この1年って、世界中がコロナ~コロナで振り回され、そして今現在も深刻さは変わっていません。
まったく参ったことです。この先明るい未来は来るのだろうか?私は感染せずに済むのだろうか?
現在も不安を胸にひとりぼっちで撮影を続けている次第です(笑)。1人じゃ無い時もあるけれど。
今回は昨年の今頃の三井化学専用鉄道を紹介します。
まあやっと、廃止されたんだなと実感が湧いたのですよ。今頃になってね。

まさかそんな日がこんなに早く訪れようとは心底意外でした。

こうして動く姿をもう見られないのは正直悔しい。
以下は2020年3月の三連休に撮ったもの

こんなに多くの撮影者を宮浦操車場で見るのは初めてだった。午前中は40~50人はいたような。

午後になっても帰らない

惜別の想いで再訪した人も、いつか行こうと思って結局この日まで来られなかった人、頻繁に来る人、
久しぶりに来る人、廃止のニュースを聞いて来た人、普段は見向きせす関心も無いけれど記念に来た人、
大牟田・荒尾など一般市民など、いろいろ居そうだ。
でも中には葬式鉄が生き甲斐な人、撮影の邪魔をしに来た人もいるだろう。
私の知人にある意味「葬式鉄」だと宣言して、撮影に行ったと自慢していたが
はっきり言って不愉快!こんな無関心な鉄には来て欲しくなかった。
でもこれは私のエゴなんだよね。

みんな必死に記録している。どんな想いなのか?どんな目的なのか?葬式なのか?
それらは人それぞれで、私に知る権利もどうこう言う権利も止める権利もないのだ。好きにしたらいい。
緊急事態宣言下、みなさんピリピリしているから黙々と撮っている。それでいい。

でもさすがに通行の邪魔はしていないようだ。
一時期マナーの悪い地域からの撮り鉄は要注意と言われていたが、大事になった話は聞かない。

でも、撮影して胸くそ悪かった(不愉快だった)こともあった。このシーンを撮影していると・・・

割り込んでく人が絶えない。元々宮浦操車場は高いフェンスに囲まれているため、
撮影が楽々と出来る箇所は限られているのだ。分かっている人は脚立や踏み台を持ってくる。
何も情報を持たない人は、限られたキャパを求めて楽をしに来るのだ。これがまた迷惑千万!

挙げ句の果てには、私を尾行して私が構えた場所の立ち位置に割り込んでくるのだ。
この東泉町1号踏切での単機回送シーンは、だ~れも居なかったのに、私が立ったら
ハイエナのように真似鉄が集まって来るのだ。
要は何も情報を持たない真似鉄のやり方は、知っている人の真似をすることなのだ。それが楽だから。
これでは私の撮りたいように行動できない。もはや絶対に人が来ない場所で撮るしか無い。

楽な撮影場所はいくらでもある。さすがに全部はついて来ない。
やはりみなさん炭鉱電車側を撮りたいようで、この上の写真のように後方からは撮りたがらない。

順光側は人が集まります。フェンスに人が群がるように集まります。フェンスがなぎ倒されそうな勢いだ。
水害では倒れましたが、人がもたれる程度の重さは耐えた(笑)。

煙突がある宮浦石炭記念公園内から俯瞰で撮っている人が1人居た。
とんでもなく長いレンズで何を狙っていたのやら。激パが嫌なのだろうか
もしくはここからでないと撮れない顔を狙ったか?そんなのはもっと早くに
試せば良かったのにね。なんで多くの人は廃止が決まってから頑張るのかな?
今までさんざんチャンスはあったのに。私はいつもひとりぼっちだったのに(誇大表現だけど)。

午後になってもみんな頑張りすぎ~。午後なんて殆ど撮影者を見たことないから(笑)。
それでも残って撮るなんて・・・、そこまで好きなんかい!

専用鉄道の職員さんらもびっくりしていることだろう。こんなに撮影者は絶対来なかったからね。
踏切に監視員を配置させたのは正解だ。だって、無知な人が押し寄せたら事故るよ。

このアングルで撮る人は、ほぼ皆無。
逆光でも頑張って炭鉱電車側を狙います。
まず居ませんから~一見さんでコキやタンクコンテナに注目する人は

さすがに車両が写っていない風景を撮る人は見かけませんでした。
古いのは電車だけじゃないんだけどね。急に言われても視点は変えられないか。

絶対に人が来ない場所・・・ホントは立ちたくなかったのですが、やむを得ませんでした。
工場建屋を背景に最後の活躍を見せる専用鉄道貨物輸送。

誰も撮らない、自分だけの撮影スタイルが通せました。

マチナカで、陸送中の銀タンコを見ました。
撮影仲間にこのことを知らせましたが空返事。やはり陸送には興味が無い模様。
炭鉱電車による鉄道輸送だから魅力があるのですよ。
廃止の5月7日は、大牟田在住の鉄道仲間から逐一情報を頂きながら迎えました。
あ~翌日からいつもの静けさが戻ってくるのね~。
戻らないものは大きいけれど、やっと一息つきました。
緊急事態宣言が発令されていなければ、あと数日は運転が続いたかもしれなせん。
非常に惜しい鉄道が消えました。お疲れ様でした。お世話になりました。

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