さて時は過ぎて、2017年8月下旬、とんでもない事件が発生します。

当時は大牟田には住んでいませんでしたが、知人からの情報・ツイッターなどで、炭鉱電車の脱線事件を知りました。
あれはかなりショックでしたね。私が居なくなったら気が抜けたか~?なんて冗談言っていられませんでした。
◆ちょっと残念だったのは、脱線した状態を他の列車(例えば、ななつ星や貨物列車)と並んだ状態でわざわざ撮りに、多くの撮り鉄が集まってきたことです。大牟田には絶対に撮りに来ない、専用鉄道を馬鹿にしていた連中までも来ていました。一種の葬式鉄ですね。
ま、それはさておき・・・

これが脱線に至るまでのルートです。
私有貨物専用鉄道だからか?身内の恥だからか?事故原因は公にされていません。
しかし巷の噂では、分岐器の切換え忘れだと言われています。真相はどうなのでしょう?
◆前編の記事の最後で、「もし中継信号機の停止・進行の表示の灯りの切換えを旭町駅事務所で操作していたら・・・」と書きましたが、仮にポイント切換え操作を忘れて、中継信号機が第1便が走った後もそのまま進行だったら、信号機の意味が無いという説になります。点灯させないほうがずっとマシ、いや使っていないなら撤去でしょ?となってしまいます。
◆◆私は当時遠方から、この事件の原因は中継信号機のあり方・使い方にもあるのでは?と考えていました。

2016年6月24日 ウヤ明け初日
20t電車単機が仮屋川操車場に向かいます。初日なので、第1便・第2便がありません。この写真のは第3便になります。
そんでもって、中継信号機は進行の表示が灯っているのかいないのかさっぱりわかりません。
※この写真は中継信号機の謎について注目して撮影した訳ではありません。
2017年8月下旬脱線
同年9月に復旧作業のために架線の給電停止期間中は、第3便と第4便が20t電車の重連運転で話題になり、
その後、45t電車が救出されて:当時の記事URL
炭鉱電車の救出劇

重連運転が解消後はにわかの撮り鉄の姿は消え静かになったそうです。そんなものですよ。
でもまさか2020年3月に廃止が発表され、この騒動以上に人が押し寄せるとは当時思いませんでした。
◆脱線事故後(日時不明)の第3便の運転から、

脱線ポイントの手前、ちょうど中継信号機付近で一旦停車して、操車係を降ろします

操車係は、その脱線ポイントまで歩き、分岐が①番線路へ進める状態になっていることを目視確認して、運転士に進行を無線で伝えています。

それから再びステップに立って、貨車の連結部に向かいます。またはそのまま貨車まで歩く場合もあります。
その確認作業を廃止日まで続けられました。これは、安全意識向上のためにいろいろな対策を考えたひとつなのでしょう。

それで、事実上意味のなくなった?のか分かりませんが、
2018年8月18日に撮影した時、偶然映っていた中継信号機は

2018年12月24日
この日の撮影時には使用中止というか、顔を90度振られていました。
お役ご免のようです。もともとあ~だったからね。
信号機に頼らず、目視確認を徹底することを選んだのですね。

近くまで寄ってみたら、中継信号機の末路と、その下側に後付けと思われる「一旦停止」の赤標識が、現状を物語っているようでした。こうして、この中継信号機は廃止の日まで二度と使用されることなく終わります。
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次は、仮屋川操車場から宮浦操車場へ向かうための信号機を紹介します。
これ、意外と地味でその存在を知る人はごく僅かかもしれません。そんなに目立たない存在です。

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