残るはその他のコンテナと、主役の炭鉱電車の惜別スペシャルと、この11年間の振り返りと個人的なベスト記事程度でしょうか?
さて、その他のコンテナと言えば、途中で輸送廃止になったらしい海上コンテナ。通称海コン(うみこん)ですね。全部は紹介できませんが、色とりどりな種類がありました。それでは留置・入換編と参りましょうか。

海コンは詳しくなくて、もう色とロゴで判別するしかありませんでした。
最もメジャーなのはOOCLの灰色でしたね。これは晩年まで見ることができました。

緑、青、茶色、茶色に近い朱色、水色、薄緑・・・様々でした。

ボロボロなやつもいました。海運用ですから使い方が過酷なのでしょうか?

宮浦操車場では様々なところに入れ換えて留置していました。

時にはこんな場所にも留置して、翌朝連結して出発しました

真っ白になりかけたこともありましたね。

基本コキ200に2個積載ですが、コキ200問題の期間はコキ106中央1個積載と不遇な時代もありました。またコキ200問題が解決してもしばらくはコキ106積載が残ったり、コキ200+コキ106という混結編成も見られました。

私の撮影期間(2009~2020年)のうち、海コン連結がまともに見られたのは、2010~2016年ごろと短く、また不定期な運用や運搬個数の変動も大きかったと思います。晩年はOOCLだけになり、1・2両で運用後見かけなくなりました。廃止は見なくなってしばらくしてから公式に知りました。
◆さて、海コンは銀タンコ・黄タンコと違い、下りは空荷で宮浦操車場に来て荷下ろしして、荷物を詰めてから積んで上りで戻る工程となっています。いずれも北九州貨物ターミナル発着です。ここで言う、上り下りとは大牟田貨物を指します。三井化学専用鉄道~仮屋川操車場~大牟田駅経由とかまどろっこしい詳細はここでは割愛します。

さて、宮浦操車場に来た空荷の海コンは、時刻定期でしたが密かな運用がありました。
これが、奥の三坑町踏切を通過する入れ替え作業。推進運転で海コン専用ホームに向かいます。
工場入出場運用の都合で、まるで控車のごとく22t電車次位に黄タンコ、あるいは銀タンコをつけて海コンを推進する姿はしばしば見られました。何もない場合もありましたが。

昔は、この入れ替え作業を目当てに遠方から撮影に来ましたという物好きさんもいました。
運用時間は、11時過ぎや13時ごろとか。地元の人はあまりよく知らないと思います。
場合によっては推進だけして解放後、工場入出場が終わったら回収に来るというパターンもありましたし、ずっと積み替え作業を待って終わったら戻るというパターンもありました。

海コンホームには大型のフォークリフトがいました。周りには空荷や積み荷のコンテナが見られました。
中身は大量のドラム缶のようです。中身は詳しくないので省略します。
原材料の濃硝酸と、液化塩素を用いて生成される化学化合物でしょうか。

コキ200問題の期間中は、諸般の都合で写真の位置に留置されることがあり、日曜日は返却しないことがありました。
◆また運用日は、上りが土日ウヤ、または日曜だけウヤ
下りは日月ウヤ、または月曜だけウヤなんて変則なウヤでありました。
年次ウヤが明けてから1ヶ月ほどしてから運用が再開され、年次ウヤの半月以上手前で運用を終えたりと。

また、写真の様に海コン運搬で使用されたコキ200は宮浦操車場内で4~10両ほど預かりみたいな形で空コキ状態で留置がありました。検査の時はまとめて大牟田貨物に連結されることもありました。年次ウヤの専用鉄道の錆取り運転では、これらのコキをただ引くだけの運用も見られました。

空荷のコンテナを載せた状態でも短期間、宮浦操車場の邪魔にならない場所に留置されていた事があります。
写真は奥と手前に合計2編成見えますね。またある時は45t電車の停泊線上に長期留置ってのもありました。
もうその姿を見なくなってから4年ほどになるでしょうか?
海コンがつくと1152レの最後尾は黄タンコではなく海コンでした。編成も10両以上になることもあり、なかなか楽しませて頂いた時期もありました。振り返ると懐かしいものを感じます。実をいうと海コン自体にはあまり興味がありませんでしたが(笑)。
◆続いては大牟田貨物、三井化学専用鉄道の走行・停車編を~

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