◆大牟田に住み始めて半年。やっと仕事が落ち着いてきて、日曜日がゆっくり出来るようになったものの
まだ私は大牟田の街につて何も知らなかった。のちに世界文化遺産となる炭鉱関連設備や線路敷きも。
◆時は2009年3月29日の午後~昼食を終えて、市内をサイクリングしたときでした。

時々クルマで通る、旭町1号踏切を通ったのですが、この線路どこに繋がっているの?って気になりました。
◆この時点で、興味が湧きました

反対側に行って線路を眺めます。まっすぐではなく、左にカーブしていきます。あの先はそうなっているのか?
線路沿いの道路はないので、近くの大型商業施設ゆめタウンを通り抜けて、あの奥へ向かいました。

今はなき市道ですが、サイクリングにはもってこいな不思議な空間を抜けると、今にして思えば
とても妙な踏切がありました。浅牟田108号踏切と書いてあります。

さらに市道を進むと、東泉町2号踏切があり、フェンス越しに静まりかえっている宮浦操車場がありました。
当時は、ここが宮浦操車場という名前すら知らなかったのです。

赤い凸型電気機関車がいました。19ってナンバーが見えます。
炭鉱電車って愛称すら知らなかった時代でした。

工場引き込み線路は途中から別れていて、片方には現在は車庫前にいる部品取り用と言われる機関車がいました。

東泉町2号踏切脇には菜の花が咲き乱れていました。

最後に、宮浦石炭記念公園から宮浦操車場を眺めてみました。
当時は何も無い場所だなと思いました。なぜ動いていないのかは当時全然分かりませんでした。

別の方向には朱色のコキ200がいました。コキのことはまだ無知でしたから、何をする貨車かよく分からずで。
私にとってはこの日が、コキ200を知った記念日でもあるのです(笑)。
◆とにもかくにも、この頃は貨物関係は知識不足でして~線路がいっぱい並んで、背後に大きな煙突が立っていて
赤い凸型電気機関車が2両居て・・・ってそんな発見と出会いでした。
◇この3ヶ月あとに、ブログ眠れないマクラギを数えてのブログが開始されます。

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