は、近代的なコンクリートの電柱が群立する架線設備です。

正面からなら問題ありませんが、柵の外からだと架線柱を何とか避けてながらの撮影になります。

宮浦操車場から東泉町2号踏切~東泉町1号踏切手前にかけての架線設備も近代的です。
こちらも流れで一緒に撤去なのでしょう。
架線と架線をぶら下げる梁や鋼線の撤去が終わったら、鉄骨やコンクリートの架線柱の撤去または解体でしょう。
鉄骨式は土台や基礎が相当大きいので重機などで解体し、コンクリート電柱は引っこ抜くのかと。
仮屋川操車場で行われた撤去方法と変わらないでしょう(管理人は撤去模様は見たことが無い)。

最後に、宮浦駅事務所の屋根を貫通している架線柱を撤去しようものなら、駅事務所もだだでは済まないでしょうね。
駅事務所も来月には解体が始まるそうで、次私が遠征した時は、宮浦操車場だった場所は、変わり果てた更地になっていることでしょう。さて、ここは将来何に化けるのでしょうか。
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旭町1号踏切があった場所の現在の風景 2022-4-24
2022年4月24日 旭町1号踏切があった場所は今どうなっているか?
撮影日は雨上がりだった影響かアスファルト舗装の新旧の区別がつきにくくて線路跡がはっきりしない(笑)。
まあ、よく見たら誰でも分かりますけどね。

アスファルト舗装の濃い部分が線路敷きだった
すっきりしすぎなほど、な~んにも無くなりました。

角度を変えて撮影
目を閉じれば、電車があんな風に走っていたのだと思い出せます。

国道の踏切信号機もありません。
昨年12月に来たときはまだありましたね。
以下は2014年4月20日撮影
跨線橋から眺める写真はあまり撮っていないのです。架線や電柱、信号機が邪魔でね。


ちょっと時間がないので、今回はここまで。
次回詳しく書きます。
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かつて東泉町1号踏切があった場所の今 2022-4-24
2022年4月24日 東泉町1号踏切があった場所

宮浦操車場から東泉町1号踏切の鉄橋の手前まではまだ架線も線路も残されています。

現在の様子。

現在は排水・配水管の新規設置工事が行われています。
この新規の管は、従来よりも高い位置に設置されようとしています。
これは線路敷きの部分が海抜0mクラスで、過去に水没したことがあるため、その改善策かと考えられます。
線路がなくなったことで、市が管理会社に要請をしたのでしょうか?いずれは路面が嵩上げされるのかもしれません。

旭町踏切方向は新しい配管が設置されました。遊歩道化されなかった。

宮浦方向はこんな状態です。撤去されていない線路は避けているあたり、設置条件があるのかな?
それともその線路は将来の管理用道路(私道)かな?そんな気がします。

旧大牟田川を渡っていた小さな鉄橋は撤去されました。橋台は残っています。頑丈そうだから撤去はやめたかな。

宮浦方向の線路・架線が残っている風景

今にも向こう側から電車が走ってきそうです。

2009年8月30日撮影 元々はこんな踏切でしたね
他の踏切に比べて地味で狭くてキャパも少なくて危なくて風景も良くなくて数多く撮影はしていません(汗)。

2015年8月14日撮影
お盆休みに実家に帰らず親不孝者と言われながらも(笑)、黙々と撮影をこなす日々でした。

2020年3月1日撮影
この位置で4人で撮影していたらもはや激パ状態。廃止直前はどこも異常だった。

なお、新規設置の配管はその先はこうなっていて、廃線跡を利用しているのはちょっとだけだった。
次回は旭町1号踏切に向かいます。ここは劇的に変化しました。
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宮浦操車場の様子 その6 2022-4-24
2022年4月24日 宮浦操車場の様子~東泉町2号踏切付近など
一周して参りました。ほんとはもっとゆっくり書きたいところですが(笑)、時間のかかるネタは後日また紹介します。
今はとにかく、廃線・線路跡を中心に報告したいですからね。

検重車以外、貨車がいないのはホント見ていて寂しい。
そりゃあ廃止されたのだから仕方が無いけれど。

この風景から昔を偲ぶことが出来るだけ私はまだ幸せな方だ。

2014年11月29日撮影 第1便の出発準備の時間からよく撮りましたね

2015年5月3日撮影
大型連休中でも走りましたね。でも連休終わったら、すぐに年次ウヤに入りましたが。

宮浦駅事務所を望む。引越作業は終わったのかな?あとは解体を待つのみか。

東泉町2号踏切付近。今日は業者の車が居なかった。こんな日もあるさ。

工場引き込み線。見える範囲では線路は全部剥がされたようだ。奥の方はアスファルトだから撤去は大変だっただろう。ひょっとしたら撤去していないかも。

鉄橋は撤去されていませんが、レールやまくらぎはありません。

2014年5月6日撮影 工場から出てくる22t電車9号機
ここでの撮影もいろいろ考えましたね。

鉄橋の手前の線路が剥がされた付近

そろそろ宮浦操車場とお別れです。

次来たときは風景が一変しているのだろうか。名物の高い柵もなくなり、更地になっているのかも。
次は、旭町支線を順に仮屋川操車場方面へ線路終端まで向かいます。
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宮浦操車場の様子 その5 2022-4-24
2022年4月24日 宮浦操車場に戻ります。

三坑町3号踏切はもう開かないと思うと辛いですね

右側の線路は、車庫と宮浦操車場を行き来した。もちろんかつて海上輸送コンテナホームへコキ(貨車)たちが炭鉱電車に推進・牽引された線路でもある。

左側の線路は、最近検重車などが走行した。この線路を貨車が移動したのは、生では見たことが無いが、かつてコキ200問題時代の黄タンコを載せた貨車が通っている(夜間留置を撮影している)。

三坑町3号踏切から宮浦操車場を見る。検重車らが解体・スクラップの日を待っている。
検重車って15トン、25トンもあるから、車輪外してトラックに載せても過積載になるのだろうな。どうやって運ぶのか?中身をあらかじめ取り出して軽くするのかな?その辺りがよく分かりません。だって中に何が詰められているのか想像出来ないので。

車庫は大きい。
全般検査・重要部検査、交番検査なんでも出来る。
以前、2021年7月31日に車庫の中を撮影し、ブログに書いたことがありますが、中の設備はなかなかなもの。

車庫の反対側にいる、緑のシートを被された控車?ヒト
将来の9号機の全般検査に備えた車輪だったのかな?もう使うことはありませんが。

車庫から三坑町3号踏切を望む。
ここは三井化学に通勤されるかたの車の往来があるので(結構スピードあげて来る)、事故には気を付けて。

三坑町3号踏切から見える部品取りの電車たちとお別れし、宮浦駅事務所方向へ向かいます。

途中線路脇に何かコンクリートの塊が置いてあった。こんなの以前は置いてなかったぞ。なんだこれは?

よく見たら、これはどこかの架線柱の基礎を引っこ抜いたものだ。なぜここに持ってきたのだろう?そもそもどこから持て来たのか?

途中の信号機が撤去されていた

この信号機は三井化学専用鉄道時代は一度も青になった瞬間を見たことが無い。なぜ残していたのか不明である。

宮浦駅事務所と検重車

検重車・・・もっと間近で撮影したかったなあ(残念)。

22t電車の夜間停泊場所はからっぽ~虚しい

2015年3月22日撮影 こんな風に停泊してパンタを上げて充電していた頃が懐かしい

貨車が来なくなってまもなく2年。
なのに現役時代と大して変わらず線路や設備がほとんど残っているのは凄いことだ。
コロナの影響もあって解体撤去が遅れたとも言われているが。

東泉町2号踏切方向へ向かおう
次回で宮浦操車場編はとりあえず終了
つづく
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