どうもタイトルがしっくりこない(汗)。センスが無い証拠です、はい。
2009年10月4日は、今年(2020年)と同じ日曜日でした。朝からお天気が良くすがすがしい始まりを迎えた宮浦操車場でした。
あの頃の新鮮な記事も併せてご覧下さい→早朝黄タキを追いかけて

この日も朝練には丁度良い、7時台の黄タキの工場出し入れがありました。
まずは入場シーンから。こんな朝っぱらから撮影している物好きはきっと私だけでしょうね。

そして出場シーンを、浅牟田108号踏切にて撮影。おはよう!(笑)。
操車係「またこいか~。朝っぱらからよく撮るな~」なんて思われていたりして。

朝早いと、第1便貨物の出発準備作業も早かったですね。
晩年は8時からでしたが、この頃は7時半過ぎから始まっていたのだ。

第1便の出発準備完了の様子を石炭公園から撮影。銀タンコの後方に黄タキがいっぱいの頃です。
この頃は黄タキ最後の年で、このあと2ヶ月後に姿を消します。
◆黄タキ目当てに訪れた鉄道ファンにも時々会いました。撮影とナンバーチェックに奔走していました。
黄タキは九州(南延岡~大牟田)が最後の活躍場でした。
私も遅ればせながら記録を頑張りました。2009年5月まで黄タキすら知らなかった鉄道ファンだったのにね(笑)。

さっきからあっちこっち移動しまくっています。それだけ時間にゆとりがありました。
第1便が仮屋川操車場に向けて出発です。
この時間は後方狙いが順光です。今思えば~後方狙いは結構はじめの頃から無意識にしていましたね。

単機で戻ってくる第2便。きれいな45t19号機。

仮屋川操車場からやって来た第4便。
コキ200問題時期以外の黄タンコは最後尾連結ですが、黄タキは炭鉱電車の次位~連結でした。

颯爽と構内機回し・・・と言ってもねぐらに戻るだけの運転です。
これにて本日の45tのお役目終了です。おつかれさん!
◆今日はもうこれ以上45t電車が動かないと知った一部の鉄っちゃんらは撤収します。これからが面白いのに。
この頃はここを訪れる鉄ちゃんの中では、工場と宮浦操車場をタンクコンテナを載せた1両のコキがひたすら往復する運転だけの20t(運転整備重量22t)電車に対する価値というか貴重度が低かったです。晩年はその立場が逆転しましたけどね。

工場入出場は12号機が担っていました

この日は、夕景撮影のため再度宮浦を訪れました。1日中居たかどうかは分かりません。
夕方の宮浦の様子(2009-10-4)←当時の記事リンク
◆以上、2009年10月4日(日)の模様でした。懐かしいですね。11年も昔になります。
この頃は大牟田の外に出来る勇気や余裕が無くて、ほとんど大牟田市内で撮影していたものです。
◆この後「宮浦の定点観測者」の称号を、大牟田の鉄道をこよなく愛する仲間達から頂きましたが、それはまた別の話。
とにかくあの頃は撮りまくるしか無かったのでありますよ。井の中の蛙にはなりましたが、後悔はありませんでした。

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