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大牟田との関わりを持つまで

12年昔になりますが、大牟田に引っ越してきて、いきなり三井化学専用鉄道を撮り始めていたらすごいことになっていたでしょうが、そう甘くありません。なんせ私は当時、今では信じられない程以下の状態でした。

①三井化学専用鉄道を知らなかった。どういう鉄道線すら知らなかった。←すごいでしょ?

②鉄道ファンではあったが、貨物列車の世界はさっぱりであった。コキ200って何?←すごいでしょ?

③撮り鉄じゃなかったので、一眼レフカメラは持っていませんでした。←電池消費の多いデジカメは持っていた。
 
④乗り鉄専門で、あと線路全般、橋梁、土木遺産にも興味があり、①②を知るきっかけがなかった。←それで満足していた

⑤とにかく、大牟田に来て半年ほど土日返上なほど仕事が多忙で、明るい時間をプライベートに割く時間は限られていた。
 あやうく社畜になりかけていたが、運よく最初の春が訪れようとしていた11年前の今頃、転機が訪れた。

 だが、今回はその転機が訪れるもっと昔のお話をしましょう。

 私が大牟田に呼ばれることになったのかもしれない、小さな小さな縁・糸を辿ってまいりましょうか。

◆その1:小学2年生ごろだったか、全国道路地図を眺めていて「線路」の行く先に興味を覚えた

 「線路」だった。全国道路地図には主要駅などから海・港、鉱山、工場などに伸びる鉄道の支線が詳しく載っていた。

 なかでも、当時全く知識がなかった私は、今は亡き父に以下のような質問をした記憶がある。

 あるページにどこかの港に多くの線路が描かれた、大きな操車場(当時は操車場って言葉すら知らない)を指さして、

 「ねえお父さん、この線路がいっぱい並んでいるのはどういう場所なの?」っていう風に聞いたはず。

 父は「石炭のまちだからね」と言っていた。当時は石炭が何かも知らなかったので、ふ~んで終わった。

 今にして思えば、その開いていたページが港付近の操車場だということは、
大牟田1992map (2)のコピー
 大牟田(三池港)だったのかもしれない。操車場の左側が海だったので、他にあるなら室蘭かもしれないが。

 この時、すでに大牟田への縁・糸がつながり始めていたのかもしれない。

 でも、大牟田って街は、何県のどこにあるのか知らなかった。それを正確に知るのはまだずっと先になる。


◆その2:大牟田出身のシンガーソングライターNのラジオ番組を聞いて、「大牟田」の位置が特定できた。

 そもそも、大牟田出身の歌手Nって、読者の方はご存じですか?大牟田観光大使も務めたことがあるあのお方。

 私はいっときFMラジオリスナーであった。その影響もあり、夜更かしするようになった年齢になると、深夜番組を聞くようになる。

 そのN氏がパーソナリティを務める番組が始まり、自身が大牟田出身だと番組内で多く語るようになり、私も次第に大牟田って

 どこにある街なのか調べるようになった。また1本、縁・糸がつながりだした。

 大牟田に引っ越して数年後、友人の紹介で大の炭鉱電車好きだという、シンガーNに実際に会えた。

111103宮浦5 (301)のコピー
2011年11月6日 宮浦操車場奥の海コンホーム~線路終端付近
N氏とほかの多くの友人ら一緒に激写した日は、コキ200問題で22t電車が線路終端迄迫ってくるシーズンであった(今は解消)

 あのラジオ番組を聴いていなかったら、N氏とその後交流を持つことは叶わなかったと言っても過言ではない。

◆その3 大牟田に出張で訪れた最初の朝、ホテルの窓を開けて地上を見たら「線路」があった。

 2007年4月頃、私は大牟田に出張で来ていた。

 お昼前にJR大牟田駅で下車してタクシーで、のちの勤務部署となる住所に向かった。

 途中で怪しげな廃れた高架橋?築堤が街の中にあるのが見えて、少しときめいた。

 この時、私は三井三池炭鉱鉄道の廃線跡が街中にあることを知らなったのが、当時は未成線や廃線にも興味があったので

 その風景だけでも満足であった。 

 その晩、三井化学専用鉄道の旭町1号踏切(国道を横断する有名な踏切だとも知らずに)脇の市内街で一番大きなホテルに

 宿泊して、翌朝部屋の窓を開けて地上を見たら
20151128旭町1号 (45)
131104京町踏切 (53)
 線路があった。道路側に踏切がある。今も現役かな?いつ走っているのだろうか?

