本日、三井化学大牟田工場が、専用鉄道の運行廃止の発表をしました。
もう多くの方が公式発表について書いているので、もうここでは触れません。
廃止になることは、昨年2月のあの発表の時から薄々分かってはいましたが、今回公式発表があって正直ホッとしました。
以下の写真はタイトルと直接関係はありませんが、想いにふけってみただけです。

今は亡き浅牟田108号踏切。結構人気のある有名なスポットだった。旭町1号踏切が表(光)とすると、浅牟田108号踏切は裏(影)的な存在だった。

18号機と9号機の並び。並びを意識して撮るようになったら面白かった。

宮浦の夜明け
昔は開門も早かったからこんな幻想的な写真が撮れたんだよね。なつかしいね。僕くらいしか撮る人がいなかったけど。

やっぱり宮浦操車場のシンボルと言えば、高い煙突だよね。ちゃうちゃう(笑)。そんな笑えるな撮り方どこで覚えた?

昔は朝練があったね。いや違う、朝運用があったよ。7時台に。
今よりずっと忙しくて、撮影にかける時間と情熱はいくらあっても尽きなかったような時代が確かに存在した。
昨年2月に書いた記事が今となっては懐かしいです
http://fastclip.blog62.fc2.com/blog-date-201902.html
三井化学は6月に記念イベントを開催するとありますが、もしコロナウイルスが収束しなければ中止もありえるでしょうから、期待もあり不安もある今日この頃です。6がつになっても、いまだにそんな酷い状況だったらオリンピックも開催無理でしょうが。
イベント開催時には、きっと宮浦操車場に立ち入り可能になれると思いますし(現在は立ち入り禁止)、炭鉱電車をどこぞの機関区イベントみたいに横一線に並べたりしての撮影会が行われるのかと想像したり。もしそうなったら大勢の撮影者で賑わうか、荒れるか。撮り鉄よりも多くの大牟田市民、荒尾市民に見てほしいものです。
最初にこのブログを始めたころ、私の目指す役目について考えました。
こんな素晴らしい鉄道が世に知られていないのであれば、私が知らせてあげよう。誰もやらないのであれば僕がやろう。
そんなこんなで半分趣味で、半分は情報発信という名目で、紆余曲折もありであっという間の約11年。いよいよ私の役目も終わりでしょうか?一応遠征した分は書いていくつもりですし、昔を振り返るプレイバックも書く予定です。当方、現在は大牟田には住んでいないので、最後の日までお付き合いできるか未定ですが、遠くからでも見守りたいです。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト