1回目は、まだ世界遺産なんて夢の状況だった2010年12月5日
「Tanto Tanto(炭都) Walk」というウォーキングイベントに参加しました。
2回目は、世界遺産化に向けて熱い活動が行われていた2015年5月4日で
「三池炭鉱専用鉄道敷跡ひとめぐりウォーク」という名称だったかな?現在と同じかな?
◆決定的な違いはコースの順序くらいでしょうか?あとイレギュラーでコース変更は難しい?
また炭鉱電車保存会が協力されるのは心強いかと思われます。ガイド役がいっぱい(笑)。
当時投稿した記事・写真と被りますが、あの頃はイベント紹介記事だったため、その前後に個人的に回ったものも含めて
今回はその風景の変化などを紹介します。

2010年12月5日 最近ボヤで通行止めになった橋の上から宮原坑方向の線路敷きを撮影

2020年5月23日 草木は伐採・除草され、線路跡もはっきり分かります。
線路敷きとの境界を示すように柵が設けられていますね。

2009年5月24日撮影
例の橋(末広橋 黒橋 いろいろ呼び名があるなあ)。橋を歩いた時揺れるので、崩落するんじゃないかと怖かった。


2009年5月24日撮影
線路敷きの踏切跡の位置から橋を見渡す

2015年5月4日撮影 例の橋をくぐり抜けて~
すっかりきれいに整備されて、PCまくらぎも見えるようになって、ここに鉄道線路があった証がよく分かる。
ウォーキング一行は、その貴重な橋をまじまじと見ながら、ゆっくりと橋を潜っていったのだった。

2010年12月5日撮影
その橋の上から早鐘踏切跡方向を望む。やや草木が茂っていますし、線路跡がよく分かりません。

2020年5月23日撮影 まるっきり同じ構図ではありませんが

2020年5月23日撮影 変化のほどがよく分かります。こちらも伐採・除草が進み、線路跡も見えるようになりました。
こちらも線路敷きとの境界を示すように柵が設けられていますね。
以下は2015年5月4日撮影

その橋の下付近。かなり整備され線路跡がはっきり見えるまでに。

ウォーキング~一時の日陰がありがたい

世界文化遺産の専用鉄道線路敷きの早鐘踏切跡側の終端。
遠くにあの橋が見渡せる。
次回は宮原坑付近の様子を振り返ります。

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