 そもそも貨物専用線だとも知らなかった。

 出張が終わってそそくさと大牟田駅を後にした。あの線路は何だったのか?頭の片隅に追いやってしまった。

 当時は、大牟田に転勤してこようなど100%あり得なかったので、辞令が下りたときは正直驚いたものであった。

◆2008年秋、私は大牟田市に住民票を移し、市民となる。

 紆余曲折を経て、翌年夏から撮影が始まり、このブログがスタートする。なので銀タキ時代を全く知らないのです。

 私は濃硝酸がタンクコンテナ化された最初の年、黄タキ最後の年、海コンが長期ウヤな年から撮り鉄活動が始まりました。

09-6-27宮浦-仮屋川間 (41) のコピー
 2009年6月27日 第4便貨物列車 自身初めての旭町1号踏切での炭鉱電車+銀タンコ+黄タキの撮影となった。

 その1、その2がなかったとしても、転勤という運命にはなっていただろうか。それは分からないし、違っていたかもしれない。

 今にして思えば、私は小さなころから大牟田に呼ばれていた、もしくは小さな縁・糸がつながっていたのだ。

 今だから言えるが、大牟田に引っ越してくる様にうまいこと事が転じただけなのだ。縁・糸はあとから手繰り寄せれば良い。

 私はM化学の関係者でもないし、神様でもない。ただのサラリーマンで、かつ鉄道ファンである。

************************************************

 調子の良いことばかり、うまく話をつなげたのは自分でも分かっている。でもここまで大牟田の鉄道に関われたのは

 とても幸せなことであると思う。誇っていいと思う。現在は元市民であるが、市民であったうちに、よそ者という微妙な立場で

 定点観測が続けられた・・・いや続けたいと強い願いで私のわがままを叶えてくれた大牟田の縁というものに感謝したい。

140830旭町1 (107)
鉄道ファン御用達と言っても過言じゃない程、大牟田の鉄道を堪能するのには便利なホテルである。

そのホテルの足元にあるのが、今では有名すぎて鉄道ファンなどが連日数多く訪れる、三井化学専用鉄道の旭町1号踏切。

日本にはもうここしかないのでは?と言われているワイヤー昇降式の珍しい、しかも有人踏切である。

管理人は、このホテルに大牟田出張時、大牟田を離れる前日、2017~2018年の大牟田遠征時にお世話になりました。

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Comment

LUN | URL | 2020.03.15 19:41
初めまして(かな?)
線路の敷かれまくった港湾地図は、私も見て興奮していました、今でも(笑)
数十年前にあの線路を見たことはあるのですが、
是非もう一度見に行きたいので、参考にさせていただいております

UTXC | URL | 2020.03.17 21:49 | Edit
> 初めまして(かな?)
◆LUNさんこんにちは。
 貴ブログを拝見しましたが、過去に私がコメントをした記事があります。
 初めましてではありません。お久しぶりです。
> 線路の敷かれまくった港湾地図は、私も見て興奮していました、今でも(笑)
◆線路がいっぱな三池港を私もこの目で見たかったです。チャンスはあったものの、興味がなかったのは仕方がありません。
> 数十年前にあの線路を見たことはあるのですが、
> 是非もう一度見に行きたいので、参考にさせていただいております
◆きっと最後の撮影になると思いますので、感染対策をして遠征頑張ってください。
 土日は撮り鉄が多いと聞いています。昔みたいにノンビリ撮影できないかもしれません。
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Author:UTXC
こんにちは~(^▽^)/
全国の皆様へ~三井化学専用鉄道と大牟田付近で見られる貨物列車等の状況をお伝えします。魅力あふれる元気な炭鉱電車も紹介します。
2009年3月~2016年7月までタンク車に代わるタンクコンテナ(銀・黄タンコ)や海コンらを撮りまくりました。管理人は現在大牟田に住んでいませんが、遠くから我が大牟田の鉄道を見守っています。
なお、大牟田に関わる鉄道は2020年5月をもちまして幕を閉じました。
今後の更新は不定期です。

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