ここ4年ほどは見られなかった懐かしい光景が飛び込んできます。きっと見たことがない方も多いでしょう。
大牟田貨物ファンにはお馴染みの編成でした。

宮浦操車場 第1便
銀5+黄1+海3の編成です。これでも短いほうで、最大は銀6+黄2+海4の12両になることも。

第4便は、45t電車の次位に海コンが付きます。
この便は、海4+空1+銀6+黄2の驚異の13両編成でした。

1152レ 最後尾は海コンでした

大牟田貨物が上下ともに海コンだけの編成で運転されたことも、稀にありました。

私の撮影期間では4両8個が最大量でした。

大牟田駅で出発待ちの編成。コキ200問題期間中はコキ106に中央1個積載で4両4個が上限という制約がありました。

コキ200問題の頃の大牟田駅出発待ち1152レ

仮屋川操車場で出発を待つ、復路便(大牟田駅戻り)
DE10との連結は似合っていましたね。HD300になってからの海コン運用はなかったと思います。

見よ!!仮屋川操車場で出発を待つ両雄。いずれも機関車次位に海コンを連結。

天拝山~原田 1151レ

吉野~渡瀬 1152レ

瀬高~南瀬高 1151レ

年代にもよりますが、この年の海コンは3両6個が最大。この写真の空コキは単に積載がなかっただけか、コキ200の交番検査用か?常にセットの両数で固まっていて、検査でもないのに同じ車番号のコキ200が2編成でサイクルしていました。おそらく、海コン専用のコキ200の所有権が三井化学専用鉄道にあったものと思われ、自動車で言う車庫証明というか留置証明(固定資産)も払っていたのかな?って深読みしたり(笑)。
そんな海コンが大牟田貨物で編成を賑わしておりました。ある時代を走ったコンテナというところでしょうか。
海コンが鉄道輸送されなくなり、その役目はドラック輸送になったと思われますが、その実態は全く分かりません。
あまり興味がありませんでしたから、ごめんなさいデス。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト